■検証31・日蓮は「聖樹」「神木」である楠木を伐り倒していない5
□神を仏の所従であり法味を得て法華経の行者を守護する諸天善神だと敬っていた日蓮
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(洗脳法華講員・ブルーシールの妄説)
自然の樹木にしめ縄を張って神木扱いするなんて、それこそ大聖人のお教えに反する邪信仰です。いやしくも大聖人の門下に、そんな変な考えを持つ者はほとんどいなかったはずだと考えます。(2010年11月4日のmixi日記)
他宗教では楠は神木扱いされていたのかもしれませんが、そんなこと日蓮大聖人門下の知ったことではありません。(2011年1月22日のmixi日記)
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洗脳法華講員・ブルーシールは、何としてでも日蓮が神木である楠木を切り倒したと言いたいのだろうが、そもそも日蓮は日本の神々を「邪教」「邪信仰」とは言っておらず、仏の所従であり、法味を得て法華経の行者を守護する諸天善神だと言っている。
そんなことは日蓮の遺文(御書)を少しでも紐解けば、明らかである。
「国主をたづぬれば神世十二代、天神七代地神五代なり。天神七代の第一は国常立尊、乃至第七は伊弉諾尊、伊弉冉尊。地神五代の第一は天照大神、伊勢大神宮日の神是なり。乃至第五は彦波さ武うの草葺不合尊、此の神は第四のひこほの御子なり。母は竜女なり。已上地神五代。已上十二代は神世なり。人王は大体百代なるべきか」(『神国王御書』御書全集p1296)
「仏と申すは三界の国主、大梵王・第六天の魔王・帝釈・日月・四天・転輪聖王・諸王の師なり。主なり。親なり。三界の諸王は皆此の釈迦仏より分かち給ひて、諸国の総領・別領等の主となし給へり」(『神国王御書』御書全集p1298)
「氏神に参りてあるついでと候ひしかば、見参に入るならば定めて罪ふかかるべし。其の故は神は所従なり、法華経は主君なり。所従のついでに主君への見参は世間にもをそれ候。其の上尼の御身になり給ひてはまづ仏をさきとすべし」(『三沢抄』御書全集p1204~1205)
「此の時仏出現し給ひて、仏教と申す薬を天と人と神とにあたへ給ひしかば、灯に油をそへ老人に杖をあたへたるがごとく、天神等還って威光をまし勢力を増長せし事、成劫のごとし。仏経に又五味のあぢわひ分かれたり」(『諫暁八幡抄』御書全集p1530)
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