■東京・国立市の大宣寺初代住職・菅野日龍(菅野慈雲)氏の真実4

 

□日蓮正宗の「創価学会・板本尊模刻事件の経緯」は史実に反している3

 

1977(昭和52)119日 大石寺から細井日達法主、宗務院役員が創価学会本部に下向して創価学会創立四十七周年慶祝法要が行われる。創価学会による「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の本尊の模刻板本尊を開眼して、実質的に板本尊模刻を追認。

細井日達法主「私は会長・池田先生を、またよく先生の信心を信じております。この先生あってこそ学会は万全である。また宗門も援助していただける。と深く信じておるのでございます」

池田大作会長「世間では宗門と学会が離反するのではないかと一部で言われておりますが、誠に迷惑至極、なお、僧俗の和合にあたり、短期間のうちに膨大な発展を成し遂げた宗門ならびに学会にとって事実、多少のトラブルはやむを得ないし、それが将来への大いなる結実への第一歩となれば幸いと思っております」(『聖教新聞』1110日付け)

66世日達・池田大作1


1977(昭和52)1117日 池田大作会長が創価学会本部幹部会で会長本仏論を否定

「牧口先生も戸田先生も、また私たちも、全部凡夫であります故に、南無=帰命すべきその根本は、唯一、御本尊であるということを忘れてはならない。すなわち御本仏は日蓮大聖人御一人であるということであります。したがって私どもは、三宝を敬うことは当然」(『聖教新聞』1119日付け)

1977(昭和52)1118日 創価学会が宗務院に「僧俗一致の五原則」を提示。その高圧的な内容が、末寺住職が一斉に反発の色を示す。

1977(昭和52)124日 池田大作会長が九州・日向定善寺本堂新築落慶法要に出席して

「私は愚鈍の身であり、日達猊下にも、わがままを申し上げながらも、いかなる波風にも微動だにしない僧俗和合の妙法の万里の長城をさらに深く広く築いていきたい。どうか御尊師の方々には、私ども信者の、今までのわがままを、ここに謹んでご寛恕くださるよう、お願いしたい」(『聖教新聞』125日付け)と、細井日達法主の面前で、ご寛恕発言。

1977(昭和52)126日 池田大作会長が創価学会全国県長会議で宗門への低姿勢を指示する(『聖教新聞』127日付け)

1977(昭和52)1212日 池田大作会長が大石寺に登山して細井日達法主に目通り

細井日達法主は池田大作会長に「若い僧侶の連中が、創価学会と手を切るとまで言っておるのを私が抑えているんだ。いよいよ手を切るならば、宗会も開いてはっきりしなければならんと思っている」と発言。

1977(昭和52)1212日 第二回日蓮七百遠忌慶讃委員会で、日蓮正宗と創価学会の僧俗協議会の設置を法主の認可で正式決定(『聖教新聞』1213日付け)

1977(昭和52)1228日 法道院信徒209名が離檀する

創価学会の昭和五十二年路線の中で、当初は宗務院が、細井日達法主と創価学会の間をとりなそうとした。が、結果的に板本尊模刻の実質的な追認など、創価学会のペースで進み、あげく創価学会側から高圧的な内容の「僧俗一致の五原則」が提示されたことで、細井日達法主は早瀬日慈総監・宗務院が「創価学会に籠絡されている」という不信感を抱かせることになる。

こういう事態が、逆に細井日達法主の娘婿であった菅野日龍(慈雲)氏の地位を押し上げていくことになる。