現在出版されている、牧口常三郎氏が会長だったころの日蓮正宗(大石寺)と創価教育学会(創価学会)の関係について論じている大半のの文献、解説、歴史資料は、日蓮正宗側、ないしは創価学会側の人物が執筆したもので、内容的には、両者は関係が断絶していたとするものか、ないしは最初からあたかも無関係であったかのような記述になっている。

創価学会・牧口常三郎1


しかしそれは、全くの間違った記述であり、日蓮正宗や創価学会の意図で書いているとしたら、それは信者のみならず、一般国民をも欺瞞する詐欺的な行為と断ぜざるを得ない。

もっとも中立的、ニュートラルな立場にあると思われてきたインターネット・フリー百科事典「Wikipedia」ですら、以下のような偏向的な記事を記載している有様である。

 

「宗務院録事にも創価学会の組織結成を許可した事実が記載されていないため、日蓮正宗と創価学会は一致派日蓮宗と立正佼成会の関係と同じで、正規の信徒団体とは言えないとも指摘されている。日蓮正宗の信徒団体(講中)は末寺住職(指導教師)と信徒の代表が宗務院に「組織結成許可願」を提出し、宗務院で審議の得て日蓮正宗の管長である法主が組織結成許可書に署名押印するが、創価学会は組織許可書の交付も受けていなければ指導教師も初めから存在しておらず、宗内ではゲスト的に扱われていた。」

 

「法華講は日蓮正宗唯一の信徒団体である。各末寺に檀家グループの○○講(講中)が存在し、この○○講の総称を法華講という。法華講は日常の唱題行や総本山への団参登山を行うものとして、宗史上古来より存在していたが、1962年にこれらの○○講の連合体として日蓮正宗法華講全国連合会(略称全連)が結成されて加盟するようになった。この全連は1967年に日蓮正宗法華講連合会(略称連合会)に改称され、現在に至っている。

日蓮正宗の信徒団体を作るには、末寺の住職が信徒団体の指導教師となって信徒団体を作ろうとする代表者と連名で組織結成許可願を宗務院に提出し、宗務院での審議を得て日蓮正宗の管長である法主が組織結成許可書に署名押印して組織結成許可書が交付されて指導教師から○○講に手渡される。これは明治時代からのシステムであるが、第2祖日興の「この法門は師弟子をたゞして仏になる法門にて候なり」(佐渡国法華講衆御返事)の伝統と慣習を踏襲したものであり、組織結成許可書に類する江戸期の古文書も残っている。こうして結成された○○講は、日蓮正宗法華講全国連合会に加盟申請書を提出し、総本山内の日蓮正宗法華講全国連合会事務所(通称法華講事務所)で加盟手続きが行われる。よって組織結成許可願と指導教師のない団体は日蓮正宗の正規の信徒団体とは言えないことになっている。」

 

「各末寺の法華講の役員には講中の代表者の講頭、副講頭、幹事、会計がいるが、法華講の役員はすべて組世話役と定義され、講員に対して指導することは法主や指導教師に対する越権行為とみなされるのでしないことになっている。

日蓮正宗法華講連合会には事務機構上、委員長、副委員長、理事、地方部長などの役職があるが、これも組世話役と定義され、連合会に加盟する各法華講に対して指導・監督することはない。

また名誉職として総講頭、大講頭の称号があるが、信徒を指導することはない。」

(フリー百科事典「Wikipedia」『日蓮正宗』の項目より)

 

おそらくこの記事は、日蓮正宗の信者と思われる者がフリー百科事典「Wikipedia」に書き込んだものと思われる。

昭和初期における宗務院録事に、創価学会の組織結成を許可した事実が記載されていないのは事実であるが、だからといって日蓮正宗と創価学会の関係は、一致派日蓮宗と立正佼成会の関係と同じではない。

創価学会(創価教育学会)は、1937(昭和12)年の発足当時から、日蓮正宗の信徒団体であったし、1991(平成3)年の、いわゆる“破門”以前においても、日蓮正宗宗内において、創価学会がゲスト的に扱われていたということはない。

それどころか日蓮正宗の法主、宗務院首脳、末寺住職たちは創価学会幹部や創価学会の折伏(強引・執拗な入信勧誘)などの活動そのものを絶賛して褒めちぎり、創価学会最高指導者である戸田城聖氏(2代会長)、池田大作氏(3代会長)は日蓮正宗法主から、日蓮正宗信徒のNO1の法華講総講頭に任命され、北条浩氏(4代会長)、秋谷栄之助氏(5代会長)、森田一哉氏(理事長)、原田稔氏(6代会長)、和泉覚氏(理事長)、辻武寿氏(副会長)、小泉隆氏(理事長)…らは、これまた日蓮正宗法主からNO2の法華講大講頭の職に任命されていたではないか。

 

現在のように、末寺の住職が信徒団体の指導教師となって信徒団体を作ろうとする代表者と連名で組織結成許可願を宗務院に提出し、宗務院での審議を得て日蓮正宗の管長である法主が組織結成許可書に署名押印して組織結成許可書が交付されて、日蓮正宗の信徒団体として認証されるシステムが正式にできあがったのは、1941(昭和16)年の日蓮正宗の宗制・宗規改正以降のことであり、ましてや法華講連合会が結成されたのは1962(昭和37)年のことであって、牧口常三郎氏の時代には、それらの片鱗もなかった。フリー百科事典「Wikipedia」は、「明治時代からのシステムである」と言っているが、ごく一部の講中ではそうしていたのかもしれないが、日蓮正宗全体として、そのようなシステムがあったのではない。

だいたい明治時代といえば、まだ総本山大石寺とその末寺が「日蓮正宗」として独立した宗制・宗規を持っていたわけではなく、日蓮宗勝劣派や日蓮宗興門派、本門宗などと連合した宗制をとっていて、総本山大石寺と末寺一派が独立を認めろだの認められないだのと紛争していた時代なのであり、大石寺派(日蓮正宗)だけで、そのようなシステムがとれるわけがないではないか。

総本山大石寺とその末寺が「日蓮正宗」と公称し、独自の宗制・宗規を整えたのは、1912(大正1)年のことである。

このフリー百科事典「Wikipedia」の記事に代表される、日蓮正宗と創価学会が無関係であったかのような記述は、全くの間違った記述であり、意図的に書いているとしたら、偏向を通り越した、欺瞞的な記述と断ぜざるを得ないものである。