1941(昭和16)128日、日本が米英に宣戦布告して太平洋戦争が勃発。日本一国が戦争一色に染まり、既成仏教のみならず、政党、産業界、文化人、教育界…ありとあらゆる国民、ありとあらゆる人たちが、戦争に駆り立てられる役割をになっていった。

日蓮正宗も創価教育学会も、例外なく軍部政府に随従し、戦争翼賛を行った。

創価学会・牧口常三郎2


宗教界のみならず日本一国あげて、戦争遂行のための戦争翼賛を行ったのは、軍部政府による権力の弾圧を畏れてのことだった。

当時の軍部政府が日本の各界を威圧するために使った手段は、不敬罪と治安維持法による弾圧であった。

不敬罪とは、1889(明治22)211日制定の大日本帝国憲法第3条の「天皇は神聖にして侵すべからず」を根拠にするもので、1907(明治40)年制定の改正刑法第74条に

「天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又は皇太孫に対し、不敬の行為ありたる者は、三月以上五年以下の懲役に処す」

と不敬罪を定めている。

 

治安維持法は1925(大正14)422日に制定施行されたもので、第一条には次のように定められていた。

「国体を変革することを目的として結社を組織したる者、又は結社の役員、その他、指導者たる任務に従事したる者は、死刑又は無期、もしくは五年以上の懲役、もしくは禁固に処し、情を知りて結社に加入したる者、又は結社の目的遂行の為にする行為を為したる者は、二年以上の有期の懲役又は禁固に処す」

 

1941(昭和16)3月、この治安維持法は通算で三度目の改定がなされ、新たに「神宮もしくは皇室の尊厳を冒涜」することが、新たに刑罰の対象に加わった。

これは軍部政府による戦争遂行の為の宗教統制強化を目的とししていることは明らかで、事実、これを根拠にして、軍部政府は、宗教団体に対して、ありとあらゆる干渉、介入、取締り、思想統制を行った。

 

日蓮宗各派に対する軍部政府による思想統制、干渉事件としては、「日蓮遺文一部削除問題」と「漫荼羅国神勧請不敬問題」をあげることができる。

日蓮遺文一部削除問題とは、1932(昭和7)年、龍吟社が日蓮六百五十遠忌を記念して出版した『日蓮大聖人御遺文講義』の第十三巻に収録された日蓮遺文「四条金吾殿御返事」「崇峻天皇御書」にある天皇に関する記述が不敬にあたるとして、内務省が削除命令を出して削除させた。

さらに1934(昭和9)4月に刊行された立正大学教授・浅井要麟編纂の『昭和新修日蓮聖人遺文全集』に対して内務省が削除命令を出し、日蓮の遺文に不敬の言句ありとして、マスコミによって報道されて、社会問題化した。

日蓮宗側は、内務大臣、文部大臣に対して遺文削除命令の撤回を要望して交渉を行い、不敬の疑いのある遺文の文言を、宣伝的文書に引用しないことを条件に、削除命令は見合わされた。

 

1937(昭和12)3月には、兵庫県神職会会長・徳重三郎氏らが、日蓮が図顕した大漫荼羅本尊の座配が不敬にあたるとして、神戸地裁に告発した。

これは「天照大神」「八幡大菩薩」という日本の国神が、「釈迦牟尼仏」というインドの「神」よりも低いところに座配になっていることが問題だ、という内容のものであった。

しかしこの告発は却下されて、日蓮宗各派は事なきを得たが、軍部政府からの圧力は日に日に増していった。