1943(昭和18)4月、日蓮正宗は、身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗との合同・合併を辛うじて免れたのだったが、太平洋戦争の進展にともない、かなりヒステリックな様相を強めていた官憲側は、創価教育学会をそのままでは済まさなかった。

官憲側は創価教育学会を日蓮宗合同問題の時からマークしており、すでに創価教育学会の機関誌『価値創造』は、官憲当局の命令で廃刊になっており、さらに創価教育学会の座談会に特高警察の刑事が現れて、しばしば集会を禁止するという情勢になっていた。

 

日蓮正宗・総本山大石寺と日蓮正宗の最大の信徒団体・創価教育学会の間には、神札甘受の問題をめぐって不協和音が発生していた。

牧口常三郎氏は1941(昭和16)年に、一度は、日蓮正宗からの神札甘受の命令を受け入れたものの、狂信的なまでに日蓮正宗の信仰に没頭していた牧口常三郎氏は、神札甘受は日蓮正宗の教義違背の謗法であるとの考えに立っており、ここへ来て創価教育学会は、再び神札甘受を拒否するという行動に出た。

創価学会・牧口常三郎1


日蓮正宗大石寺62世鈴木日恭法主は、1943(昭和18)628日、牧口常三郎氏らを大石寺に呼びつけて、再び神札甘受を命じたが牧口常三郎氏はこれを拒否。日蓮正宗は、神札甘受の命令を聞き入れない創価教育学会幹部たちを大石寺参詣・本門戒壇本尊参拝を禁止する“登山停止”の処分に付した。

 

1943(昭和18)6月、創価教育学会会員で中野支部長という要職にあった陣野忠夫氏が近所の人を折伏(強引で強圧的な入信勧誘)しようとして、その人の子どもが死んだことを仏罰と決めつけことに、その人が怒って陣野忠夫氏を警察に訴えるという事件が発生した。

官憲は、629日、この陣野忠夫氏と創価教育学会理事の有村勝次氏を逮捕してきびしい取り調べを行い、創価教育学会の罪状をつくりあげた。

 

76日、創価教育学会の会長・牧口常三郎氏が治安維持法違反と不敬罪の容疑で、折伏で訪れていた伊豆・下田で逮捕され、翌日、警視庁に護送。

同じく76日には、創価教育学会理事長・戸田城外氏(戸田城聖氏の前の名前)、理事・稲葉伊之助氏、理事・矢島周平氏らが同様の容疑で東京で逮捕された。

創価教育学会幹部の逮捕はその後もつづき、720日には創価教育学会副理事長・野島辰次氏、理事・神尾武雄氏、理事・木下鹿次氏、幹事・片山尊氏が警察に逮捕された。

さらにつづいて逮捕者が相次ぎ、1944(昭和19)3月までに、総勢で21名が警察に逮捕された。

 

さらに日蓮正宗内部にあっては、日蓮正宗僧侶で日蓮正宗寺院弾正教会(現・弾正寺)主管(住職)・藤本蓮城氏も1943(昭和18)616日、不敬罪等の容疑で官憲に逮捕されている。

藤本蓮城氏とは1927(昭和2)年頃、日蓮正宗に入信し、1941(昭和16)年に出家得度して日蓮正宗の僧侶になった。千葉県の日蓮正宗弾正教会を拠点に、強引な布教・折伏活動をしていた。

日蓮正宗は、こういった僧侶や幹部信者の逮捕という情勢の中、藤本蓮城氏を擯斥(ひんせき)処分に付して、日蓮正宗の僧籍を剥奪。牧口常三郎氏、戸田城外氏ら創価教育学会幹部らを信徒除名処分に付して、日蓮正宗宗団から追放するという挙に出た。

戸田城聖2


擯斥(ひんせき)処分とは、いわば僧侶に対する『破門』のこと。信徒除名処分とは、信者に対する『破門』のことだ。要するに、日蓮正宗は官憲に逮捕された藤本蓮城氏や牧口常三郎氏、戸田城外氏らをことごとく『破門』にしてしまったのである。

 

牧口常三郎氏、戸田城外氏らは、「神札を甘受せよ」という「法主の命令に従わなかった」のであるから、これは充分に登山停止・破門の大義名分になり得る。

仮に日蓮正宗の本音が、官憲に逮捕された厄介者の牧口常三郎氏、戸田城外氏らを「切りたい」ということであったとしても、牧口氏らは「神札を甘受せよ」という「法主の命令に従わなかった」のであるから、むざむざ破門の大義名分・口実を与えてしまったことは動かない。

ちなみに1992(平成4)年、創価学会三代会長・池田大作氏が日蓮正宗から信徒除名処分を受けているが、創価学会初代、二代、三代の会長は全員、日蓮正宗からの『信徒除名』(破門)を経験しているという、共通項があるのである。