1943(昭和18)年8月25日、官憲に逮捕された創価教育学会会長・牧口常三郎氏は、巣鴨拘置所に移され、11月20日、治安維持法違反と不敬罪の容疑で、その予審請求を東京地裁に出された。創価教育学会の会長・牧口常三郎氏と理事長・戸田城聖氏は、太平洋戦争に反対したのではない。彼等は日蓮正宗の他宗排撃の教義により、伊勢神宮の神札を受けず、また燃やしたにすぎず、せいぜい太平洋戦争に勝つために、神道を奉じている日本政府の誤りを諫めるという立場を固執したにすぎになったのである。
このことは、以下の文献や証拠に明らかである。
1942(昭和17)年12月31日発行の『大善生活実証録』(創価教育学会第5回総会報告)を見ると、総会では軍歌が歌われ、西川理事が、
「いまや、皇国日本が北はアリューシャン群島方面より遙かに太平洋の真ん中を貫き、南はソロモン群島付近にまで及び、更に南洋諸島を経て、西は印度洋からビルマ支那大陸に将又蒙彊(もうきょう)満州に至るの広大な戦域に亘り、嚇々(かくかく)たる戦果を挙げ、真に聖戦の目的を完遂せんとして老若男女を問わず、第一線に立つ者も、銃後に在る者も、いまは恐らくが戦場精神によつて一丸となり、只管(ひたすら)に目的達成に邁進しつゝあることは、すでに皆様熟知されるところである」
等と述べている。
また戸田城聖氏が妙悟空のペンネームで執筆した著書『小説・人間革命』によれば、このころ牧口常三郎氏は戸田城聖氏らに対して、
「国家諫暁(こっかかんぎょう)だね。陛下に広宣流布の事を申し上げなければ日本は勝たないよ。これを御本山に奏請(しんせい)して、東京僧俗一体の上に国家諫暁をしなければ国はつぶれるよ。並大抵でない時に生まれ合わしたね」
等と教えていたことが書かれている。
牧口常三郎氏は、逮捕・投獄された後、一人だけ残った息子の洋三の戦死を知らされ、その嫁に獄中から返事をしたためた書簡を送っているが、その中で牧口常三郎氏は、
「…びっくりしたよ。がっかりもしたよ。洋三戦死の御文、…病死ニアラズ、君国ノタメニ戦死ダケ。(だから)名誉トアキラメテ唯ダ冥福ヲ祈ル。信仰が一ばん大切ですよ。百年前、及びその後の学者共が、望んで手を着けない『価値論』を私が著し、而も上は法華経の信仰に結びつけ、下、数千人に実証したのを見て、自分ながら驚いて居る。これ故、三障四魔が粉起するのは当然で、経文の通りです」(佐木秋夫・小口偉一『創価学会』より)
と記している。
戦場精神によって一丸、君国のための戦死、名誉とあきらめて、といった言葉のどこに反戦の思想などうかがえるだろうか。
さらに前出の1942(昭和17)年12月31日発行の『大善生活実証録』(創価教育学会第5回総会報告)の中で、牧口常三郎氏は
「吾々は日本国民として無条件で敬神崇祖をしてゐる。しかし解釈が異なるのである。神社は感謝の対象であって、祈願の対象ではない。吾々が靖国神社へ参拝するのは『よくぞ国家の為に働いて下さった、有り難うございます』というお礼、感謝の心を現はすのであって、御利益をお与え下さい、といふ祈願ではない。もし『あゝして下さい、こうして下さい』と靖国神社へ祈願する人があれば、それは、恩を受けた人に金を借りに行くやうなもので、こんな間違った話はない。
天照大神ばかりにあらせられず、神武以来御代々の天皇様にも、感謝奉つてゐるのである。万世一系の御皇室は一元的であって、今上陛下こそ現人神であらせられる。即ち、天照大神を初め奉り、御代々の御稜威(ごりょうい)は現人神であらせられる今上陛下に凝集されてゐるのである。されば、吾々は、神聖にして犯すべからずとある『天皇』を最上と思念し奉るものであって、昭和の時代には、天皇に帰一奉るのが国民の至誠だと信ずる。(中略)天照大神のお札をお祭りするとかの問題は万世一系の天皇を二元的に考へ奉る結果であって、吾々は現人神であらせられる天皇に帰一奉ることによって、ほんとうに敬神崇祖することが出来ると確信するのである。また、これが最も本質的な正しい国民の道だと信ずる次第である」
などと述べている。
又、戦前の創価教育学会を知っているジャーナリストの一人が、逮捕・投獄前の牧口常三郎氏の講話を次のように証言している。
「牧口会長の講話は、いつもこの点に触れ、蒙古襲来のときの日蓮をひきあいに出して、日本の戦勝は、みな御本尊の正統を受け継ぐ日蓮正宗の信仰の力によるものであり、日本はやがて全世界を統一し、『王仏冥合』によって、日蓮正宗こそが世界のすべての中心となり、世界人類の救済者となる----というのが、要するに、その結論であった」(『赤旗』1970年2月19日号)
これらに明らかな創価教育学会・牧口常三郎氏・戸田城聖氏らの思想が、決して戦争反対や絶対平和主義などと相いれるものではないことは明白だ。
この牧口常三郎氏・戸田城聖氏らが「戦争に反対した」などというウソは、池田大作氏が創価学会の会長に就任して以降、出てきたものだ。いわば池田大作捏造のウソといえる。
この「戦争反対」のウソは、入信神話のウソと同様に、池田大作個人の利益を計るためのウソであることは明らかなのだが、またそれとは別の一面として、創価学会内部の会員むけのみならず、外側からは蛇蝎のごとくに忌み嫌われている創価学会の対外的な、社会的な信用、社会的な正当性を得たいという野望のもとのウソであったとも言えるのではないだろうか???
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