■検証104・「戒壇の大本尊」は大石寺9世日有が偽作した証拠6(三大秘法の鼓吹・宣揚)2

 

□松岡幹夫氏「日蓮正宗の神話」の左京阿闍梨日教・三大秘法初出説は誤りである

 

元日蓮正宗僧侶で、現在、東洋哲学研究所研究員、学術博士の松岡幹夫氏は、大石寺9世日有の時代の大石寺の僧侶・左京阿闍梨日教が三大秘法をはじめて日蓮正宗大石寺門流の根本の教義として自覚的に規定し鼓吹・宣揚した理由について、自らの著書「日蓮正宗の神話」の中で

「日教が『本門三箇の秘法』を日蓮仏教の根幹と考えた理由としては、まず『三大秘法抄』を読んでいたことが大きいと思われる」(『日蓮正宗の神話』p75より)

と述べているが、これは全く誤った見解である。

日蓮正宗の神話1


松岡幹夫氏の説の最大の誤りは、日蓮正宗大石寺9世法主・日有と左京阿闍梨日教の関係の検証、なかんずく左京阿闍梨日教の著書における教学が、実は日有が発明・偽作した教学であり、左京阿闍梨日教は、大石寺法主である日有の教学の強い影響の下で、これらの著書を書いたという重大な視点における検証が全く欠落しているということである。

 

もう一つの理由は、日蓮が「三大秘法抄」の中で説いた三大秘法の内容と、日有や日教をはじめ、日蓮正宗大石寺が説いている「三大秘法」の内容が違っている、という点における検証を全く書いているということである。

 

□日蓮正宗大石寺の「三大秘法」は日蓮が説いた「三大秘法」とは別個のもの

 

日蓮は、自らの遺文(御書)の「三大秘法抄」では「本門の本尊」「本門の戒壇」について、次のように書いている。

「寿量品に建立する所の本尊は、五百塵点の当初より以来、此土有縁深厚・本有無作三身の教主釈尊是なり」(大石寺編纂の「平成新編御書全集」p1594より)

「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり。三国並びに一閻浮提の人、懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等の来下して踏み給ふべき戒壇なり」(大石寺編纂の「平成新編御書全集」p1595

 

つまり日蓮は、本尊とは釈迦牟尼の仏像であり、戒壇(事の戒壇・事の戒法)とは、天皇から民衆まで総ての人たちが日蓮の仏法を信仰した時に建立すべきと言っている。

これに対して、日蓮正宗が言う本門の本尊とは、日蓮正宗大石寺に格蔵している「戒壇の大本尊」なる黒漆塗りに金箔加工を施した豪華絢爛な板本尊であり、日蓮正宗が言う本門の戒壇(事の戒壇)とは

「大石は父の寺…、父の大石は本尊堂…此は能生、即本因、本果、本国土妙の三妙合論の事の戒壇なり」(日有の説法を筆録した「新池抄聞書」)

-----大石寺は例えて言えば父親のような本山寺院であり、…父の大石寺は「本門戒壇の大御本尊」を安置している本尊堂があり…衆生を成仏に導く根本の寺であり、即ち、「本門戒壇の大御本尊」を安置している本尊堂がある大石寺こそ、本因、本果、本国土妙の三妙合論の事の戒壇なのであり、根本の寺院・道場なのである。-------

とあるように、日有が偽作した「戒壇の大本尊」なる板本尊が安置されている堂宇・伽藍が「事の戒壇」であるというものである。

日蓮の「三大秘法」は、あくまでも題目根幹・題目中心であるのに対して、日蓮正宗大石寺の「三大秘法」は、「題目を唱えても、大石寺の御本尊を拝まなかったらダメ。大石寺の御本尊を拝んでも、大石寺の『戒壇の大本尊』に参拝しなかったらだめ」という、戒壇中心の三大秘法であり、これは大石寺9世日有が発明した、日有独自の三大秘法である。

左京阿闍梨日教が説いている「三大秘法」は、日有独自の三大秘法である。

したがって、日蓮正宗大石寺の「三大秘法」の内容は、日蓮の「三大秘法」の内容とは明らかに違っている。名前は同じ「三大秘法」としても、その内容は全く別個のものである。

したがって、日蓮が説いた「三大秘法」と、日有独自の戒壇中心の「三大秘法」を全く混同して

「日教が『本門三箇の秘法』を日蓮仏教の根幹と考えた理由としては、まず『三大秘法抄』を読んでいたことが大きいと思われる」(『日蓮正宗の神話』p75より)

と書いている松岡幹夫氏の説は全くの誤りであると断ずるのである。