日蓮正宗の能化(のうけ)とは、権僧正以上の僧階の僧侶。

□大僧正(法主及び法主経験者)

□権大僧正(学頭・次期法主内定者)

□僧正

□権僧正

この僧階が、能化に該当する。

又、能化とは、生きているうちに日号の名前を公称することが許されている高僧のこと、という言い方も出来る。

日蓮正宗の宗規によれば

僧侶は教師となったときは道号に、権僧正に補任されたときは日号に改名しなければならない」

と規定されている。

例えば、早瀬日慈(今の早瀬日如法主の父親)、早瀬日如、鎌倉日桜、藤本日潤、吉田日勇、大村日統、尾林日至、菅野日龍、光久日康、秋山日浄、有元日仁、高野日深、高野日海、渡辺日容、…といったようにです。

早瀬日慈2

 

院号とは、日蓮正宗宗規で「権大僧正、僧正、権僧正及び法主の免許した僧侶の称号」と規定されている。通常、大僧都から能化に昇進するときに、法主から院号が下賜される。

例えば、信乗院日淳(堀米日淳)、観妙院日慈(早瀬日慈)、常聡院日如(早瀬日如)、観岳院日桜(鎌倉日桜)、常布院日康(光久日康)、常観院日龍(菅野日龍)、常宣院日至(尾林日至)

といったようにである。

 

阿闍梨号は、日蓮正宗宗規で「権僧都以上にして法主の免許した僧侶の称号」と規定されている。房号は日蓮正宗宗規では「教師の称号」と規定されている。

権僧都以上の教師僧侶は、阿闍梨号・房号がある、例えば

妙観阿闍梨精道房(細井日達)、越洋阿闍梨信雄房(阿部日顕)、妙恵阿闍梨義寛房(早瀬日如)、高松阿闍梨寛全房(鎌倉日桜)、妙静阿闍梨淳孝房(渡辺淳孝)、妙恭阿闍梨慈篤房(河辺慈篤)、安立阿闍梨求道房(高見求道)、妙昇阿闍梨秀顕房(石川秀顕)、安行阿闍梨法重房(須賀法重)、…といったようにである。

したがって、院号>阿闍梨という言い方ができる。

 

阿闍梨号や房号は、六老僧や日蓮在世の僧侶にも見られるが、院号がいつごろから使用されるようになったか、あるいはこれに関連して、本是院日叶→左京阿闍梨日教への改名問題が関連付けられる。

本是院日叶(1428?)は、出雲地方の日尊門流の寺院・朝山妙蓮寺日耀の門に入って本是院日叶と名乗り、当時の日尊門流・住本寺にも住している。1472(文明4)年ころ、日叶は、日蓮正宗大石寺9世法主日有の門下に帰伏し、1472(文明4)年から、日有が死去する1482(文明4)年の間に、左京阿闍梨日教と改名している。

そうすると、阿闍梨号は権僧都以上の教師に下賜される号なのに、能化以上に下賜される院号から、阿闍梨号に改名するというのは、おかしいじゃないか、という議論がある。

しかし、この疑問は的外れであり、室町時代の状況をよく鑑みなくてはならない。

院号が能化以上に下賜される号で、阿闍梨号は権僧都以上の教師に下賜される号であるというのは、今の大石寺一門の話であり、室町時代の大石寺一門がそうだったわけではない。

大石寺で最初に院号の法名を使ったのは、大石寺17世法主の了玄院日精(16001683)であり、それ以前の法主はだれも院号を名のっていない。したがって、大石寺の僧侶が院号を名のるようになったのは17世紀以降のことであり、日有の代の大石寺一門には、院号を名のる風習はなかったと考えられるわけです。

 

ところが本是院日叶が最初に出家した日尊門流では、古くから院号を名のっている。

日尊門流で最初に院号を名のったのは、日尊門流の本山・京都要法寺の前身・上行院6代貫首(要法寺7)是妙院日円(?1354)で、これ以降、京都要法寺のもうひとつの前身・住本寺貫首も、上行院と住本寺が合併して要法寺になってからの要法寺貫首も、全員が院号を名乗っている。

この事からして、日尊門流には、14世紀から僧侶が院号を名のる風習があったと考えられる。

本是院日叶(1428?)は、院号を名乗る風習があった日尊門流から、当時は院号を名乗る風習がなかった大石寺門流に帰伏したわけですから、大石寺帰伏後に、本是院日叶から左京阿闍梨日教に改名しても、何の不思議もないと言えよう。