具謄本種・正法実義・本迹勝劣正伝・本因妙の教主・本門の大師・日蓮謹て之を結要す 

万年救護写瓶の弟子日興に之を授与す云云。脱種合して一百六箇之れ在り。

霊山浄土・多宝塔中・久遠実成・無上覚王・直授相承、本迹勝劣・口決相伝の譜、久遠名字より已来た本因本果の主、本地自受用報身の垂迹、上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮詮要す。

一、理の一念三千・一心三観の本迹、  三世諸仏の出世成道の脱益寿量の義理の三千は、釈迦諸仏の仏心と妙法蓮華経の理観の一心とに蘊在せる理なり。

   〈本迹〉 〈経の本迹は常の如し〉 

二、大通今日法華の本迹、 久遠名字本因妙を本として中間・今日下種する故に、久成を本と為し、中間・今日の本迹を倶に迹と為る者なり。

三、応仏一代の本迹、 久遠下種・霊山得脱・妙法値遇の衆生を利せんが為に、無作三身寂光浄土従り三眼三智をもつて九界を知見し、迹を垂れ権を施し後に説く妙経の故に、今日の本迹共に迹と之を得る者なり。

四、迹門為理円の一致の本迹、 松柏風波万声一如、諸法実相の理上の観心は、応仏の域を引かえたる故に、本迹とは別れども、唯理の上の法相なれば本迹理観の妙法と顕す。迹化は付属無きが故に之を弘めず。

   〈母の義なり〉  〈地の義なり〉 

五、心法即身成仏の本迹、 中間今日も迹門は心法の成仏なれば、華厳・阿含・方等・般若・法華の安楽行品に至るまで円理に同ずるが故に、迹は劣り本は勝るる者なり。

   〈女の義なり〉 

六、心法妙法蓮華経の本迹、 山家の云く「一切の諸法は従本已来、不生不滅性相凝然、釈迦口を閉ぢて身子言を絶す」云云。

方便品には理具の十界互具を説く。本門に至て顕本理上の法相なれば、久遠に対して之を見るに、実相は久遠垂迹の本門なる故に色法に非るなり。

七、従因至果中間今日の本迹、 像法の修行は天台・伝教弘通の本迹は、中間今日の迹門を因と為し本門修行を果と為るなり。

八、本果の妙法蓮華経の本迹、 今日の本果は従因至果なれば本の本果には劣るなり。

寿量の脱益、在世一段の一品二半は、舎利弗等の声聞の為の観心なり。我等が為には教相なり。情は迹劣本勝なり。

又滅後・像法・相似・観行・解了の行益も以て是くの如し。南岳・天台・伝教の修行の如く末法に入て修行せば、帯権隔歴の行と成て我等が為には虚戯の行と成るべきなり。日蓮は一向本、天台は一向迹、能く能く之を問ふべし。

疏の九に云く「爾前皆虚にして実ならず、迹門は一虚一実、本門は皆実不虚」云云。

百六箇抄1


爾前二種の失の事、一には存行布故仍未開権とて、迹門の理の一念三千を隠せり、二には言始成故尚未発迹とて、本門の久遠を隠せり。迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説て、爾前二種の失一つ脱がれたり。

本門に至て迹門の十界因果を打破る、是即ち本因本果の法門なり。実の一念三千も顕れず、二乗作仏も定らず云云。

世間の罪に依て悪道に堕ん者は爪上の土、仏法に依て悪道に堕ちん者は十方の土の如し。故は信心の根本は本勝迹劣、余の信心は枝葉なり。

九、余行に渡る法華経の本迹、 一代八万の諸法は本因妙の下種を受けて説く所の教なるが故に、一部八巻乃至一代五時次第梯隥は、名字の妙法を下種して熟脱せし本迹なり。

十、在世観心法華経の本迹、 一品二半は在世一段の観心なり、天台の本門なり。日蓮が為には教相の迹門なり云云。

十一、脱益の妙法の教主の本迹、 所説の正法は本門なり、能説の教主釈尊は迹門なり。法自ら弘まらず、人法を弘るが故に人法ともに尊し。

十二、脱益の今此三界の教主本迹、 天上天下唯我独尊は、迹身門、密表寿量品の「今此三界」は即本身門なり。

十三、脱益像法時尅弘経の本迹、 天台の本迹は倶に日蓮が迹門なり。時尅亦天地の不同之在り。 

十四、脱益の迹門修行の本迹、 正法一千年の修行の徳より、像法一日の徳は勝れたるなるべし。

十五、脱益迹門自解仏乗修行の本迹、 熟益は迹、脱益は本なり。之に就て之を思惟すべし。

十六、脱の五大尊の本迹、 他受用応仏は本、普賢・文殊・弥勒・薬王は迹なり。

   〈本迹天台〉 

十七、脱の真俗二諦の本迹、 天台大師弘通の本迹前十四品は迹門に約し、後の十四品は本門に約す云云。「是法住法位 世間相常住」文。

十八、前十四品悉く流通分の本迹、 如来の内証は序品より滅後正像末の為なり。薬王菩薩は像法の主天台是なり。密表の法師品に云く「今此三界」文。

十九、脱益理観一致の本迹、 「本迹殊なりと雖も不思議一」と云ふは、今日乃至中間の本迹は本迹と分別すれども、本因妙を下種として説く所の本迹なれば、迹の本は本に非ず云云。

二十、脱益戒体の本迹、 爾前・迹門・塾益の戒体を迹とし、脱益の戒体を本と為るなり。迹門の戒は爾前大小の戒に勝れ、本門の戒は爾前迹門の戒に勝るるなり。

二十一、脱の迹化七面の本迹、 像法には理観を本と用ふるなり故に天台は迹を本と為し、本を迹と行ずるなり。

二十二、脱の迹化本尊の本迹、 一部を本尊と定むるに前十四品は迹、後十四品は本と云云。是は一部八巻なり云云。

二十三、脱益守護神の本迹、 守護する所の法華は本、守番し奉る処の神等は迹なり。本因妙の影を万水に浮べたる事は治定と云云。

百六箇抄1

百六箇抄2