■検証136・犀角独歩氏の「戒壇の大本尊」再造説は誤りである4

 

□「戒壇の大本尊」が火災・戦災で焼亡し何度も再造されてたとする犀角独歩説は誤り

 

ところでかつて510年間も「戒壇の大本尊」なる板本尊が格蔵されていた土蔵造りの大石寺宝蔵には、他にも紫宸殿本尊、死活本尊、紫宸殿本尊の模刻板本尊、諫暁八幡抄などの日蓮遺文など、数多くの大石寺重宝が格蔵されていて、これらの重宝は何ら無傷のまま保存されている。

それにも関わらず、「戒壇の大本尊」なる板本尊だけが焼亡したとする犀角独歩氏の説には、最初から無理があり、仮説としても成立していないと言うべきである。

犀角独歩13

 

「それなら戦災で焼亡しただろう」と言うのであろうが、大石寺の長い歴史の中で、「戦災」と呼べるものは、1569(永禄12)6月、大石寺13世日院の代に起こった、甲斐国・信濃国の戦国大名・武田信玄軍の侵攻による被害ぐらいであろう。

日蓮正宗大石寺側の史料・文献には、次のように記載されている。

 

「永録十二年己巳二月七日重須の堂を焼き、同六月当山堂閣を焼き僧衆を責む、剰へ永録十三年信玄出陣し当山の境内を以て陣屋となして・根方興国寺城之を責む」

「当山の堂舎を焼くのみに非ず・其時の呵責言語に絶するなり・具に記文の如し、今日因云く大石原既に陣屋となる故に信玄興国寺城を責めんと欲して・先づ永録十二年当山及び在家を焼き払い・而して陣屋を造るのみ」

(『富士宗学要集』1p197「有師物語聴聞抄佳跡上」)

 

文中に「当山堂閣を焼き」「当山の堂舎を焼く」と書いてあるので、足利義教や織田信長が行った比叡山延暦寺焼き打ちを連想してしまいがちだが、武田信玄軍が本当に大石寺の堂宇に火を放ったのかどうかについては、まことに疑わしいものがある。

というのは、日本の歴史で、対立する二つ以上の軍勢の戦争で、結果として、堂宇が焼け落ちるなどの戦災を被った寺院は、いくつもある(東大寺・本能寺等)が、将軍や大名が仏教寺院と戦争をして寺院の堂宇に火を放ったなどという事例は、皆無だからである。

日本で自ら仏教寺院に火を放って焼き討ちにした武将は、織田信長だけ。しかも織田信長の「比叡山延暦寺焼き打ち」は、従っていた大名たちは当初は猛反対をしたのである。決して喜んで「比叡山延暦寺焼き打ち」を行ったわけではない。

 

しかも武田信玄という人は、出家して仏門に入った僧侶になっており、信玄とは出家した名前・法名なのである。つまり武田信玄は、戦国大名ではあるが、同時に僧侶なのであり、仏教勢力の一員であるということ。その信玄は、比叡山延暦寺が織田信長によって焼き討ちにされて壊滅状態になり、比叡山の僧侶が泣きついてきたときに、「いっそのこと比叡山延暦寺を甲斐国に引っ越しさせたらどうか」などという好意的な申し出をしている。

又、信濃国にあった日本有数の名刹・善光寺を「戦乱の世の中、信州では何かと危険だ」という大義名分の元、強引に甲斐国に移転させている。しかも「有師物語聴聞抄佳跡上」に書いてある「当山堂閣を焼き」「当山の堂舎を焼く」との内容は、大石寺31世日因が、武田信玄在世よりも約200年後に書いた文であるから、信憑性がますます低いといえる。したがって大石寺9世日有が偽作した「戒壇の大本尊」なる板本尊は、戦災で滅失した可能性はないと結論づけられるものである。

 

そもそも何度も戦災による被害を被った京都・本能寺や比叡山延暦寺、園城寺が、幾多の重宝を戦災から守って今日に伝えているという事実がある。

元治元年(1864)7月の「蛤門の変」で、京都・本能寺の堂宇が焼け落ちているが、このとき、本能寺86代日高が、開祖・日隆の木像を背負い、日蓮の御影像は庭前の蓮池に一時沈めて、東山・東漸寺に避難したことが冊子「本能寺」に載っている。

京都本能寺は開創以来、たび重なる焼き討ち、「応仁の乱」「天文法華の乱」「本能寺の変」「蛤門の変」などの戦災、京都大火などの火災にあい、現本堂は7度めの再建によるものだが、そういう中を、数多くの重宝を今日に伝えている。

昭和201945)年の東京大空襲で池上本門寺の堂宇はことごとく焼失してしまっているが、燃えさかる大堂の中から、正応元年(1288)6月造立の日蓮御影像が救出されている。

同じく東京大空襲で、東京・芝の増上寺も伽藍のほとんどを焼失したが、秘仏・黒本尊をはじめ数多くの重宝は戦災を逃れて、今日に伝承している。

1571(元亀2)9月、織田信長が比叡山延暦寺を焼き討ちにし、延暦寺の根本中堂をはじめ伽藍のほとんどが灰燼に帰したが、伝教大師最澄が造立したとされる秘仏・薬師如来像は戦災を逃れて今日に現存している。

永保元年(1081)に白河院の綸旨により園城寺に建壇された三麻耶戒壇に反対する比叡山延暦寺によって園城寺は、何度も破脚・焼き討ちに遭うという被害を受けているが、秘仏・弥勒菩薩像をはじめ多くの秘仏・重宝を今日に伝えている。

 

よって「戦災があったから焼亡した」という犀角独歩氏の説は、あまりにも短絡的すぎるものだ。

以上のような多方面からの検証により、大石寺の「戒壇の大本尊」が火災や戦災で焼亡したから、何度も再造されているという犀角独歩氏の説は誤りであると断定するものである。