文句の七面の決とは。一に依名の一面、其の義上の如し。

二に感応の一面、三時弘経に亘るべし。爾前迹門の正像二千年弘経の感応より、本門末法弘通の感応は真実真実勝るなり。

三に四教の一面、四に五時の一面、五に本迹の一面、六に体用の一面、七に入己心の一面、悉く皆其の心前に同じ。

智威大師の伝には、玄義文句の両部には爾前迹門に各三十重の浅深を以て口決し給へり。具には伝教大師七面決の如し。

 

又摩訶止観一部には十重顕観を立てて是を通じ給へり。

 

一は待教立観。爾前本迹の三教を破して不思議実理の妙法蓮華経の観を立つ。文に云く「円頓者初縁実相」云云。

迹門を理具の一念三千と云ふ、脱益の法華は本迹共に迹なり。本門を事行の一念三千と云ふ、下種の法華は独一の本門なり。是を不思議実理の妙観と申すなり。

二に廃教立観。心は権教並に迹執を捨て、本門首題の理を取て事行に用ひよとなり。

三に開教顕観。文に云く「一切諸法本是仏法、三諦の理を具するを名けて仏法と為す。云何んぞ教を除かん」云云。文意は観行理観の一念三千を開して、名字事行の一念三千を顕す。大師の深意・釈尊の慈悲・上行所伝の秘曲是なり。

四に会教顕観。教相の法華を捨てて観心の法華を信ぜよと。

五に住不思議顕観。文に云く「理は造作に非ず故に天真と曰ふ、証智円明なるが故に独朗と云ふ」云云。釈の意は、口唱首題の理に造作無し。今日熟脱の本迹二門を迹と為し、久遠名字の本門を本と為す。

信心強盛にして唯余念無く南無妙法蓮華経と唱へ奉れば凡身即仏身なり。是を天真独朗の即身成仏と名く。

 

問て曰く、前代に此の法門を知れる人之有りや。答て曰く、之有り。求めて云く、誰人ぞや。示して云く、釈尊是なり。

尋ねて云く、仏を除き奉て余に之を知れる人師論師有りや。答て曰く、天台の云く「天親竜樹 内鑑冷然 外適時宜」と。

今日の南無妙法蓮華経は南岳・天台・妙楽・伝教の内鑑冷然 外適時宜なり。内鑑冷然 外適時宜の修行の日は本迹一致なり。

有智無智を嫌はず「円頓者初縁実相の理は造作に非ざる故に天真と曰ふ、証智円明の故に独朗と曰ふ」と云て、理位観行に趣かしめて利益を為し、末法の時を待つ者なり。

本因妙抄1


故に天台云く「但当時大利益を獲るのみに非ず、後五百歳遠く妙道に霑ふ」云云。

天台・章安・妙楽・伝教等の大聖は、内証は本迹勝劣、外用は本迹一致なり。

其の故は教相も観心も相似・観行解了の人師、時機亦像法なり。

付属は即妄授余人、御身も亦迹化の衆観音・妙音・文殊・薬王等の化身なり。

今末法は本化の菩薩等の出世の境、本門流宣の時剋なり。何ぞ理観を用て事行を修せざらんや。

予が所存は内証・外用共に本迹勝劣なり。若し本迹一致と修行せば、本門の付属を失ふ物怪なり。

 

本迹の不同は処処に之を書す。然りと雖も宿習拙き者本迹に迷倒せんか。

若し本迹勝劣を知らずんば、未来の悪道最も不便なり。宿業を恥じず還て予を恨むべきか。

我が弟子等の中にも天台・伝教の解了の理観を出でず、本迹に就て一往勝劣再往一致の謬義を存して、自他を迷惑せしめんの条宿習の然らしむる所か。

閻浮提第一の秘事為りと雖も、万年救護の為に之を記し留る者なり。

我が未来に於て予が仏法を破らん為に、一切衆生の元品の大石第六天の魔王、師子身中の蝗蟲と成て、名を日蓮に仮て本迹一致と云ふ邪義を申し出して、多の衆生を当に悪道に引くべし。

若し道心有らん者は彼等の邪師を捨てて、宜く予が正義に随ふべし。

正義とは本迹勝劣の深秘、具騰本種の実理なり。日蓮一期の大事なれば、弟子等にも朝な夕なに教へ、亦一期の所造等悉く此の義なり。

然りと雖も迹執を出でず、或は軽〈見惑〉或は蔑〈思惑〉或は痴〈塵沙惑〉或は迷〈無明惑〉故に日蓮が立義を用ひざるか。

予が教相・観心は理即名字・愚悪愚見の為なり。日蓮は名字即の位、弟子檀那は理即の位なり。

上行所伝結要付属の行儀は、教観・判乗、皆名字即五味の主の修行なり。

故に教相の次第要用に依るべし。唯大綱を存する時は余は網目を事とせず。

彼は網目、此れは大綱、彼は網目の教相の主、此れは大綱首題の主。

恐くは日蓮の行儀には天台・伝教も及ばず。何に況や他師の行儀に於てをや。

唯在世八箇年の儀式を移して、滅後末法の行儀と為す。

然りと雖も仏は熟脱の教主、某は下種の法主なり。

彼の一品二半は舎利弗等の為には観心たり、我等凡夫の為には教相たり。

理即但妄の凡夫の為の観心は、余行に渡らざる南無妙法蓮華経是なり。

是くの如く深義を知らざる僻人出来して、予が立義は教相辺外と思ふべき者なり。此等は皆宿業の拙き修因感果の至極せるなるべし。 彼の天台大師には三千人の弟子ありて、章安一人朗然なり。伝教大師は三千人の衆徒を置く、義真已後は其れ無きが如し。 今以て此くの如し。数輩の弟子有りと雖も、疑心無く正義を伝ふる者は希にして一二の小石の如し。秘すべきの法門なり。