第六に住教顕観。七に住教非観。八に覆教顕観。九に住教用観。十に住観用教。此の五重は上の五重の如し思惟すべし。

 

問て云く、本迹雖殊不思議一、本迹の教に於て別して不思議の観理を顕はす故にと云云。

機情に約すれば本迹に於て久近の異有るべし、是れ一往の浅義なり。内証に約して之を論すれば勝劣有るべからず、再往の深義は不思議一なり云云。如何が意を得べけんや。

答て云く、住教顕観は煩悩即菩提、住教非観は法性寂然、覆教顕観は名字判教、住教用観は不思議一、住観用教は以顕妙円と申す大事是なり。

教観不思議天然本性の処に独一法界の妙観を立つ。是を不思議の本迹勝劣と云ふ。

亦絶待不思議の内証不可得・言語道断の勝劣は、天台・妙楽・伝教の残す所、我が家の秘密観心直達の勝劣なり。

迹と云ふ名ありと雖も、有名無実・本無今有の迹門なり。

実に不思議の妙法は唯寿量品に限る、故に不思議一と釈するなり。

迹門の妙法蓮華経の題号は、本門に似ると雖も義理天地を隔つ、成仏亦水火の不同なり。

久遠名字の妙法蓮華経の朽木書なる故を顕さんが為に一と釈するなり。

末学疑網を残すこと勿れ、日蓮霊山会上多宝塔中に於て、親たり釈尊より直授し奉る秘法なり。甚深甚深、秘すべし秘すべし、伝ふべし伝ふべし。

 

摩訶止観七面口決とは、依名判義、附文元意、寂照一相、教行証、六九二識、絶諸思慮、出離生死の一面〈已上〉。

伝教大師云く「一切諸法 従本已来 不生不滅 性相凝然 釈迦閉口 身子絶言」云云。是は迹門、天台止観の内証なり。

本門日蓮の止観は、釈迦は口を開き文殊は言語す。迹門不思議不可説、本門不思議可説の証拠の釈是なり。

亦三大部に於て一同十異・四同六異之有り。伝教、仏立寺より之を口決す。

一同とは名同なり。十異とは、名同義異・所依異・観心異・傍正異・用教異・対機異・顕本理異・修行異・相承異・元旨異なり。

四同とは名同・義同・所依同・所顕同なり。六異とは、釈異・大綱網目異・本末異・観心異・教内外観異・自行化他異・是なり。

今要を以て之を言はば、迹・本・観心、同名異義なり。始終本末共に修行も覚道も時機も感応も皆勝劣なり。

本因妙抄1 


此の下二十四番勝劣なり。彼の本門は我が迹門。彼の勝は此の劣。彼の深義は予が浅義。彼の深理は此の浅理。彼が極位は此の浅位。彼の極果は此の初心。

彼の観心は此の教相。

彼は台星の国に出生す、此れは日天の国に出世す。

彼は薬王此れは上行。

彼は解了の機を利す、此れは愚悪の機を益す。

彼の弘通は台星所居の高嶺なり、此の弘経は日王能住の高峰なり。

彼は上機に教へ、此れは下機を訓ず。

彼は一部を以て本尊と為し、此れは七字を本尊と為す。

 

彼は相対開会を表と為し、此れは絶対開会を表と為す。

彼は熟脱、此れは下種。

彼は衆機の為に円頓者初縁実相と示し、此れは万機の為に南無妙法蓮華経と勧む。

彼は悪口怨嫉、此れは遠島流罪。

彼は一部を読誦すと雖も二字を読まざること之在り、此れは文文句句悉く之を読む。

彼は正直の妙法の名を替へて一心三観と名く、有の儘の大法に非ざれば帯権の法に似たり、此れは信謗彼此決定成菩提、南無妙法蓮華経と唱へかく。

 

彼は諸宗の謬義を粗書き顕すと雖も未だ言説せず、此れは身命を惜まず他師の邪義を糺し三類の強敵を招く。

彼は安楽普賢の説相に依り、此れは勧持不軽の行相を用ゆ。

彼は一部に勝劣を立て、此れは一部を迹と伝ふ。

彼は応仏のいきをひかふ、此は寿量品の文底を用ゆ。彼は応仏昇進の自受用報身の一念三千・一心三観、此れは久遠元初の自受用報身・無作本有の妙法を直に唱ふ。

此れ等の深意は、迹化の衆普賢・文殊・観音・薬王等の大菩薩にも付属せざる所の大事なれば知らざる所の秘法なり。況や凡師に於てをや。