日蓮正宗大石寺、創価学会、顕正会等の「日蓮正宗」系団体が説く「日蓮原理主義」の害悪とは、具体的にどういうものなのか。

 

日蓮が文永元年1213日、43才のときに著した「南条兵衛七郎殿御書」の一節には、次のような文を日蓮自らが書いている。

 

「たとひ五逆十悪無量の悪をつくれる人も根だにも利なれば得道なる事これあり、提婆達多鴦崛摩羅等これなり、たとひ根鈍なれども罪なければ得道なる事これあり須利槃特等是なり、我等衆生は根の鈍なる事すりはんどくにもすぎ物のいろかたちをわきまへざる事羊目のごとし、貪瞋癡きわめてあつく十悪は日日にをかし五逆をばおかさざれども五逆に似たる罪又日日におかす、又十悪五逆にすぎたる謗法は人毎にこれあり、させる語を以て法華経を謗ずる人はすくなけれども人ごとに法華経をばもちゐず、又もちゐたるやうなれども念仏等のやうには信心ふかからず、信心ふかきものも法華経のかたきをばせめず、いかなる大善をつくり法華経を千万部読み書写し一念三千の観道を得たる人なりとも法華経の敵をだにもせめざれば得道ありがたし」(南条兵衛七郎殿御書)

---五逆罪や十悪といった悪業やその他、数えきれないほど多くの悪業を積み重ねてきた人でも、仏法に対する機根が優れている人は成仏得道することがある。 たとえば提婆達多や鴦崛摩羅といった人たちがそうである。

仏法に対する機根が劣っていても、悪業や悪罪を積み重ねていなければ成仏得道することがある。たとえば須利槃特といった人たちがそうである。

我ら末法の衆生は、仏法に対する機根が劣っていることについては須利槃特以上であり、物事を弁える目が劣っていることは、まるで羊の目と同じである。

そしてさらに末法の衆生は、貪り、瞋り、癡かの三毒の心がきわめて強く、毎日のように十悪業を犯し、五逆罪は犯さないかもしれないが、五逆罪に近い悪業を毎日のように犯している。

さらに五逆罪や十悪業をも越える悪業である謗法は、多くの人が犯している。法華経を誹謗する人は少ないかもしれないが、法華経を第一のお経として用いる人は少ない。

法華経を第一として用いる人も、念仏を信仰する人のように信心が深くはない。信心深く法華経を第一と用いる人も、法華経の敵を責めることをしない。

いかに大きな善業を積み重ねようとも、法華経を千万部書写するという修行を積み重ねようとも、たとえ法華経の究極である一念三千の観道を究めた人であっても、法華経の敵を責めることをしないならば、成仏得道することは絶対にない… ----

 

概略、こんなような意味になります。

池上大堂・日蓮1


この中で特に問題だと思う部分が

 

「いかなる大善をつくり法華経を千万部読み書写し一念三千の観道を得たる人なりとも法華経の敵をだにもせめざれば得道ありがたし」

……いかに大きな善業を積み重ねようとも、法華経を千万部書写するという修行を積み重ねようとも、たとえ法華経の究極である一念三千の観道を究めた人であっても、法華経の敵を責めることをしないならば、成仏得道することは絶対にない…

 

このように日蓮自身が言っていること。

創価学会や顕正会、日蓮正宗法華講あたりの狂信的信者も、よくこの一節を引用する。つまり創価学会や顕正会、日蓮正宗法華講は、この日蓮の遺文(御書)の文を以て、自分たちが行っている強引・非常識な折伏・布教活動を正統化し、さらに広く信者に対して「これを行え」と指導している。

日蓮原理主義者は、日蓮の遺文(御書)を絶対視している以上、日蓮正宗大石寺、創価学会、顕正会等の「日蓮正宗」系カルト教団に代表される強引・非常識な折伏・布教活動を正統化する者は、日蓮の遺文(御書)を拠り所として、出現してくる要素が多分にある、ということである。

日蓮宗等は、四箇の格言、他宗折伏、不惜身命、謗法無間地獄等々を実質的に封印・放棄しているとは言っても、日蓮宗や法華宗の中で、こういった路線に不満を持ち、「それではダメだ。お祖師様は、そんなことは言われていない」と言い出して、日蓮宗や法華宗を飛び出し、別派を構えて、日蓮原理主義路線を突っ走る者が過去にも出ている。

法華宗本門流から分かれた本門仏立宗の長松日扇、日蓮宗から分かれた田中智学の国柱会等々は、その典型的な例である。

そういうことになってくると、狂信ぶり、カルト信仰ぶりが文面に顕れている日蓮の遺文(御書)、就中、これを執筆した日蓮の責任を言わざるを得なくなる。

 

かつてmixi「アンチ日蓮正宗」で、日蓮原理主義の問題を討議し、この「法華経の敵をだにもせめざれば得道ありがたし」の文について論じたときも

「『法華経の敵をだにもせめざれば得道ありがたし』この一文なんでしょうね、全ては」

「『法華経の敵をだにもせめざれば得道ありがたし』の文は、自分らが責めるのは良いが他者からされるのは嫌、と。思考回路が子供並み。日蓮正宗系は信者レベルがみな同じ。」

という指摘が参加者の方々が出ましたが、まさにポイントを言い当てていると思われます。