■「日蓮正宗」系が説く日蓮原理主義の害悪2顕立正意抄

 

□「信心薄き者は設ひ千劫をば経ずとも或は一無間或は二無間乃至十百無間疑ひ無からん」

 

日蓮が自分の弟子・信者たちに対して、カルト的・狂信的信仰心を煽り立てている文は他にもたくさんある。中でも、日蓮正宗大石寺、創価学会、顕正会等の「日蓮正宗」系団体が仏罰論・無間地獄論の拠り所にしている遺文(御書)もいくつかあるが、その中のひとつがこれ。

 

「日蓮が弟子等又此の大難脱れ難きか。彼の不軽軽毀の衆は現身に信伏随従の四字を加ふれども猶先謗の強きに依って先づ阿鼻地獄に堕し、千劫を経歴して大苦悩を受く。

今日蓮が弟子等も亦是くの如し、或は信じ或は伏し、或は随ひ或は従ふ。但名のみ之を仮りて心中に染まらざる信心薄き者は、設ひ千劫をば経ずとも或は一無間或は二無間乃至十百無間疑ひ無からん者か。是を免れんと欲せば各薬王・楽法の如く臂を焼き皮を剥ぎ、雪山・国王等の如く身を投げ心を仕えよ。

若し爾らずんば、五体を地に投げ遍身に汗を流せ。若し爾らずんば、珍宝を以て仏前に積め。若し爾らずんば、奴婢となって持者に奉へよ。若し爾らずんば等云々。

四悉檀を以て時に適ふのみ。我が弟子等の中にも信心薄淡き者は臨終の時阿鼻獄の相を現ずべし。其の時我を恨むべからず」

(日蓮53才・文永111225日著作・顕立正意抄)

---日蓮の弟子・信徒たちもまた、この無間地獄に堕ちるという大きな難を免れることができないであろう。その昔、法華経を弘通していた不軽菩薩を軽んじバカにして苛めていた人たちは、その後悔悟して不軽菩薩に信伏随従したが、それ以前に不軽菩薩を誹謗した重い罪が消えず、一旦は千劫という長い間、無間地獄に堕ちて大苦悩を受けたのである。

今日の日蓮の弟子・信者たちも、これらの人たちと同じである。今、日蓮に信伏随従しているが、ただ表向きの姿だけで、信心が薄く心中に染まっていない者は、たとえ千劫という長い間は無間地獄に堕ちることはないかもしれないが、それでも一度は無間地獄に堕ちる者、二度無間地獄に堕ちる者、あるいは十回ないし百回無間地獄に堕ちる者が出ることは疑いないであろう。

これを免れたいと思うならば、その昔、薬王菩薩や楽法梵士が修行したように自らの臂を焼き、自らの皮を剥ぎ、あるいは雪山童子や仙予国王が修行したように、自らの身を投げ捨て、心から日蓮に仕えよ。さもなくば、自らの五体を地に投げ捨てんばかりに、汗を流して日蓮に奉公せよ。さもなくば、多額の供養金を仏前に積み上げよ。さもなくば、奴隷となって日蓮に奉公せよ。

仏が説いている四悉檀によって時代にかなった奉公ができて成仏得道ができればいいのである。

我が弟子や信者の中にも信心が薄淡い者は、臨終の時に阿鼻地獄に堕ちるであろう。その時になって、なぜあの時にもっと叱咤激励してくれなかったのかと日蓮を恨んではならない……

池上大堂・日蓮1


内容的には、とても酷い内容のものといわざるをえないではないだろうか。日蓮が得意とする「無間地獄論」をもって、身内の弟子や信者を脅迫し、カルト的・狂信的信仰や奴隷的奉公を煽り立てているものである。

今の日蓮正宗大石寺、創価学会、顕正会等の「日蓮正宗」系団体を見ていると、この日蓮の「カルト指南」を忠実に実践しているのがよくわかる。というか、彼らは日蓮の遺文(御書)を金科玉条にして、日蓮原理主義的に仏罰論・無間地獄論を説いているわけである。

 

この一方で、「この顕立正意抄は、本当に日蓮の遺文なのか」という疑問の声が出ていることも事実である。

顕立正意抄については、立正大学日蓮教学研究所刊「昭和定本日蓮聖人遺文」でも、日蓮正宗大石寺版「平成新編・日蓮大聖人御書全集」においても、日蓮「真蹟」扱いとしているが、日蓮の真筆は失われており、日春筆古写本が岡宮光長寺に格蔵されているという。

又、顕立正意抄は、室町時代にはすでに存在していた録内御書に収録されている。よって「日蓮真筆がない」という理由だけで、これを偽書扱いすることはできない。

しかし顕立正意抄を、日蓮真蹟扱いしている以上、日蓮原理主義者や狂信者は、この遺文を持ち出してきて、得意げに仏罰論やら無間地獄論を今後も説くであろう。

そうすると、彼らのカルト信仰の源流は、日蓮原理主義という誤った思想、誤った方向性である、と同時に、やはり彼らの宗祖・日蓮であった、という結論に行き着く。

光長寺15日蓮像