■検証179・大石寺9世日有が「戒壇の大本尊」を偽作した動機と「日蓮本仏義」「唯授一人の血脈相承」を偽作した動機の関連6

 

□なぜ大石寺9世日有は「戒壇の大本尊」なる板本尊を等身大に造立したのか2

 

仏典には釈迦牟尼の身長は常人の数倍と書かれているため、日本では平安時代くらいまでは立像16(4.8m) 坐像9(2.7m)を仏像の身長の基準にして「丈六」と呼んでいた。 これが鎌倉時代に入ると、仏像願主が天皇・公家から武家に移り、コスト削減のため、基準値よりも小さいサイズの仏像を求めるようになった。

こうした中、仏像や位牌を等身大に造立するということは、「丈六」の仏像が造立されていた古くから仏教界では行われていることであり、等身大に造立する意味は、その人物に見立てて造立するということに他ならない。古来からの例を挙げてみると

 

□北魏で高宗文成帝が等身大の仏像を造らせた

□法隆寺夢殿の秘仏本尊である救世観音像は、古来から聖徳太子の等身大の像として法隆寺に伝承されている。法隆寺夢殿の救世観音像とは、数百年間、秘仏として格蔵されていたが、1884(明治17)年夏に、フェノロサと岡倉天心が、いやがる法隆寺僧を説得して開扉せしめたことで有名な、あの像である。法隆寺の記録によれば救世観音像は高さ六尺五寸(197cm)後背共八尺(242cm)となっている。

救世観音1


それから等身大ではないものの

□法隆寺金堂の薬師如来像は、聖徳太子の父・用明天皇のためにこれを造営したとあり、いわば用明天皇の位牌のような感じで、用明天皇に見立てて造立された。

□法隆寺金堂の釈迦如来像は、法隆寺の資材帳によれば王后が聖徳太子のためにこれを造ったとするので、これもまた聖徳太子の位牌のような感じで聖徳太子に見立てて造立された。

 

仏像を故人に見立てるというのは、位牌が日本に伝来する以前だったからである。位牌が中国から日本に伝来したのは、鎌倉時代。禅僧とともに日本に伝来したものである。

「アンチ日蓮正宗」では、長い歳月をかけて全国仏教寺院の寺跡調査を行ってきているが、皇族、公家、武家等の将軍、高官位、位の高い人物の位牌は、等身大ないしは等身大に非常に近いくらい巨大に造立された位牌を各地で発見している。

等身位牌3 

 

□等身大に造立された仏像・漫荼羅・位牌は古来から中国・日本に存在していた

 

等身大の位牌で有名なのは、松平4代親忠が文明7(1475)に建立した、松平家、徳川将軍の菩提寺として有名な大樹寺にある徳川14代将軍の位牌である。

□大樹寺の位牌堂には初代将軍・徳川家康から14代将軍・家茂までの位牌が祀られているのだが、全て等身大に造立されている。

これは単なる位牌のことだけに留まらない。日蓮正宗大石寺9世法主・日有は、等身大に近い本位牌・寺位牌をヒントにして「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作したことが明らかである。

□戒壇大本尊は9世日有の偽作だ(36)~「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊の原型は本位牌・寺位牌か?

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/10667496.html

□戒壇大本尊は9世日有の偽作だ(37)~「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊の原型は本位牌・寺位牌か2

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/10667823.html

 

□日蓮の漫荼羅本尊の中にも、等身大の漫荼羅本尊がある。それは弘安三年三月に日蓮が図顕した「臨滅度時の本尊」である。この本尊は、日蓮が1282(弘安5)10月、武州・池上の池上邸で臨終を迎えたとき、枕元の床頭に祀られていた本尊で、鎌倉の日蓮宗寺院・妙本寺に格蔵されている本尊である。

本尊081

 

立正安国会発行の「日蓮御本尊集」によると、この本尊は丈が161センチ。ほぼ等身大なのである。大石寺の「戒壇の大本尊」は板本尊なので、台座から漫荼羅の頂までの丈の合計が等身大ということであるが、「臨滅度時の本尊」は紙に書いた掛け軸式の紙幅本尊である。したがって、漫荼羅の丈のみで等身大の本尊ということになる。

「臨滅度時の本尊」は鎌倉の日蓮宗本山寺院・妙本寺に格蔵されているのであるが、日蓮宗各派の間では、非常に知名度が高い本尊である。日蓮宗各派の僧侶であれば、誰でもその存在を知っていたというくらい、知名度が高い本尊である。したがって、大石寺9世日有は「臨滅度時の本尊」を実際に拝観したことはなかったとしても、等身大の「臨滅度時の本尊」の存在は知っていたと考えられる。

このように日本では古来から、等身大に造立された仏像・漫荼羅・位牌が存在しており、日蓮一門でも、等身大に図顕された「臨滅度時の本尊」が存在していた。

したがって、大石寺9世日有が「戒壇の大本尊」なる板本尊を日蓮の等身大に造立したことも、これらの延長線上にあると考えられるのである。