□大石寺常唱堂や御影堂、客殿等で長時間唱題行に励む日蓮正宗信者たちの異様な光景

 

大石寺塔中坊の中には、日蓮正宗大石寺26世法主日寛が建てたと言われている宿坊・石之坊があり、そこの本堂を「常唱堂」という名前で呼ばれている。常唱堂の須弥壇中央に祀られている板本尊は、私の記憶ではたしか大石寺26日寛が書写した板本尊であった。

元々は、常唱堂と石之坊は別々の堂宇だったようなのだが、大正14年(1925年)106日、大石寺58世土屋日柱により大石寺常唱堂を石之坊に移転し、改築落成式並びに日寛上人第200遠忌が行われている。つまり土屋日柱法主以前は、常唱堂と石之坊は別々の場所にあった、ということである。

石之坊は、江戸時代には、法主を隠退した隠居法主が住む隠居坊としての役割もあったようである。28世法主日詳、29世法主日東、30世法主日忠、33世法主日元、40世法主日任、46世法主日調が、いずれも法主隠退後に住む隠居坊として、石之坊に住んでいる。

今は石之坊にも法華講支部がある。ここはインターネットで暴れまくり、法論で敗北を繰り返している「龍神ひろし」や「大木道惠」や「犀角独歩」らと交流がある「つるまる」が所属している支部で有名。日蓮正宗の元信者で、一時、「大木道惠」や「犀角独歩」らの富士門流執着軍団に名を連ねていた木下某氏も、かつてここの支部に所属していたという。

 

常唱堂という名前の由来は、常に「南無妙法蓮華経」の題目を唱える堂という意味らしい。開門時間の間は、いつも数人から十数人の信者が、常唱堂で唱題をしている。

その光景は、東京の日蓮正宗寺院・常在寺や法道院の本堂で見かけた光景と同じである。

参詣信者の数は、宗創和合時代では創価学会、法華講の団体登山会と重なった日は、宗創戦争勃発後は、法華講の団体登山会と重なった日は、登山信者の数に比例して増えるようである。

ただ常唱堂という名前からして、あたかもここだけが常に信者が参詣できる堂宇と思われているようだが、御影堂、客殿(大客殿)、六壺にも、開門時間内には、堂宇の中に入って唱題をしている信者がいたので、何も常唱堂に限ったことではない。

 

それにしても日蓮正宗や創価学会の信者は、どうしてこんなにも「南無妙法蓮華経」を唱えることに熱心になろうとするのか?

私に言わせると、11時間~2時間といったふうに、長時間の唱題を毎日つづける生活を送ること自体が異常である。創価学会も法華講も顕正会も正信会も、この異常な唱題をする生活をしていることは、どこも同じである。

常唱堂2 

創価学会の場合は、戸田城聖が太平洋戦争中に、獄舎に捕らわれていたとき、獄中で11万遍の唱題(これは時間にして13時間に相当するという)をつづけて「獄中の悟達」をしたと言っている。これの模倣をしているのか、創価学会員たちの唱題たるや11時間なんていうのはザラ。2時間、3時間、さらには5時間、10時間というものまである。

いくらなんでもこれは異常である。

2時間、3時間、さらには5時間、10時間という長時間にわたって、南無妙法蓮華経の題目だけを唱え続けているなどというのは、尋常ではない。

「驚くべき膨大な時間と労力の無駄遣い・浪費」

「こんなに毎日、長時間の唱題をする時間とエネルギーがあったら、もっと他の生産的なことや芸術をたしなむこととかに費やせばいいのに」

「そんな5時間・10時間も南無妙法蓮華経ばっかり唱えているヒマとエネルギーがあったら、その分、ちゃんと働くなり、勉強するなり、すればいいじゃないか」

「まだ、映画観たり、観劇に行ったり、遊んだほうがよっぽど有意義だよ」

正直言って、こんな感想をもってしまう。5時間・10時間も南無妙法蓮華経ばっかり唱えているなどというのは、まさに狂気のカルト宗教です。

 

法華講のほうも、1994(平成6)年に、全信者に12時間の唱題を義務づけて以来、大石寺や各末寺で唱題会を盛んに行っている。今も大石寺や末寺寺院では「広布唱題会」の名目で、さかんに長時間の唱題行が行われている。

正信会は、日蓮正宗との裁判闘争がたけなわだったころ、盛んに本堂で唱題会を行っていた。

私としては、どうにもこういう「南無妙法蓮華経」を1日何時間も一心不乱に唱える生活やこういう生活をしている信者が好きになれない。

 

おまけに日蓮正宗や創価学会の信者の中には、

「題目を唱えれば幸せになれる」「不治の病も治る」「お金持ちになれる」などという、まるで子供だましの功徳話しを言う信者から、果ては「核戦争がはじまったら、題目を唱えれば、戦争は終わる」とか「核戦争が起こったら、題目を唱える信者のみが護られて生き残れる」などという、とんでもない話しを平気でする信者までいる。

私からすれば、こんなに寺院本堂で、延々と5時間・10時間も南無妙法蓮華経ばっかり唱えている狂った信者ばかりを育成しているのは、どう考えても宗教法人法に則った信者の育成から大幅に逸脱しているとしか思えない。

カルト宗教・オウム真理教も、麻原彰晃の呪文だか何だかを長時間唱える修行があると聞いたことがあったが、そういうのと同じである。カルト宗教には、こういう呪文を反復して唱えるという共通性があるのかもしれない。