□広間・部屋の造りが創価学会の会館の広間とそっくりになっている総一坊・総二坊の広間

 

日蓮正宗大石寺の広大な境内の、黒門から入った先には、総一坊、総二坊という二つの総坊が建っている。大石寺黒門から清貫洞・三門までの間の境内は「広布の広場」と呼ばれていて、総一坊、総二坊、法華講事務所(旧登山センター)、常来坊、常灯坊といった堂宇が立ち並んでいる。

こりあたりは、1950年代以降の創価学会折伏大進撃による日蓮正宗信徒激増期に整備された所で、もともとは正本堂建立慶祝六百万総登山会の準備態勢として、1966(昭和41)7月に一之坊、三之坊が完成。1967(昭和42)10月に二之坊、四之坊が完成。1971(昭和46)12月に五之坊が完成。かつてはここに一之坊、二之坊、三之坊、四之坊、五之坊という五つの鉄筋コンクリート造りの坊が建っていた。

これが日蓮正宗大石寺67世阿部日顕法主の代になってから、1990(平成2)年の「大石寺開創七百年」記念事業として一之坊、二之坊、三之坊、四之坊、五之坊は全て取り壊され、総一坊、総二坊が建てられた。あの当時は宗創戦争前の日蓮正宗・創価学会の宗創和合時代のことで、総一坊、総二坊も創価学会の寄進によって建てられた総坊である。

日蓮正宗では、大石寺67世阿部日顕法主の代になってから、創価学会の寄進・供養によって建てられた堂宇である大客殿、正本堂、総門、常来坊、常灯坊、常来坊等を取り壊し、新しい堂宇に建て替えているが、総一坊、総二坊は、今でも創価学会が寄進・供養した堂宇のままである。

 

総一坊も総二坊も、一階、二階にいくつもの部屋や広間、大広間があり、それそれの広間、部屋に板曼荼羅本尊が祀られている。当初、これらの板曼荼羅本尊の脇書には、「願主 法華講総講頭 池田大作」の文字が入っていた。

その総一坊、総二坊の広間・部屋の造りだが、これが創価学会の会館の広間の造りにそっくり。全く瓜二つなのである。

総一坊、総二坊の外観は、そんなにそっくりでもないが、総一坊、総二坊の中に入り、仏間の仕切り、襖の戸、室内の造りは、全く創価学会の会館そのものといった感じ。というか、創価学会の会館をそっくりそのまま大石寺に移築したのではないかとすら思えたくらいである。

もっとも、総一坊、総二坊も創価学会の寄進・供養で建てられたのだから、創価学会の会館そっくりの造りになっていて当たり前と言えば、当たり前なのかもしれないが。

 

法華講連合会の月例登山会があった時、総一坊、総二坊の大広間で指導会、座談会が行われていた。総登山会や夏季講習会登山では、登山信者が休息する休息坊。ないしは宿坊になることもある。

大石寺総一坊2 

□創価学会会館そっくりの総坊で行われている創価学会そっくりの法華講連合会指導会・座談会

 

法華講連合会の指導会、座談会とは言っても、それは実質的に柳沢喜惣次委員長の独演会のようなもの。柳沢喜惣次氏は、元々、東京・向島の本行寺信者であり、長らく「法華講本行寺支部」の講頭を務めていた。当時の本行寺住職は、後の日蓮正宗大石寺67阿部日顕法主である

法華講本行寺支部は、法華講連合会の中では、妙観講を別にすれば、法道院支部に次いで二番めに大きい講中なのだという。その論功行賞?からか、柳沢喜惣次氏は、法華講連合会草創期から幹事に抜擢されたものの、当時の連合会幹部と衝突して辞任。阿部日顕が67世法主に登座すると、再び法華講連合会幹事・庶務部長として復活

法華講連合会が信者数を三万人、六万人、十万人、三十万人と伸ばしていくに連れて、柳沢喜惣次氏も法華講連合会幹事から副委員長、法華講大講頭、連合会委員長。そして法華講総講頭へと登り詰めていった。

法華講総講頭といえば、かつて戸田城聖や池田大作が座ったポストである。特に池田大作は、196479年、そして198490年と、通算22年間も、法華講総講頭のポストにいた。

柳沢喜惣次氏は、1998(平成10)年の新客殿落慶の折りに、法華講総講頭に任命された。

柳沢喜惣次氏はもちろん法華講員であるが、創価学会を脱会して法華講に入ったという元創価学会員の法華講員ではなく、元々が法華講の、先祖代々・旧来からの法華講員なのだという。

しかしこの人の喋り方や指導性のスタイルそのものは、旧来の法華講員というよりも、創価学会の大幹部らとほとんど同じ寺族や法華講員までもが、柳沢喜惣次氏を「ミニ池田大作だよ」と皮肉っぽく評していたくらいである

 

座談会では創価学会と同じように体験発表が語られるが、中でも登山信者を驚かせたのが法華講法道院支部郷右近某氏の折伏体験なるもの。この人は、強引・執拗な折伏・入信勧誘で、たくさんの人たちを法道院信者として入信させたという体験を語っていたのだが、その内容が創価学会の折伏体験なるものとほとんど同じだったのみならず、郷右近某氏の喋り方まで、創価学会員のカルト口調、絶叫口調で喋っていたということで、登山信者ですらあきれかえったくらい

それだけではない、法華講連合会座談会のスタイルそのものも、創価学会そっくり

それにしても、創価学会の会館そっくりの大石寺総坊で、創価学会そっくりの会合、創価学会そっくりの体験談…。法華講という所は、まさしく「第二の創価学会」をめざしていると言うことが、よくわかろうというものである。