■検証204・日蓮の一大秘法は南無妙法蓮華経の題目であり「戒壇の大本尊」ではない

 

□三大秘法の中心は本尊・戒壇ではなく南無妙法蓮華経の題目である

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(法華講員・黒川和雄の妄説)

大石寺の「本門戒壇の大御本尊」がニセ本尊ならば、日蓮大聖人の一大秘法はどうなるのか。「本門戒壇の大御本尊」が一大秘法でないとすれば、何が一大秘法なのか。

(黒川和雄のmixi日記より)

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一大秘法という言葉そのものが、日蓮正宗や創価学会、顕正会が好む言葉なので、好きではないのだが、これが日蓮が説き明かした終窮究竟の極説という意味ならば、それは「南無妙法蓮華経」(なむみょうほうれんげきょう)の七文字であり、これを口唱することに尽きる。

日蓮は、数多く残した遺文(御書)の中で、「南無妙法蓮華経」(なむみょうほうれんげきょう)の七文字を口に唱えることによって、有智・無智、上根・中根・下根、貴賤道俗の隔てなく、一切衆生が成仏すると説いている。これが日蓮の仏法であり、日蓮が説き明かした一切衆生皆成仏道の仏法である。つまり、「南無妙法蓮華経」(なむみょうほうれんげきょう)の七文字こそが、日蓮仏法の極説であり、これが一大秘法である。

よって日蓮宗等では、「南無妙法蓮華経」(なむみょうほうれんげきょう)の七文字を玄題と呼んでいる。玄題とは、奥深い題目の意。幽玄な原理を説いた経典のことで、日蓮宗でいう妙法蓮華経の五字または南無を加えた「南無妙法蓮華経」(なむみょうほうれんげきょう)の七字をさす。 ...

 

そもそも当該の法華講員のように、「戒壇の大本尊がニセモノならば、何が゜一大秘法なのか」という質問は、日蓮の三大秘法を誤って認識していることから発生しているものと考えられる。

日蓮が説く三大秘法の中心は、終窮究竟の極説・玄題たる「南無妙法蓮華経」(なむみょうほうれんげきょう)の題目である。

ところが日蓮正宗では

「いくら題目を唱えても、日蓮正宗大石寺の御法主上人猊下の御本尊を拝んで唱える題目でなければ功徳はない」

「いくら御本尊様を受持しても、『事の戒壇』である大石寺の『本門戒壇の大御本尊』に参詣しなければ成仏できない」

などと、題目よりも本尊、本尊よりも戒壇が三大秘法の中心であるかのように説いているが、これは大石寺9世日有が偽作した教義である。こういう教義は、日蓮は全く説いておらず、日蓮とは全く無関係の教義である。

日蓮1


 

ただしこの「題目中心」ということは、日蓮が在世のときに、題目中心の三大秘法の教学理論を完璧に作り上げたという意味ではない。

確かに日蓮は「南無妙法蓮華経を唱えれば上中下根とも万人が成仏できる」と説いているのは事実であり、佐渡流罪以降、特に身延山入山以降、数多くの曼荼羅本尊を図顕して弟子・信者に授与していることも事実である。

しかし鎌倉仏教の中でも、日蓮の仏法は、はっきり言って「欠陥」がある。どういう欠陥なのか。

日蓮は最後の最後まで自分の滅後のビジョン、三大秘法の詳細、戒壇での授戒をはっきり明示しなかったことだ。

そもそも日蓮は、立正安国論の諫言を聞き入れない鎌倉幕府・日本国は蒙古襲来で滅亡し、その後に日本国中に南無妙法蓮華経が弘まると考えていた。つまり日蓮は自分の在世中に南無妙法蓮華経の仏法が日本一国に広宣流布すると考えていた。しかし二度の蒙古襲来でも日本は滅亡せず、南無妙法蓮華経も弘まらなかった。気落ちした日蓮は、病が次第に重くなっていく。

しかしこれでは日蓮に入門した弟子・信者が納得しない。

「祖師の滅後はどうしたらいいのか」「朝廷公認の僧になるにはどこで授戒したらいいのか」

日蓮は重い病の中、自分の滅後のビジョンを弟子の前に示す必要性に迫られた。

しかし自分の在世中に南無妙法蓮華経の仏法が日本一国に広宣流布すると考えていた日蓮が、重い病の中、自分の滅後のビジョンを弟子の前に示せるはずがない。

日蓮は弘安五年(1282)4月になって、ようやく「三大秘法抄」を執筆して釈迦如来本尊・王仏冥合の時の戒壇建立は示した。しかし、授戒の戒壇についてはついに示さなかった。

このように日蓮の弘教は、晩年、実に中途半端な形で終わっている。中途半端で終わったので、日蓮滅後、授戒の戒壇等をはっきり示さなかった欠陥のある仏法として残った。

日蓮は三大秘法説いたが、実際に日蓮が衆生救済の仏法・修行として残したのは題目・唱題行だけである。本尊については、最後は釈迦如来本尊を説いたが、日蓮は佐渡・身延期に信者に授与してきたのは、仏像ではなく曼荼羅本尊である。その釈迦如来本尊と曼荼羅本尊の関係についても、はっきりと明示しなかったばかりか、観心本尊抄の「一閻浮提第一の本尊」も建立されないままだという矛盾も残った。

こういう日蓮の弘教が、晩年、実に中途半端な形で終わってしまったこと等と併せて、三大秘法の中では、実質的に題目しか残らなかった。だから、日蓮は、数多く残した遺文(御書)の中で、「南無妙法蓮華経」(なむみょうほうれんげきょう)の七文字を口に唱えることによって、有智・無智、上根・中根・下根、貴賤道俗の隔てなく、一切衆生が成仏すると説いていることと併せて、結果として三大秘法は、題目中心になってしまったということである。

日蓮が在世のときに、題目中心の三大秘法の教学理論を完璧に作り上げたということではないというポイントを抑えるべきである。