□ボディーガード?を引き連れて大石寺境内を偉そうに歩いていた大草一男氏

 

私も、1986年から1995年ころ、大石寺や大石寺周辺に寺跡調査のために、何度も行っている。

大石寺も今はだいぶ桜の木も減ってしまったようだが、大石寺境内や大石寺周辺には桜の木が植林されていて、桜の花が咲く頃は、一般の花見見物客が多数、大石寺を訪れる。

たしか1992(平成4)年、大石寺周辺が右翼団体の街宣活動で喧騒としていたころだったと記憶しているが、私の寺跡調査が、桜見物のシーズンと日蓮正宗法華講連合会の春季総登山会に偶然重なったことがあった。ちょうどこの時期は、大石寺境内には法華講員の登山信者のほかに、一般の桜見物客も多数来ていて大石寺境内はたくさんの人でごったがえしていた。

私が大石寺境内を歩いていて、ちょうど大講堂前を通りかかると、大講堂前に多くの人だかりがいるのを見つけた。「何事だろうか?」と思って見に行ったところ、法華講連合会輸送班をはじめとする法華講の信者と、創価学会の信者が何事か揉めている様子であった。

見てみると創価学会側は、大石寺に勤務している創価学会員の従業員たちで、なんでも日蓮正宗の僧侶や信者から、創価学会脱会を働きかけられて反発し、労働組合を結成。それで労働組合の旗を掲げて大石寺内事部へ集団で団体交渉だか抗議だかで押しかけようとしたところ、法華講の信者に阻止されたということらしかった。

 

まあ見ていると、両者はなんだかんだと言い争ったり、揉めたりしているように見えたが、しかし、よーく見ていると、なんとなく猿芝居っぽく見えて、私としては白けてしまった。

第一、創価学会側が本気で大石寺内事部と団体交渉しようとしていたなら、なんでまた法華講員が大勢登山してくる法華講連合会春季総登山会の日に行ったのか?ぜんぜんちがう日にやればいいではないか。何か傍から見ていると、日蓮正宗と創価学会の「宗創戦争」というのは、何を見ても、どこかおかしな戦争に見えた。

 

そのわけのわからない揉み合いがつづいている最中、遠方から一人の中年男が、数人の若い男たちに囲まれながら、ノッシノッシと歩いてきたのが見えた。その中年男は何を言うわけでもなく、無言のまま。その揉み合いの様子をじっと見ていたあと、ほどなくして立ち去って行った。

「何だあのオッサンは。ずいぷ゛ん偉そうなオッサンだな」と思って見ていたら、大石寺の事情に詳しい人がこっそり教えてくれた。その偉そうなオッサンは、あの日蓮正宗法華講理境坊妙観講支部(理境坊妙観講)の講頭・大草一男氏であった。

ということは、周りにいたのは妙観講の側近幹部か?それともボディーガードか?という感じ。

まあ私が見た感じとしては、テレビや週刊誌報道で見かける、大勢の側近幹部を引き連れて歩いている池田大作の姿と実によく似ていた。歩き方といい、偉そうな態度といい、本当に「法華講の池田大作」という感じ。何とも見苦しい光景に見えました。

大講堂2


 

□日蓮正宗法華講の中でも嫌われている?偉そうな態度の大草一男氏

 

後日、日蓮正宗の某信者と問答をした時、私のほうから、この話題を出したことがある。

すると相手の信者が言うには、この大草一男氏という人物は、法華講の中でも、ずいぶん嫌われている。「御開扉」の時でも、あとから入ってきたのに、最前列に座るし、態度が大きすぎると憤慨し、挙げ句の果ては「次の破門候補は、妙観講だ」とまで言い切ったのである。妙観講と仲間のはずの?法華講員がこうまで言うのだから、相当に嫌われているということなのだろう。

信者から見てもそうと偉そうな態度に見えるわけだから、部外者の私から、偉そうなオッサンに見えるのは、むしろ当然ということかも。

その妙観講は、そういう声が日蓮正宗内部にあることを気にしているのか、日蓮正宗大石寺67世阿部日顕法主の説法を引いて、これに反論を試みている。

□日蓮正宗理境坊妙観講Web/大石寺67世阿部日顕のお言葉

http://myokan-ko.net/menu/okotoba/

 

ただし断っておくが、「アンチ日蓮正宗」は、「次の破門候補は、妙観講だ」とまで言い切った日蓮正宗の某信者を支持しているわけではないし、かとって妙観講側の反論や妙観講を擁護する大石寺67世阿部日顕の「お言葉」なるものを支持しているわけではない。

妙観講は、宗創戦争で相当多くの創価学会員を脱会させて妙観講の信者にしたようであるが、ここの信者の振る舞いや折伏の有様を見ていると「第二の創価学会」「第二の顕正会」という感じそのもの創価学会や顕正会の強引・執拗な折伏をそっくり真似たやり方は、世間からすれば迷惑千万であり、信教の自由・不信教の自由を侵害する重大な人権侵害行為である。

一方、「次の破門候補は、妙観講だ」とまで言い切った日蓮正宗の某信者の言い分も、全く矛盾に満ちている。

強引な折伏で信者数を激増させてきた創価学会、顕正会につづいて妙観講が破門になる。折伏・布教をやればやるほど、独善的体質に磨きがかかり、態度も偉そうな態度になり、最終的には破門…。ということになると、こんな強引な折伏による布教など、最初からやらなければいいではないか、という話になる。

ところが、日蓮正宗は、表向きは折伏・布教を表明しており、「次の破門候補は、妙観講だ」と言い切った日蓮正宗の某信者も、折伏・布教を表明している。これなどは、まさに日蓮正宗の教義的な矛盾がもろに顕れている。折伏している信者・団体を次々と破門にしていくのなら、最初からこんな迷惑千万な折伏などやるな、と言いたくなる。「アンチ日蓮正宗」は、最初から日蓮正宗系の強引な折伏そのものに反対している。この日蓮正宗の矛盾は、「アンチ日蓮正宗」の主張が理にかなっていることを、かえって証明する形になっている。