□女性寺族に「僧侶に嫁いで僧侶の身の回りの世話をする」生き方を押しつけている日蓮正宗

 

かつて「アンチ日蓮正宗」で、日蓮正宗系は宗門も法華講も創価学会も顕正会も正信会も中世の封建時代さながら男尊女卑社会である、ということを討議したところ、以下のようなご意見が出た。

「相撲部屋形式(?)で、面倒をみるのはそれはそれでわかる気がしますが(寺族もただ養われているだけじゃなくて ‘家業’ を手伝うのは当然では?)、やっぱりお坊さんたちも自分たちでご飯ぐらい作るべきですよね。ママに何もかもやってもらって、お経だけあげてればいいというのでは

俗世の過保護(にされている)息子たちと何の変わりもない。でも、きっとそんなことになったら就職希望者(?)がいなくなってしまうんでしょうね。」(アンチの女性)

「副住職や在勤の僧侶など多数抱えている寺院は確かに相撲部屋状態でしょうね(笑)。しかし信者も相手に『副住職』的立場になって人生相談をしたり、総代さんなどの接待にまで勤しまなければならないとちょっとした家族経営の食堂の奥さん的立場もあってなかなかきついと思います。

住職に先立たれたりすると年金制度のようなものはあまり確立されていないようなのでやはり世襲で息子を住職にして寺族として養ってもらうしかないようです。『法燈相続』が大事などと強調しているのは信者からの搾取のほかにそういう意味もあるのかもしれません」(日蓮正宗の元信者)

 

確かにおっしゃっていることは、わかります。

「アンチ日蓮正宗」で、日蓮正宗系は宗門も法華講も創価学会も顕正会も正信会も中世の封建時代さながら男尊女卑社会である、と批判するのは、ちゃんとした理由があります。

日蓮正宗系では、寺族や女性信者に対しては、「女性は結婚して家庭に入れ」という生き方を一方的に押しつけている。男尊女卑体質は、僧侶も信者も全く同じ。法華講も創価学会も顕正会も正信会も全く同じである。だから全てにわたって男性優位の社会になっている。

信者に対しても、「女性は家庭に入って専業主婦」になり、昼も夜も信仰活動に励め、という生き方を押しつけるから、「働く女性」「キャリアウーマン」という生き方をする女性は全く浮かばれない。

「働く女性」「キャリアウーマン」「専業主婦」…数多くある生き方の中から、女性が自由意志で選択して「専業主婦」になるのと、最初から「この生き方しかない」ということで、頭ごなしに専業主婦を押しつけられるのとは、意味が全く違う。

しかも、日蓮正宗の場合、女性寺族に対しては、極端に「僧侶の嫁になって専業主婦になり、僧侶の身の回りの世話をする」という生き方を、画一的に押しつけている。女性は僧侶として出家する道すら閉ざされている。

こう言うと、「そんなことは、他宗も同じなのではないのか」と言うだろうが、そうではない。

奉安殿3

 

 

□女性が僧侶として出家得度し尼僧になる道すら閉ざされている日蓮正宗

 

日本の仏教界では、僧侶の持戒を重んじる立場から、尼を含めて女性が仏教に接することを厭う風潮が生まれ、尼に対する授戒は拒絶された。天下の三戒壇と呼ばれた東大寺・薬師寺・観世音寺はいずれも女子の授戒を認めておらず、延暦寺も同様であった。

鎌倉仏教は、従来の日本仏教界の女性軽視の立場を反省し、「女人成仏」「女人往生」等と女性の救済を説いた。叡尊は建長元年(1249年)、かつての国分尼寺の総本山・法華寺再興の際に尼戒壇を設置。この真言律宗の布教の影響によって次第に尼への受戒が許容されるようになり、鎌倉・室町時代には、京都・鎌倉に尼五山が定められた。

尼は室町時代以降、日本仏教のほぼ全ての宗派に置かれた。特に南北朝時代において、浄土真宗仏光寺派本山・仏光寺第九代門主の了明尼公は、史上初の尼僧として仏光寺一門の門主に登座している。又、明治21(1888)に仏光寺第二十七代門主になった真意尼公も尼僧である。

浄土真宗十派の1つ興正派の本山・興正寺の次期門主は、女性尼僧と内定している。

ところが日蓮正宗では、女性尼僧が法主になるどころか、尼僧そのものを廃止してしまっていて、女性が出家得度して僧侶になる道すら閉ざされている。

 

それから日蓮正宗では、寺族に住職・修行僧らの食事・賄いの面倒を全て寺族に押しつけていることについてだが、ちなみに禅宗の僧侶は、自分で自分の食事を作って食べる。禅宗の僧侶が作って食べる料理を精進料理といい、鎌倉・建長寺の僧侶が作った「建長寺汁」が、その後、なまって「けんちん汁」になったと言われている。

禅宗では、自分で精進料理を造ることも修行であると教えている。日蓮正宗の僧侶も、禅宗の僧侶のように、自分で食べる食事ぐらい、自分で造ったらどうなのだろうか。こう言うと「禅天魔だ」と言って、とっくの昔に破綻している「四箇の格言」を持ち出してきて、拒絶するだろうか。

 

それから僧侶・寺族の老後との関連であるが、一応、日蓮正宗でも寺族には「寺族同心会」という団体があり、住職が先に死去した場合、寺族には年金が支給されるシステムになっている。

ただ住職が死去すると、寺族は寺院から出て行かなくてはならなくなるため、どうしても自分の息子を出家得度させ、娘を住職の嫁にする方向に行ってしまうようである。そういうことがあるからか、日蓮正宗の僧侶・寺族の間は、複雑な血縁関係が入り乱れている。

こんな男尊女卑・古くさい時代錯誤的・アナクロニズム的な日蓮正宗系を現代の女性が心の底から喜んで魅力的だと支持するだろうか。

日蓮正宗系では、独身女性信者の数が独身男性信者の数の約半分くらいしかいないというのも、なんとなく、うなずけてしまうのである。

瀬戸内寂聴1