■検証228・大石寺「戒壇の大本尊」御開扉とはどういう儀式なのか8

 

□「戒壇大本尊」両隣の最初仏・灰骨も開扉し戒壇説法が行われる宗門三大法要の御開扉

 

これまで紹介したパターンは、法華講連合会の総登山会、月例登山会、支部総登山会、添書登山における通常の御開扉のパターンである。

この他に宗門三大法要である4月の霊宝虫払い大法会、9月の寛師会、11月の御大会の代表登山がある。さらに50年に1度の日蓮の遠忌、生誕、立宗、立正安国論上奏、龍口法難等の法要、法主の代替法要、客殿、奉安堂などの落慶慶讃法要などの特別法要登山がある。中でも50年に1度の日蓮の遠忌法要は、各日蓮宗本山でも盛大な法要が営まれるが、日蓮正宗大石寺でもそれこそ盛大な法要が営まれる。

ここでは宗門三大法要の御開扉を紹介する。まずは、御大会と寛師会の御開扉から。

 

御開扉の基本的なパターンは、通常とかわらないのだが、いくつか異なることがある。

宗門の法要に登山した信者は、ほぼ全員が黒の喪服を着ており、正本堂内を見渡すと、全体的に黒っぽく見える。信徒席の最前列には、法華講連合会の役員が座る。

午後13:30ちょうどに、正本堂の僧侶席の両側の扉が開き、ぞくぞくと僧侶たちが入場。御大会と寛師会といった大きな法要になると、大石寺塔中坊の住職のみならず、全国の末寺から住職たちが大石寺に登山しているので、正本堂の僧侶席はほぼ満席。

僧侶の最後列の真ん中から左側に、総監、教学部長、庶務部長、海外部長、渉外部長、財務部長、大石寺主任理事といった日蓮正宗宗務院役員が正座。

真ん中から左側には、大石寺塔中坊の長老住職が並んで正座。そして前列にいくにしたがって若手住職たちが正座。正本堂に出仕した住職・僧侶たちも、鶴のマークが入った礼装用の僧衣を着用している。

僧侶の入場が完了すると、副導師のマイクの唱題がはじまり、法主が、仲居僧を従えて、偉そうに正本堂に入場。法主も、礼装用の僧衣を着用する。

法主が正本堂の大導師席に着座すると、正本堂の外扉が開きはじめ、次いで内扉が開き、僧侶が須弥壇に登って行って、巨大黄金仏壇の錠前が開けられ、さらに仏壇の内扉が開けられて「戒壇の大本尊」なる板本尊が、衆目の前に登場。

宗門三大法要では「戒壇の大本尊」が格蔵されている巨大黄金仏壇の両隣の黄金厨子の扉が開けられる。どちらかが「最初仏」と呼ばれている日蓮の木像であり、どちらかが「御灰骨」と日蓮正宗が自称している「日蓮の骨」なるものである。この二つの厨子の扉は、普段の御開扉では、開けられることがない

しかし開扉されたとは言っても、最初仏も御灰骨も、信徒席からは、ほとんど何も見えない。

それともうひとつ。「戒壇の大本尊」も「最初仏」も「灰骨」も全て後世の偽作である。

大石寺奉安堂3 

法主が大導師席に着座して須弥壇の扉が開いて「戒壇の大本尊」なる板本尊が、衆目の前に登場してから、法主と副導師の唱導で法華経方便品・寿量品の読経、唱題があり、法主の祈念が行われるのは、通常の御開扉と同じである。

読経・唱題・祈念が終了して、法主がクルリと信者席側に向くと、延々と『戒壇説法』がはじまる。この中に「此の処は本門事の戒壇、真の霊山、事の寂光土なり」という有名な、「戒壇の大本尊の在所が本門事の戒壇」であるとする依文がある。

これは、1955(昭和30)年に奉安殿が落慶する前は「御宝蔵説法」と呼ばれていたもので、「戒壇の大本尊」なる板本尊が大石寺宝蔵に祀られていたころは、法主は、御開扉の度に、この「御宝蔵説法」をしていた。 今は、「御大会」「霊宝虫払い大法会」の二大法要の他、法主の代替法要や日蓮の遠忌法要といった大きな行事の時のみ、法主が「御戒壇説法」を読んでいる。

「宝蔵説法」とは、奉安殿落慶以前において、大石寺法主が「戒壇の大本尊」の「御開扉」の度に説法したものだが、平成16826日の大石寺大講堂にての大石寺67世阿部日顕の法主講義によれば、「此の処は本門事の戒壇、真の霊山、事の寂光土なり」という有名な、「戒壇の大本尊の在所が本門事の戒壇」であるとする依文が入っている戒壇説法と、はいっていない戒壇説法があったと言っている。

今、大石寺の大きな法要(霊宝虫払い大法会・御大会・法主代替法要・日蓮遠忌大法会)での「戒壇の大本尊」御開扉のときに法主が行っている「戒壇説法」は、「此の処は本門事の戒壇、真の霊山、事の寂光土なり」の文が入っているものを読み上げているようである。

大石寺・奉安堂戒壇説法1