日蓮正宗は、辛うじて身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗との合同を回避し、単独での宗制の認可を政府から取ったのだったが、問題の推移の中で、日蓮正宗の現役の住職の中から、“神本仏迹論”という日蓮正宗の中でも異端の教義を唱えて日蓮宗との合同を押し進めようとする ...
2012年07月
ぜんぜん美味しくなかった大石寺売店街の名物料理『とん汁』
大石寺の周辺には、売店街が二カ所ある。ひとつは、大石寺裏門から三門付近まで、たくさんの売店が軒を連ねている売店街。もうひとつは、総二坊のすぐ近くにある売店街である。 創価学会の団体登山会が行われていた宗創和合時代には、大石寺売店街は、連日、創価学会の団 ...
戒壇大本尊は9世日有の偽作だ(84-1)~解説・美濃周人
■美濃周人(みの・しゅうと・1947~ ) 文筆家 1947年、岐阜県美濃市生まれ。 当初、1989年ころ創価学会に入会。 1991年の日蓮正宗と創価学会の「宗創戦争」で、夫婦で創価学会を脱会して、日蓮正宗法華講員になる。 末寺機関紙「KM」を発行して、その主筆に ...
戒壇大本尊は9世日有の偽作だ(84)~美濃周人氏の著書「虚構の大教団」の「新池抄聞書」の引用は誤りである
■検証84・「戒壇の大本尊」なる板本尊は大石寺9世日有が偽作した証拠1(新池抄聞書)4 □美濃周人氏の著書「虚構の大教団」の「新池抄聞書」の引用は誤りである 日蓮正宗の元信者で著述家の美濃周人氏が、著書「虚構の大教団」で、「新池抄聞書」を引用して、日有 ...
創価学会の親は日蓮正宗(12)~牧口時代すでに宗内最大の信徒団体で日蓮正宗が無視できない存在だった創価教育学会
1940(昭和15)年4月、日本政府は宗教団体法を成立・施行させ、宗教への統制と戦争目的の動員を強く押し進め、その一環として、各宗教教団の大同団結を強く促し、日蓮正宗に対しては、身延山久遠寺を総本山とする日蓮宗との合同を求めた。 1931(昭和6)年の満州事変、1937(昭 ...
創価学会の親は日蓮正宗(11)~「牧口常三郎氏は反戦を貫いて投獄された」という歴史的史実は存在しない
日蓮正宗や創価学会がでっち上げている「日蓮正宗と創価学会の関係史」、歴史の改竄、捏造、虚構の歴史は、他にも随所にある。 そのうちのひとつが、「創価学会(創価教育学会)初代会長・牧口常三郎氏は、反戦・平和を貫いた」という“欺瞞”。今日の創価学会では、 「牧 ...
創価学会の親は日蓮正宗(10)~戦前、日蓮正宗と創価学会が無関係であったかのような記述は全くの誤りである
現在出版されている、牧口常三郎氏が会長だったころの日蓮正宗(大石寺)と創価教育学会(創価学会)の関係について論じている大半のの文献、解説、歴史資料は、日蓮正宗側、ないしは創価学会側の人物が執筆したもので、内容的には、両者は関係が断絶していたとするものか、な ...
「アンチ日蓮正宗」の内容が正確であれば、情報源・取材源・調査元を公開する必要はない
それから、たまに「アンチ日蓮正宗」の内容に反論しようとしている日蓮正宗現役信者で、「アンチ日蓮正宗」に書かれている内容の情報源、取材源・調査元・調査方法を明らかにすることを要求して来る者がいますが、上記のように、内容が正確であることが認められていれば、 ...
創価学会の親は日蓮正宗(9)~牧口時代に於いて日蓮正宗最大の信者団体になっていた創価教育学会2
日蓮正宗(大石寺)と創価学会は1991年からの血みどろ?の信者争奪戦争を今も繰り広げており、お互いが、自分たちにとって都合の悪い歴史のページを意図的に覆い隠そうとしたり、自らが出している出版物や文献・書籍などから、都合の悪い歴史の記述をわざと削除して、信者に見 ...
日蓮正宗の「創価学会・板本尊模刻事件の経緯」は史実に反している3
■東京・国立市の大宣寺初代住職・菅野日龍(菅野慈雲)氏の真実4 □日蓮正宗の「創価学会・板本尊模刻事件の経緯」は史実に反している3 □1977(昭和52)年11月9日 大石寺から細井日達法主、宗務院役員が創価学会本部に下向して創価学会創立四十七周年慶祝法要が行 ...
創価学会の親は日蓮正宗(8)~牧口時代に於いて日蓮正宗最大の信者団体になっていた創価教育学会
創価教育学会会長・牧口常三郎氏は、自らが発表した価値論について、後の獄中書簡の中で、 「百年前及び其後の学者共が、望んで手を着けない『価値論』を私が著し、而かも上は法華経の信仰に結びつけ、下、数千人に実証したのを見て自分ながら驚いて居る、これ故三障四魔 ...
日蓮正宗の「創価学会・板本尊模刻事件の経緯」は史実に反している2
■東京・国立市の大宣寺初代住職・菅野日龍(菅野慈雲)氏の真実3 □日蓮正宗の「創価学会・板本尊模刻事件の経緯」は史実に反している2 1978(昭和53)年1月、日蓮正宗大石寺66世細井日達法主は、なぜ娘婿の菅野日龍(慈雲)・大宣寺住職に直接電話をして、赤沢朝陽に ...
戒壇大本尊は9世日有の偽作だ(70-1)~解説・東光寺
■東光寺(とうこうじ) 正式名は富士山東光寺という。日蓮宗・七大本山・法華本門寺根源(北山本門寺)の末寺。 創建は1292(正応5)年。大石寺開創の二年後、北山本門寺よりも古い。 住所は静岡県富士宮市下条で、大石寺とは国道139号線の並びになり、いわば大石寺の「 ...
創価学会の親は日蓮正宗(7)~次第に堀米日淳との関係が悪化していった牧口常三郎氏2
戦前の堀米日淳と牧口常三郎・戸田城聖の関係については、複数の人の証言がある。 1935(昭和10)年4月に日蓮正宗に入信し、第二次世界大戦後に、創価学会理事長を歴任したのち、日蓮正宗僧侶として出家得度。埼玉県大宮市(現さいたま市)の日蓮正宗寺院正因寺住職になった矢 ...
日蓮正宗の「創価学会・板本尊模刻事件の経緯」は史実に反している1
■東京・国立市の大宣寺初代住職・菅野日龍(菅野慈雲)氏の真実2 □日蓮正宗の「創価学会・板本尊模刻事件の経緯」は史実に反している1 その菅野日龍氏は、実に波瀾万丈の人生を歩んだ人である。 東京・国立市の大宣寺という寺院に、日蓮正宗大石寺66世細井日達 ...
東京・国立市の大宣寺初代住職・菅野日龍(菅野慈雲)氏の真実1
■日蓮正宗大石寺66世細井日達法主の娘婿になって寵愛を受けた菅野日龍氏 2011(平成23)年2月6日、大宣寺初代住職の菅野日龍氏が行年78才で死去。本通夜・本葬儀が大宣寺本堂で営まれ、大石寺から日蓮正宗大石寺68世早瀬日如法主の他、隠居の先代67世阿部日顕も出仕。 ...
創価学会の親は日蓮正宗(6)~次第に堀米日淳との関係が悪化していった牧口常三郎氏
1937(昭和12)年の創価教育学会の設立以降、日蓮正宗寺院中野教会歓喜寮(現・昭倫寺)主管(住職)堀米泰栄氏(後の日蓮正宗大石寺65世法主日淳)と、創価教育学会会長・牧口常三郎氏の間柄は、次第に悪化していったもようである。 原因は、二人の考え方の大きな相違にあった。 ...
創価学会の親は日蓮正宗(5)~堀米日淳のもとで布教拡大していった創価教育学会
1937(昭和12)年の創価教育学会の発会式に日蓮正宗寺院中野教会歓喜寮主管(住職)堀米泰栄氏(後の日蓮正宗大石寺65世法主日淳)が出席したということは、実質的に創価教育学会を堀米泰栄氏が日蓮正宗信者の団体として是認したことを意味する。 あれだけ牧口常三郎氏の「創価 ...
ズレていた副導師のマイクの声の読経と団体登山会の信者の読経の声
創価学会の中で創価班があこがれの的になり、法華講の中で輸送班が信者の憧れの的になった理由のひとつが、大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊のお膝元で活動できるということがあるらしい。しかし、その「戒壇の大本尊」なる板本尊は、大石寺9世日有の偽作であり、日蓮の ...
日蓮正宗・法華講は迷惑千万な「街角辻斬り折伏」を直ちに中止せよ3
法華講員たちが、寺院周辺を徘徊して、町ゆく人たちにかたっぱしから声をかけ、だまし討ちもどきに寺院の中に連れ込み、大勢の信者で取り囲んで日蓮正宗への入信を強引に強要するという事件を引き起こしている実例として、東京・仏乗寺、常泉寺の例を書きました。 日蓮正 ...
創価学会の親は日蓮正宗(4)~堀米日淳のもと日蓮正宗信者団体として発足した創価教育学会
1932(昭和7)年、日蓮正宗常在寺法華講「直達講」の解散によって、自分たちの居所を失った牧口常三郎氏・戸田城聖氏は、常在寺のそれまでの信者仲間たちと袂を分かち、東京・中野の日蓮正宗寺院・中野教会歓喜寮の住職・堀米泰栄氏(後の日蓮正宗大石寺65世法主日淳)に親近す ...
戸田城聖が2代会長に就任したころの創価学会とほぼ同じくらいの本行寺支部
法華講本行寺支部の講頭を長く務めた柳沢喜惣次氏が、法華講連合会の権力紛争に勝利した背景には、この講中が柳沢喜惣次氏の指揮の下で信者数を伸ばしつづけ、法華講法道院支部と並んで、法華講連合会の中では信者数が最大級になるほど、大きな講中になったということが挙 ...
日蓮正宗法華講内部の権力紛争に勝利してトップに登り詰めた柳沢喜惣次氏2
本行寺に所属する法華講中である「法華講本行寺支部」は、1990年までの宗創和合時代においては、日蓮正宗において、法華講法道院支部に次いで、最大級の信者数をかかえる法華講であった。今でも妙観講を別にすれば、最大級の法華講であり、法華講連合会の柳沢喜惣次・4代委 ...
日蓮正宗法華講内部の権力紛争に勝利してトップに登り詰めた柳沢喜惣次氏1
今年4月27日、日蓮正宗の信者のトップが座る職である日蓮正宗法華講総講頭で、日蓮正宗法華講連合会4代委員長であった柳沢喜惣次氏が死去。 これを早速、「アンチ日蓮正宗」オフィシャルブログでも報じ、この中で、柳沢喜惣次氏の経歴の中で、かつて法華講連合会幹部と衝 ...
あたかも牧場の牛馬など家畜同然に扱われていた大客殿参詣の日蓮正宗信者
私は、大石寺の調査・研究のために、何度か大客殿の「丑寅勤行」に入ったのだったが、ちょうど、偶然に、創価学会や法華講の団体登山の信者と遭遇したこともあった。「丑寅勤行」は、霊宝虫払い大法会や御大会な特別な行事と重複しない限り、団体登山会と重なろうが、重な ...
創価学会の親は日蓮正宗(3)~牧口常三郎を嫌って直達講を解散した常在寺信者
1932(昭和7)年に日蓮正宗常在寺法華講「直達講」の講頭・三谷素啓氏が死去したことにより、後継講頭の選出を含めた直達講の再建懇談会が開かれたが、直達講顧問の牧口常三郎氏の思想に異質なものを感じていた直達講の講員たちは、牧口氏の講頭就任を拒否。直達講の講中その ...
日蓮正宗とは現代社会の『民主主義』を否定している宗教である
午前7時から御影堂で御講が行われるということなので、車の中でしばらく仮眠していた私は、午前6時30分ごろ、三門から表塔中を歩いて御影堂に行った。御影堂の前では、すでに信者が待ち構えており、「総本山大石寺」と書かれたハッピを着た数人の初老の男性が、竹ホウキで ...
『そんなものまで付き合っていられない』とばかりに客殿から自坊に帰っていった塔中坊の住職たち
大石寺では、毎月3回、法主の大導師のもとに御講が行われている。それは毎月7日の日興の御講、毎月13日の日蓮の御講、毎月15日の日目の御講である。 末寺の御講は住職の献膳・読経・唱題ののち、住職の説法があるが、大石寺の御講は、御影堂で法主の献膳・読経ののち、引 ...
創価学会の親は日蓮正宗(2)~直達講講頭・三谷素啓氏に折伏されて日蓮正宗に入信した牧口常三郎氏
牧口常三郎氏・戸田城聖氏が日蓮正宗信者として入信した日蓮正宗寺院の常在寺(じょうざいじ)とは、東京都豊島区池袋に今でも所在している寺院で、山号は霊鷲山(りょうじゅせん)といい、正式名は日蓮正宗霊鷲山常在寺という。 ここは江戸時代の初期である1605(慶長10) ...
長時間勤行を毎朝夕やらなくてはならない宗教は一般庶民の宗教ではない
大石寺大客殿で行われていた深夜2時30分からの丑寅勤行の五座の勤行というのは、日蓮正宗寺院本堂や信徒宅で行われている五座の勤行とほぼ同じだが、法主は終始東向きに座っている等、若干の違いがあるだけで、あとはほぼ同じ。 法主が座る大導師席にもマイクはあるが、副 ...
創価学会の産みの親・育ての親は日蓮正宗である1
世間では創価学会の増長・宗教被害は、ひとえに最高指導者である池田大作氏に起因するものとする論調が多い。 確かに池田大作という巨大な権力者の増長と独裁的権力による横暴、強引で執拗な入信勧誘や選挙の投票干渉、政教一致の体質などは批判され、弾劾されて余りある ...
客殿・大過去帳の戒名記載は慈悲ではなく明らかなカネ目的だ
法主は、大客殿の大導師席に着座した後、五座の勤行が終了するまで、ずーっと横向きというか、東向きに座ったまま、読経・唱題している。 どうして法主だけは、勤行のときは、横向きで読経・唱題するのか。この理由は、日蓮正宗側の説明によると、法主の唱える題目で大衆 ...
日蓮正宗大石寺の法主は現代の封建専制君主か
「丑寅勤行」開始に伴う大客殿の開門は、午前2時10分ごろ。 真っ暗になった大客殿前広場には、大石寺近隣に住んでいる熱心な信者が数人来ていて、開門を待ち構えていた。丑寅勤行は、毎日深夜に行われているのだが、大石寺近隣に住む熱心な信者の中に、毎日、大石寺の丑寅 ...
日蓮正宗が産み出す不幸の根源・大石寺の『権威』と創価学会の『権力』
日蓮正宗大石寺67世阿部日顕法主は、法主に登座した当初は、創価学会員を積極的に脱会させて日蓮正宗寺院の信者にするという正信覚醒運動(正信会)の路線を、固く禁止していた。 ところが、1991年の宗創戦争の開戦によって、今度は阿部日顕は、逆に創価学会員を積極的に脱 ...
「アンチ日蓮正宗」はいかなる団体・宗派も支持しません。いかなる団体・宗派とも連合しません
これは私が「アンチ日蓮正宗」を設立したときから公言していることですが、「アンチ日蓮正宗」の主宰者・管理人は、どこの政党や政治団体にも所属していません。特定のイデオロギー、主義・思想を支持する立場にもありません。 又、「アンチ日蓮正宗」は、どこの宗教・宗 ...
爆笑!夢と消える法華講員が日蓮本宗要法寺を日蓮正宗に帰一させる野望
要法寺とは、京都・東山三条にある日蓮本宗本山で、富士門流(日興門流)八本山のひとつ、日尊門流の祖山の、あの要法寺です。 一部の法華講員が、要法寺を日蓮正宗に帰一させようと、要法寺に押しかけているのだとか。 こんな大爆笑な話しが、私の元に届けられました。 ...
阿部日顕にとってよほど目障りだった大客殿の池田大作建立寄進のプレート
私が、はじめて日蓮正宗大石寺67世阿部日顕法主という人物を直接見たのは、大石寺の丑寅勤行(うしとらごんぎょう)に入って見学した時が最初である。 丑寅勤行とは、毎日深夜午前2時30分から約1時間にわたって客殿で行われる、法主の朝の勤行である。 大石寺の客殿の ...
宗創戦争を有利に進めるため顕正会や正信会の教学までもパクった阿部日顕
1991年、宗創戦争開戦と同時に、日蓮正宗大石寺67世阿部日顕法主は創価学会との戦いを有利に進めるため、1972年当時にわき起こっていた「正本堂の意義付け問題」を持ち出して、1972年4月に先代の大石寺66世細井日達法主が出した訓諭の中の文 「正本堂は広宣流布の暁は本門 ...