■検証232日蓮正宗未入信者で「戒壇の大本尊」御開扉を受けた人はいた1

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(日蓮正宗大石寺66世法主細井日達の妄説)

他山では進んで写真に出して宣伝しているのに大石寺ではしないという。此れも写真に出して何の効があるのか。(細井日達の著書「悪書『板本尊偽作論』を粉砕す」p11)

よくも斯様な出鱈目(でたらめ)が言えたものと唯あきれかえるばかりである。一度も拝せずして世上の余太議論の書を半囓りして論ずるから根もないことを誠しやかに論ずることになる。

(細井日達の著書「悪書『板本尊偽作論』を粉砕す」p1112)

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歴代法主説法に未入信者は「戒壇大本尊」御開扉を受けられないとは書いていない

 

この言葉を書いているのは、日蓮正宗大石寺66世細井日達法主であるが、これは何も細井日達に限らず、日蓮正宗の僧侶・信者・信者団体が口をそろえて言う、代表的な詭弁である。

つまり「戒壇の大本尊を写真に出して何の効があるのか」と言って、外に対しては、「戒壇の大本尊」の公開を拒否しておいて、その一方では「(戒壇の大本尊を)一度も拝せずして世上の余太議論の書を半囓りして論ずるから根もないことを誠しやかに論ずる」などと言って、日蓮正宗外部の大半の人が「戒壇の大本尊」を拝していないことをいいことに、「一度も拝していないのに、戒壇の大本尊を批判するな」と言って、戒壇の大本尊偽作説をことさらに下そうとするわけである。

何としてでも、戒壇の大本尊偽作説を封じ込めたいのであろうが、まことに悪辣な奇弁と言うべきである。

まず第一に、「(戒壇の大本尊を)一度も拝せずして世上の余太議論の書を半囓りして論ずる」と言うなら、日蓮正宗未入信者でも、過去に「戒壇の大本尊」の御開扉を受けた人が少なからずいたことを言わなくてはなるまい。これについては検証235から検証239において、詳述している。

このことをかつて「アンチ日蓮正宗」内部で議論したところ、日蓮正宗元信者から、

「どうして未入信の人が、『戒壇の大本尊』の御開扉を受けることが出来たのか」

「輸送班がカードを固めている正本堂に、どうして未入信者が入ることが出来たのか」

という意見が複数寄せられた。

日蓮正宗では、「日蓮正宗の僧俗以外の者は絶対に『戒壇の大本尊』の御開扉を受けられない」と言って、徹底的に洗脳している。この洗脳によって、日蓮正宗の信者から戒壇の大本尊偽作説を遠ざけ、封じ込めようとする。

日蓮正宗の元信者ですら、ここまで日蓮正宗の洗脳から脱出できないでいるわけだから、日蓮正宗の現役信者の洗脳度については、推して知るべしである。

さて、問題は日蓮正宗では、「日蓮正宗の僧俗以外の者は絶対に『戒壇の大本尊』の御開扉を受けられない」と言っているが、これは全くのウソであるということである。

この歴史の真実をはっきりさせておくべきである。

正本堂御開扉10 

 

□日有化儀抄62条「末寺の坊主の状なからん者、在家出家共に本寺に於いて許容なきなり」は未入信者は「戒壇大本尊」御開扉を受けられないという意味ではない

 

大石寺では、室町、戦国、安土桃山、江戸時代といった上古の時代から、「戒壇の大本尊」の公開は拒否し続けて、大石寺宝蔵の中に秘蔵しつづけてきているが、「大石寺信者のみ御開扉を受けられる」などとは一言も言っていない。

大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊は、日蓮正宗大石寺9世法主・日有が偽作した板本尊であるが、その偽作した張本人である大石寺9世日有が残した説法のどこを探しても、

「大石寺信者のみ『戒壇の大本尊』御開扉を受けられる」

とは書いていない。

大石寺9世日有のみならず、町・戦国・安土桃山・江戸・明治・大正時代の大石寺歴代法主の説法で、「大石寺信者のみ『戒壇の大本尊』御開扉を受けられる」という意味の説法は存在しない。

日有化儀抄62条の文「末寺の坊主の状なからん者、在家出家共に本寺に於いて許容なきなり」

の文を日蓮正宗では、「本山大石寺においても、末寺の添書(証明書)がなければ、僧であれ、信徒であれ、入山・参詣は許しません。現今でも、信徒の登山参詣は、所属寺院・所属信徒団体の添書を必要としております」と訳していて、「戒壇の大本尊」参詣に末寺の添書を必要とする、という解釈は妥当だろうが、これはそのまま、大石寺本末信者以外は「戒壇の大本尊」御開扉を受けられない、という意味ではない。

このことは、大石寺上古の時代から昭和の時代まで、大石寺未入信・他門流の出家在家でも「戒壇の大本尊」御開扉を受けていた事実によって、証明される。

大石寺では、「戒壇の大本尊」なる板本尊を、大石寺宝蔵に秘蔵していたが、大石寺未入信・他門流の出家在家でも「戒壇の大本尊」御開扉を受けることは認めていた。これは、室町・戦国・安土桃山・江戸・明治・大正・昭和の時代まで、ずっと行われてきたことである。

「『戒壇の大本尊』を大石寺宝蔵に秘蔵する」という意味と「大石寺本末信者以外は『戒壇の大本尊』御開扉を受けられない」というのは、意味がちがう。

「大石寺においても、末寺の添書(証明書)がなければ、僧であれ信徒であれ、入山・参詣は許しません」という文の意味は「大石寺本末信者以外は『戒壇の大本尊』御開扉を受けられない」という文の意味はちがう。

これが、どうして「大石寺信者のみ『戒壇の大本尊』御開扉を受けられる」という意味に変わったのか、というと、創価学会の強引・執拗な折伏・布教活動と関連している。