アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ

正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗」。創価学会や顕正会は勿論の事、その本家本元の日蓮正宗自体も「目くそ鼻くそを笑う」的なものだ。創価学会、SGIや冨士大石寺顕正会、正信会、その他の分派団体……これらの親元・生みの親・育ての親・本家本元は、日蓮正宗です。 伝統仏教の仮面をかぶり、国際人権規約(条約)違反の人権侵害を行い、信教の自由から逸脱した専横活動を行い、一般国民の信教の自由を踏みにじる弾圧を行うカルト宗教を規制する新立法・新条約制定を目指します。日蓮正宗、創価学会、顕正会をカルト宗教に指定して司法監視せよ。反日蓮正宗系活動はカルト宗教の専横・独裁・専政・弾圧に抵抗する現代の自由民権運動である。 (「日蓮七百遠忌大法会」終了後、記念撮影する大石寺67世阿部日顕ら日蓮正宗首脳僧侶と池田大作ら創価学会首脳・昭和56(1981)年10月17日付け聖教新聞)

2014年09月

□正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗」です
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/29372252.html
□反日蓮正宗・反創価学会・反顕正会・反正信会路線の「アンチ日蓮正宗」
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_695541.html
「仏教宗学研究会」とは「アンチ日蓮正宗」管理人が設立した会の名称。この会の中で、「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判・糾弾は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。「仏教宗学研究会のブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。富士門流執着軍団批判は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄だが、「日蓮正宗系」以外の富士門流寺院の調査・研究は「仏教宗学研究会のブログ」の管轄。「仏教宗学研究会」への誹謗中傷に対する反撃・糾弾は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」から、カルト宗教対策、カルト宗教取締特別立法、カルト宗教拡散防止条約制定の活動部分を独立させたものが「国際カルト宗教対策委員会(Icat-Cult)」
□「アンチ日蓮正宗」「Icat-Cult」「仏教宗学研究会」は表裏一体の同体」
http://international-committee-against-cult.doorblog.jp/archives/1655529.html
□「国際カルト宗教対策委員会・公式ブログ」
http://international-committee-against-cult.doorblog.jp/
□「アンチ日蓮正宗」の5番目の批判ターゲットに「富士門流執着軍団」を指定
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/38818720.html
□「アンチ日蓮正宗」の基本方針・基本政策・メインテーマ
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_1081721.html

□日蓮正宗とは伝統仏教の仮面をかぶるカルト・宗教詐欺集団である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_1155403.html
□創価学会は伝統仏教の仮面をかぶるカルト・謀略政治団体である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_622031.html
□冨士大石寺顕正会とは伝統仏教の仮面を被るカルト・暴力集団である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_496386.html
□妙観講とは伝統仏教の仮面をかぶるカルト・謀略集団である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_690733.html
□日蓮正宗正信会とは日蓮正宗の仮面をかぶる創価学会の分派である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_496387.html
□「富士門流執着軍団」とは伝統仏教の仮面を被る謀略軍団である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_1055717.html
□日蓮正宗・創価学会・顕正会・正信会は同じ穴の狢・同罪である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_174276.html
□日蓮正宗管長・代表役員・大石寺法主への離檀宣告書の書式
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/30268020.html
□日蓮正宗からの離檀1(離檀届)
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/17606850.html
□創価学会からの脱会1(脱会届)
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/17607967.html
□冨士大石寺顕正会からの脱会1(脱会届)
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/17611881.html
□正信会からの脱会1(離檀届)
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/17613697.html
□日蓮正宗批判・創価学会批判・顕正会批判は他のカルト宗教批判と構造が異なる
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/33730660.html
□「アンチ日蓮正宗」は永世中立・非同盟・不偏不党・自主独立機関
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_689583.html
□アンチ日蓮正宗・コミュ・ブログ・管理人
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_613423.html
□「アンチ日蓮正宗」の主宰者・管理人は無宗教である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/9893862.html
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/9911806.html
□「アンチ日蓮正宗」はいかなる団体・宗派も支持しない・連合しない
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/10655360.html
□「アンチ日蓮正宗」は単なる数合わせの政治的野合・連合体をめざさない
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/35069469.html
□「『アンチ日蓮正宗』の内容は正確で、問題の本質をとらえている」と日蓮正宗の現役信者・元信者が認めている
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/12617039.html
□「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」管理人の自叙伝
「実録・となりの創価学会員・法華講員」
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_610577.html
<注意事項>
□「アンチ日蓮正宗」の全ての記事・写真等の無断転載、無断使用、無断複製、無断模倣は厳禁です
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/17463344.html
□「「3ブログ」は言論の自由・表現の自由のサイトであり名誉毀損・誹謗中傷・業務妨害サイトではない」
http://bukkyoshugakukenkyukai.doorblog.jp/archives/49127458.html
□「ニセhide」「ニセアンチ日蓮正宗」の謀略にご注意下さい
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_1186234.html
□英昭彦以外の者が他のインターネットサイト・SNS・他の著作物等で「アンチ日蓮正宗」管理人「hide」を名乗ることを厳禁する

□日蓮正宗系カルト対策とオウム・統一教会・幸福の科学等のカルト対策は別個である
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/30040491.html
□「日蓮正宗系」離檀・離宗・脱会確認後、最低5年間は『様子見期間』とさせていただいています
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/43144396.html

<協力要請>

□「日蓮正宗系」カルトを離檀・離宗・脱会された方々へ情報提供・内部告発の協力要請
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/43712967.html
<ご相談>
□御相談は全て管理人の電話にて受け付けていますので電話をお願いします
http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/42053605.html
□管理人の連絡先
(mobile)
080-6553-2774
anti-nichirenshoshu@ezweb.ne.jp
(telephone)
03-6325-6401
(FAX)
03-6325-7926
(PC)
anti_nichirenshoshu@jcom.zaq.ne.jp
(管理人名)英昭彦(hide_akihiko)

百六箇抄は9世日有の偽作だ(54)~「日蓮大聖人」の称号(尊号)は日蓮本仏義の化儀でもなく日蓮本仏義の証拠でもない

■検証54・百六箇抄が偽書である証拠・日蓮本仏義の大ウソ24

 

□「日蓮大聖人」の称号(尊号)は日蓮本仏義の化儀でもなく日蓮本仏義の証拠でもない

 

------------------------------------------------------------

(日蓮正宗の妄説)

日蓮正宗では宗祖を「日蓮大聖人」とお呼び申し上げるが、この「大聖人」とは、仏の別号であり、また宗祖の自称である。法華経には「慧日大聖尊」とある。又宗祖は御書の中で「我身はいうにかひなき凡夫なれども御経を持ちまいらせ候分斉は当世には日本第一の大人なりと申すなり。」

「仏世尊は実語の人なり故に聖人大人と号す」「教主釈尊と申す大人にゆきあはせ給いてこそ仏にはならせ給いしか」「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」「日蓮は日本第一のふたうの法師ただし法華経を信じ候事は一閻浮提第一の聖人なり」とある。これにより大聖人号とは、宗祖の自称であり、仏の別号であることは明らかである。

----------------------------------------------------------------

これまた日蓮正宗のこじつけ教学である。そもそも日蓮遺文の中に「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」「日蓮は日本第一のふたうの法師ただし法華経を信じ候事は一閻浮提第一の聖人なり」とあるからといって、「日蓮は大聖人号を自称した」と解釈するのは言い過ぎである。

又、法華経に「慧日大聖尊」、遺文に「我身はいうにかひなき凡夫なれども御経を持ちまいらせ候分斉は当世には日本第一の大人なりと申すなり。」「仏世尊は実語の人なり故に聖人大人と号す」「教主釈尊と申す大人にゆきあはせ給いてこそ仏にはならせ給いしか」とあるから、釈迦如来の別号が「大聖人」であるとしても、大石寺では「日蓮大聖人」と呼んでいるから、これは日蓮本仏義が古来からあった証拠だと言うのは、こじつけ教学、自慰教学も甚だしい。

まず第一に、「日蓮大聖人」の号を使っているのは、何も日蓮正宗だけでなく、日蓮宗や法華宗でも「日蓮大聖人」と言う言い方をする宗派・寺院もたくさんある。もちろん日蓮宗や法華宗は、日蓮本仏義を以て「日蓮大聖人」と呼んでいるのではない。例えば池上本門寺(日朗門流)では、在世の貫首・高僧を「上人」号で、滅後の貫首・高僧を「聖人」号で呼び、宗祖である日蓮は在世・滅後の全ての貫首・高僧よりも上位の師匠・祖師であるという意義を以て「大聖人」号で呼んでいる。決して日蓮本仏義を信奉して「日蓮大聖人」と呼んでいるのではない。当たり前のことである。

別の宗派では、下から、○○坊→○○院→○○上人→○○大上人→○○聖人と称している。

その他の日蓮宗や法華宗でも「日蓮大聖人」と言う言い方をする宗派・寺院の場合も、「聖人」「上人」号の貫首・高僧よりも上位の師匠・祖師であるという意義で「大聖人」号で呼んでいることについて、概ね大同小異である。浄土真宗では歴代門首を上人,親鸞と師の法然を聖人とよぶ。

したがって「大聖人」号そのものと日蓮本仏義は全くの無関係のものである。大石寺では「日蓮大聖人」号を使っているからといって、日興在世当時から日蓮本仏義が存在していたかのように言う日蓮正宗の義は全くの誤謬である。

 

続きを読む

百六箇抄は9世日有の偽作だ(53)~大曼荼羅本尊の前に日蓮祖師像(木像・御影像)を祀る化儀は日蓮本仏義の証拠ではない

■検証53・百六箇抄が偽書である証拠・日蓮本仏義の大ウソ23

 

□大曼荼羅本尊の前に日蓮祖師像(木像・御影像)を祀る化儀は日蓮本仏義の証拠ではない

 

-------------------------------------------------------------

(日蓮正宗の妄説)

大石寺御影堂をはじめ日蓮正宗の古刹寺院では、大曼荼羅御本尊の前に日蓮大聖人御影像を御安置する。これは人法一箇の化儀を顕している。人法一箇とは、人法体一・人法一体ともいい、法華経本門寿量品の文底に秘沈される法即人の本尊と人即法の本尊が、一体不二の当体であることをいいます。法即人の本尊とは久遠元初自受用報身如来である日蓮大聖人をいい、人即法の本尊とは文底独一本門の事の一念三千の南無妙法蓮華経である本門戒壇の大御本尊をいいます。日蓮大聖人は『諸法実相抄』に、「釈迦・多宝の二仏と云ふも用の仏なり。妙法蓮華経こそ本仏にては御坐(おわ)し候へ(中略)凡夫は体の三身にして本仏ぞかし」(御書 665頁)

と説かれています。久遠本果五百塵点劫成道の釈尊と、本因下種の妙法蓮華経を対比すれば、釈尊は右御書に「用の仏」とあるように、化他のために相好を有する色相荘厳の仏、垂迹仏であるのに対し、妙法蓮華経こそ久遠元初・本地自行の本仏であり、凡夫無作の当体であることが拝されます。すなわち、熟脱の仏法における仏は、妙法を師として成道した垂迹化他の仏である故に、人(仏)は劣り、法は勝れますが、下種の仏法における本仏は、大聖人が『総勘文抄』に、

「釈迦如来五百塵点劫(じんでんごう)の当初(そのかみ)、凡夫にて御坐(おわ)せし時、我が身は地水火風空なりと知(しろ)しめして即座に悟(さと)りを開きたまひき」(御書 1419頁)

と仰せられるとおり、久遠元初の一念に境智冥合し、即座に開悟された本地自行の仏であり、人法体一の真仏なのです。総本山第二十六世日寛上人は、右の「釈迦如来」とは自受用報身如来であり、「五百塵点劫の当初」とは久遠元初、「我が身は地水火風空」とは御本仏の色法で本地の境妙、「知しめして」とは本仏の心法で本地の智妙とされ、この境妙と智妙が冥合して南無妙法蓮華経と唱える故に「即座に開悟」し、久遠元初の自受用身と顕れる、と御教示されています。

本門寿量品の文底に秘沈される久遠元初の人・法の本尊は、その名は異なっていても、自受用身即一念三千・一念三千即自受用身の人法体一であり、日蓮は即南無妙法蓮華経であるとの意です。大聖人は久遠元初自受用身の再誕として末法に出現され、『経王殿御返事』に、

「日蓮がたまし()ひをすみ()にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御()(こころ)は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」(御書 685頁)

また『御義口伝』に、「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(御書 1773頁)

とあるように、御自身の内証を「南無妙法蓮華経日蓮」と認めて、人法一箇の大漫荼羅本尊を顕されました。(大白法・平成9年5月16日刊 第478号より引用)

-------------------------------------------------------------

 

続きを読む

百六箇抄は9世日有の偽作だ(52)~日興が日蓮木像を尊崇していたことは日興が日蓮を本仏と崇めていたことを意味しない

■検証52・百六箇抄が偽書である証拠・日蓮本仏義の大ウソ22

 

□日興が日蓮木像を尊崇していたことは日興が日蓮を本仏と崇めていたことを意味しない

 

日蓮正宗では、日興が弟子や信者に書き残した消息文(手紙)の中に、日蓮のことを「本師」「聖人」「法華聖人」「法主聖人」「御経日蓮聖人」「仏」「仏聖人」等と尊称して書いていることや、日興の直弟子で重須談所の二代学頭(住職に次ぐナンバー2の職)の職にあった日順が書いたと伝えられる「従開山伝日順法門」という文書の中に

「身延山には日蓮聖人九年、其後日興上人六年御座有り、聖人御存生の間は御堂無し、御滅後に聖人の御房を御堂に日興上人の御計として造り玉ふ。御影を造らせ玉ふ事も日興上人の御建立なり」(日蓮正宗59世法主堀日亨編纂『富士宗学要集』2p95)

と書いてあることから、日興が生きていた時代における日興門流において、日蓮の御影像(木像)が大漫荼羅本尊とともに崇拝の対象になっていたとして、このころから「日蓮本仏義」が存在していたと主張している。 日興は日蓮の木像を尊崇の対象のひとつとしていたのかもしれないが、だから日蓮を「釈迦牟尼を超越する末法の本仏」と定義づけていたとすることとは、全く意味が違う。

日蓮正宗が言う、日興の代から「日蓮本仏義」が存在していたというのは大ウソである。

まず第一に、日蓮の御影像(木像)を大漫荼羅本尊の前に安置して祀ったり、あるいは日蓮の御影像(木像)を独立して祀ったりする宗教上の化儀は、何も日興門流、富士門流、日蓮正宗だけのものではなく、日蓮正宗のような日蓮本仏義を全く用いていない身延山久遠寺をはじめ日蓮宗全体において広く行われている化儀である。 したがって、日蓮の御影像(木像)を祀ったり、尊崇の対象にするという宗教上の化儀が「日蓮本仏義」の証明になるはずがない。当然のことである。現在のところ、科学的な鑑定が済んだ日蓮木像で最も古いものは、日蓮宗大本山・池上本門寺大堂に祀られる日蓮祖師像(木像)であり、板曼荼羅本尊の前に日蓮祖師像(木像)が祀られている。その他、日蓮宗寺院に行けば、必ずといっていいほど日蓮祖師像を祀る堂宇(祖師堂)があるが、日蓮宗が「日蓮本仏義」の宗派ではないことは今さら言うまでもないことである。したがって、日蓮の御影像(木像)を大漫荼羅本尊とともに崇拝の対象とすることは、日蓮本仏義の証拠にならない。

それから、日興が日蓮のことを「仏」「仏聖人」等と尊称して書いていたことを以て「日蓮本仏義」の文証(文献上の証拠)にしようとするというのは、無理なこじつけも甚だしいものがある。

これなどは、死に際して南無妙法蓮華経を唱えて成仏したという、一般的に故人を仏と呼ぶ世間の習慣に従って、「仏」と呼んだにすぎないものであることは明らかである。 日蓮正宗は、少しでも都合のいい文を持ち出してきて、無理やりにでも「日蓮本仏義」の文証に仕立て上げたいのだろうが、残念ながら、学問的、学術的に冷静・中立な研究を積み重ねていけば、日蓮や日興、日目が生きていた時代に「日蓮本仏義」が存在していなかったことが、明らかになっていくだけである。

 

続きを読む

百六箇抄は9世日有の偽作だ(51)~「佐渡の冬は北極のように寒い」は日蓮正宗・創価学会・顕正会・正信会のウソである

■検証51・百六箇抄が偽書である証拠・日蓮本仏義の大ウソ21

 

□「佐渡の冬は北極のように寒い」は日蓮正宗・創価学会・顕正会・正信会のウソである

 

「日蓮正宗系」団体が唱える日蓮本仏義と小氷期、身延山での日蓮の極貧・極寒生活には、もうひとつ面白い矛盾がある。日蓮正宗、創価学会、顕正会等の「日蓮正宗系」団体では、「日蓮大聖人様は、極寒の佐渡島へ流罪になり、奇跡的に生きて鎌倉へ帰った」「極寒の厳しい寒さと雪の佐渡島の生活に耐えられたのは、奇跡だ。日蓮大聖人様は末法の御本仏の証拠」「佐渡島の冬は、北極のような寒さだった」…等々と、日蓮が身延山に入る前の佐渡島での生活が極寒・極貧生活で、身延山の生活は信徒からの供養で百人以上の弟子を養う生活をしていたなどと言っている。20075月、日蓮正宗は佐渡で「佐渡塚原跡碑建立法要」なる法要を、日蓮正宗大石寺68世早瀬日如法主の臨席のもとで営んでいるが、この席で早瀬日如はこんなことを言っている。

「佐渡在島中の大聖人様の御苦難というものは、それこそ筆舌に尽くせぬものがあったと拝する次第でございます。」

日蓮が佐渡流罪中の「筆舌に尽くせぬ苦難」というのは、まず佐渡が「北極のような厳寒の地」であったと言いたいようである。ところが、実際はこれが全く逆。こんな日蓮正宗の宣伝は真っ赤なウソ。実際は佐渡島は比較的温暖な島で、身延山の日蓮の生活が極寒地獄、餓死寸前の極貧生活だったのである。佐渡というのは、新潟県沖の日本海上にぽっかり浮かんでいる島。当然、「アンチ日蓮正宗」管理人も、佐渡島に行って現地調査をしてきている。

実際は佐渡島というところは、佐渡沖を対馬海流が流れている影響から、新潟県の本土側に比べ積雪は少ない。冬に数メートルの積雪がある豪雪地帯は、新潟県・本土側の山岳地帯の話しであって、佐渡島の話しではない。また、佐渡の冬は、北極のような寒さ・厳寒の冬どころか、気温が新潟県本土側にくらべて12度程度高く、わりと温暖で、とても過ごしやすい地域である。

私は佐渡に行ったとき、何人もの地元の人たちから話しを伺ったのだが、異口同音に、佐渡の寄稿については、「冬はほとんど雪が降らない」「とても温暖で、すごしやすい所」と言っていた。

また佐渡沖の日本海は、暖流と寒流の接点にあるめ、植生にきわめて富んでおり、佐渡島内で北海道・沖縄両地方特有の植物が同居する、非常に珍しい地域であるというのである。というわけで、佐渡はわりと自然の食べ物も豊富。日蓮が好きだった酒造りも、上古の昔から行われている。

ところで、流罪(るざい)とは刑罰の一つで、罪人を辺境や離島に送る追放刑であるが、日本の国土は中国のような広大ではなかった為に、畿内からの距離によって「近流」・「中流」・「遠流」の3等級が存在した。基準としては近流300里・中流560里・遠流1500里であったと言われている。

つまり京都・鎌倉から遠隔地に追放するのが主眼の刑罰だったのであって、「北極のような厳寒の地」に幽閉することが主眼だったわけではない。ちなみに流罪者の妻妾は連座して強制的に同行させられるが、他の家族は希望者のみが送られた。

 

続きを読む

大木道惠氏の二重スパイ疑惑を糾す(4)~大木道惠氏「喜んで『日蓮正宗のイヌ』になります」宣言を糾す

□「喜んで『日蓮正宗のイヌ』になります」宣言は大木道惠氏が二重スパイである証拠のひとつだ

 

19917月号「新雑誌X」で「私(梅原正紀)や大木(道惠)氏は喜んで『日蓮正宗のイヌ』になります」と言って、「喜んで『日蓮正宗のイヌ』になります」宣言をしたのも、ちょうど日蓮正宗と創価学会の『宗創戦争』の最中のころのことである。該当部分を正確に引用すると

「『新雑誌X』では今回を含めて、四回に及ぶ座談会をしましたが、出席者である私たちは『創価学会に点が甘い』『創価学会のイヌ』()という批判を受けてきましたが、私たちの真意はこのへんにあるわけです。日蓮正宗当局がこうした活動を推進するようなら、私(梅原正紀)や大木(道惠)氏は喜んで『日蓮正宗のイヌ』になります。しかし残念ながら、現在の正宗ではその『イヌ』になれないでしょう」である。この「喜んで『日蓮正宗のイヌ』になります」宣言が、大木道惠氏が「日蓮正宗・創価学会の二重スパイ」である証拠の一つであると「アンチ日蓮正宗」から厳しい追及・言論の追撃を受け続けた大木道惠氏は、最近、苦し紛れに

「この発言は私自身のものではない」「日蓮正宗当局がこうした活動を推進するようなら、と条件付きで言っている」

などと、言い訳をしているようですが、これは完全な詭弁である。なぜ詭弁なのか。ひとつひとつ検証していきたい。

 

>この発言は私自身のものではない(大木道惠)

この「喜んで『日蓮正宗のイヌ』になります」宣言は、丸山実、梅原正紀、大木道惠の『新雑誌X』誌上座談会で飛び出したもの。たしかに「私(梅原正紀)や大木(道惠)氏は喜んで『日蓮正宗のイヌ』になります」と発言したのは、梅原正紀氏だが、しかしこの座談会に大木道惠氏が出席していて、目の前で「私(梅原正紀)や大木(道惠)氏は喜んで『日蓮正宗のイヌ』になります」との発言があり、大木道惠氏もこの発言を否定していないではないか。もしこれが、とんでもない発言なら、その場で否定するはずだし、そもそも大木道惠氏は『新雑誌X』の副編集長だったわけだから、とんでも発言なら、掲載させないはずだ。それをわざわざ掲載させているわけだから、実質的に肯定していると言える。この問題は、誰が言っただのという理屈ではなく、もし仮にアンチの中で「私は喜んで『日蓮正宗のイヌ』になります」との発言があったら、どういうことになるだろうか。それこそ大変なことになるはず。総スカンを食らうはずだ。しかし総スカンどころか、こんな発言を平然と活字にして雑誌に載せている、という事実をよくお考え戴きたい。

 

>日蓮正宗当局がこうした活動を推進するようなら、と条件付きで言っている(大木道惠)

条件付きなら、「日蓮正宗のイヌ」になる、といううことは認めている、ということですね。本業がジャーナリストなのか、記者なのか、スパイなのにか、なんなのか知りませんが、普通の人が条件付きでも、条件なしでも「私は喜んで『日蓮正宗のイヌ』になります」なんていう発言をするもんですか。

こんなことを言うこと自体、どこかのイヌになっていたということ以外、考えられないのではないですか。どう思いますか。

新雑誌X1


新雑誌X2
 

(大木道惠氏「喜んで『日蓮正宗のイヌ』になります」宣言・19917月号「新雑誌X」より)

三浦和義2
 

(大木道惠氏のそっくりさん・三浦和義氏)

 

続きを読む
メッセージ

名前
メール
本文
記事検索
最新記事(画像付)
最新コメント
livedoor プロフィール
カテゴリ別アーカイブ
  • ライブドアブログ