□『私が猊下になったら教えてやる』と言った山口法興氏に正本堂落慶レプリカ説を質問
私が山口法興氏について関心があったのは、全国檀徒大会や擯斥処分のことではなく、日蓮正宗大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊が正本堂落慶法要の時に、創価学会御用達の仏壇屋・赤沢朝陽が制作したレプリカ板本尊とすり替えられたという「正本堂落慶法要レプリカすり替え説」についてである。
元日蓮正宗法華講信者・美濃周人氏が著書「虚構の大教団」の中で、イニシャルながら山口法興氏が、1972年の正本堂落慶の時に「戒壇の大本尊」なる板本尊のレプリカが製造されたことを認める記事が載っている。その中には、次のように書いてある。
「その大本尊は、正本堂が完成すると、正本堂ではなく御宝蔵へしまわれてしまったという。当時、その戒壇の大本尊を奉安殿から御宝蔵へ肩にかついで運んだという僧侶が東京にいる。MS寺(妙真寺)のYH僧侶(山口法興)である」
「GS氏も以前はMS寺(妙真寺)所属の信者であった。私はGS氏から『私はYH(山口法興)住職からまちがいなく、そう聞きました』という証言をもらっている」
「YH(山口法興)氏は現在、日蓮正宗から離脱しているものの、正信会の僧侶として活躍しているという。いくら日蓮正宗から離脱しているとは言っても、戒壇の大本尊までは否定できない」
概ね、こんな感じで記載されている。これについて、私は、直接、山口法興氏に確かめてみたいと思い、妙真寺を訪れたわけである。
ただひとつ、気になることがあった。それはかつて第一次宗創戦争から日蓮正宗大石寺・正信会戦争で、山口法興氏が「正信覚醒運動」「正信会」のセンターとして、日蓮正宗大石寺や創価学会と激しく対立していたころ、一人の信者が山口法興氏に質問した時に、質問した信者に対して、山口法興氏は「私が猊下(法主)になってから教えてやる」と言った逸話が余りにも有名。
私の質問に対して「私が猊下(法主)になってから教えてやる」と言うのではないかという危惧はあった。山口法興氏が本当に「私が猊下(法主)になってから教えてやる」と言うかどうか確かめるという意味も含めて、山口法興氏に質問してみようと思い、妙真寺に行ったわけである。
私もすんなり山口法興氏が出てきて話が出来るかどうかと言う危惧もあったが、以外とすんなり山口法興氏が受付に出てきて、私の質問に応じてくれたのである。私としては、あっさり山口法興氏が出てきたことに、意外な印象を持った。
しかし山口法興氏と直接会見して話を聞く機会が生まれれば、これはまさに「千載一遇のチャンス」である。私は、山口法興氏に、正本堂落慶法要の時に「戒壇の大本尊」なる板本尊が赤沢朝陽が製作したレプリカ本尊とすり替えられたという「正本堂落慶法要レプリカすり替え説」について質問した。つまり山口法興氏にこれを質問したというのは、美濃周人氏の著書「虚構の大教団」の中に、「正本堂落慶法要レプリカすり替え説」を唱えた人物が、この山口法興氏だと書いてあるからである。
山口法興氏は、私の質問にしばらく沈思したあと、たんたんとした口調で、次のように答えた。
「そんなことはないですね。正本堂にあるのは、戒壇の大御本尊様のレプリカではありません。私は(1972年の)正本堂落慶の時には大石寺にいて、奉安殿から正本堂への大御本尊御遷座法要の(僧侶側の)役員をやっていましたが、レプリカとすり替えられたという事実はありません。アレは本物の戒壇の大御本尊さまです」
つづけて山口法興氏は「下衆の勘繰り」で、いろいろなことを言う人はいるが、「戒壇の大本尊」が1972年(昭和47年)に奉安殿から正本堂遷座の時に、レプリカが造られて、本物とレプリカがスリ変わったなどという事実はないし、そのような証拠はないと全面否定した。
これは意外な返事であった。まず、美濃周人氏の著書「虚構の大教団」に書いてある内容と、全面的に食い違っていること。美濃周人氏の著書の内容と全く違う返事が山口法興氏から返ってきたのには驚いた。しかし山口法興氏が、「戒壇の大本尊」なる板本尊の「正本堂落慶法要レプリカすり替え説」を否定したので、ある程度これは根拠が薄くなったと思われる。
では美濃周人氏の著書「虚構の大教団」の中にあるGS氏の山口法興証言と、私が直接質問したときの山口法興証言が全く食い違っているというのは、どういうわけか。
GS氏の証言内容というのも、あながちにウソを言っているようには思えない。ならば、山口法興氏が二枚舌を使っているということか。どちらかがウソを言っているということになる。
そこで美濃周人氏の著書「虚構の大教団」の中にあるGS氏の山口法興証言というものを、調べてみることにした。GS氏は、1979年に創価学会を脱会し、日蓮正宗正信会の妙真寺の檀徒になったが、1981年には、妙真寺を離檀している。つまりGS氏は、1979~1981年の間に、山口法興氏の口からレプリカ説を聞いたということになる。
ちょうどこの時期は、山口法興氏が日蓮正宗大石寺67世阿部日顕法主から、住職罷免処分・擯斥(破門)処分になり、妙真寺信者も大石寺参拝(登山)停止になり、激しく信者が動揺していた時期である。日蓮正宗の信者にとって、大石寺参拝、「戒壇の大本尊」なる板本尊の「御開扉」が受けられなくなるというのは、致命的な信仰的痛手である。このまま妙真寺にいても「戒壇の大本尊」御開扉が受けられないということになると、宗門側の日蓮正宗寺院に移ろうという信者が続出する。実際に私は、この時に宗門側寺院に移った信者を知っている。
そこで、山口法興氏は、妙真寺信者の動揺を押さえるために、ハッタリで「戒壇の大本尊」レプリカ説なるものを言った可能性がある、ということだ。つまり大石寺・宗門側寺院に移っても、大石寺の「戒壇の大本尊」はレプリカなんだから、移っても意味がありませんよ、というわけである。
いずれにしろ、真相ははっきりしないが、私の質問に対して山口法興氏が、大石寺「戒壇の大本尊」の「正本堂落慶法要レプリカすり替え説」を全面否定したことは事実である。
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