■妙興寺(みょうこうじ)

 

下総国(千葉県)の妙興寺とは、二ヶ寺あり、いずれも日蓮宗の寺院。

 

□正峰山妙興寺

 

千葉県香取郡多古町多古584にある、日蓮宗寺院で正峰山妙興寺という。

寺域に本堂、山門、鐘楼などが建ち並び歴史の重さを感じさせる名刹。日蓮上人の直弟子、中老日辨によって正安2年(1300)年に創建された。二世日忍の時に現在の峰の地に移り、山号を正峰山と改めて以降、通称「峯の寺」と呼ばれている。

山門は明和2年(1765)、三世日精の代に建てられ、多古藩主の定紋が附されています。寺には、弘安2年(1279)に日辨に与えた日蓮直筆の曼陀羅、立正安国論草稿のほか、日辨御持扇地紙、日祐・日尊・日親の曼陀羅、正木大膳時茂、原胤栄の制札など、多数の寺宝が所蔵されている。

また寺内には、多古藩主久松氏の墓地、演劇で有名な「鏡山おはつ」のモデルとされる忠婢さつの墓がある。

 

 

□長崇山妙興寺

 

千葉県千葉市若葉区野呂町738にある、日蓮宗の本山(由緒寺院)。長崇山妙興寺という。

日蓮の檀越・曽谷入道教信の子である曽谷四郎左衛門直秀が出家して道崇と号し、建治元年(1275)、今の境内の南方800メートルの加納ヶ丘の地に法華の道場を開いた。

その後、講堂が建立され、七堂伽藍が建てられた。

永禄12(1569)、里見氏の兵乱によってことごとく堂宇を焼失。

天正7(1571)、地頭・斉藤善七郎胤次が再建願主として現在地に土地を寄進して堂宇を建立。

慶長元年(1596)、妙興寺に野呂檀林が開檀され、当時としてはまれに見る大講堂があった。

寛文元年(1661)、碩学・安国院日講が「法華玄義」「法華文句」を講ずると全国から学僧が集まって隆盛を極めた。

寛文6(1666)、徳川幕府は安国院日講が唱える不受不施を非として日講を日向に流罪にし、時運が衰微した。

大石寺15世法主日昌が、法主として在位していたのは1596(慶長元年)から1622(元和8)の間であるので、大法院日憲が長崇山妙興寺の日憲だとすれば、野呂檀林の学僧である可能性が高い。

峰・妙興寺2