□創価学会寄進建立により「願主 法華講総講頭 池田大作」の板本尊が祀られていた大円寺

 

大円寺(たいえんじ)とは、神奈川県大和市にある日蓮正宗の寺院で、正式な名前は福修山(ふくしゅうさん)大円寺という。小田急江ノ島線桜ヶ丘駅から徒歩15分くらいのところにあり、すぐ近くは、在日米軍厚木基地である。

1980年代の宗創和合時代のことですが、私が仕事で大和市に行っていたときに、車で走行中に、偶然、この大円寺を発見した。

日蓮正宗・大円寺という寺院は、1984(昭和59)年にはじまった、創価学会が日蓮正宗に対して末寺・二百ケ寺を建立寄進するという事業で建てられた寺院のひとつ。建物そのものは、普通の一戸建ての一軒家のような造りの寺院であった。

日蓮正宗宗務院機関誌「大日蓮」などの報道によると、二百ケ寺建立寄進事業は、池田大作の発願によるもの。というわけで、池田大作・創価学会の二百ヶ寺建立寄進で建てられた日蓮正宗寺院には、名前に「大」がついているものがよくある。これは、日蓮正宗大石寺67世阿部日顕法主が、積極的に池田大作の名前から「大」の字をとって付けた名前であるという。

そうすると、さしずめ池田大作の寺院ということになるのであろうか。

大円寺の表門をくぐり、中に入っていくと、大円寺本堂の中央須弥壇には、「願主 法華講総講頭 池田大作」という名前入りの板本尊が堂々と祀られていた。

「二百ケ寺建立寄進」は、創価学会が土地・建物一式を用意・建設し、当初の名義は、創価学会の名義になっている。そのため、本堂に祀る板本尊も池田大作が願主になって日蓮正宗大石寺に願い出る。だから創価学会寄進の寺院本堂の板本尊の脇書には、必ず「願主 法華講総講頭 池田大作」という名前入りの板本尊になる。

寺院建立落慶法要も創価学会の主催する行事であり、日蓮正宗側から出席する大石寺法主、末寺住職たちは、創価学会に招かれて出席している。そして落慶法要の後、創価学会から日蓮正宗への名義変更の手続きが取られるのだという。

その当時、創価学会から日蓮正宗への「二百ケ寺建立寄進」には、日蓮正宗の住職・僧侶たちから、かなり大きな期待がかけられていた。というのは、日蓮正宗は毎年のように、三十人以上の僧侶を新規採用して出家得度させているため、年三十人以上のペースで僧侶が増えつづけている。そうすると、末寺寺院が増えなければ、教師僧侶にはなったが住職になれないという「無任所教師」「在勤教師」と言われる人たちが、どんどん増えていく。そこで、日蓮正宗の内部では、創価学会の「二百ケ寺建立寄進」に、大きな期待がかかった。そういう中で佐藤伴道氏が阿部日顕法主に任命されて初代住職に就任している。

私が中に入っていっても、本堂の中には、だれもおらずガラーンとしていた。

本堂の横には、座布団と机がある居間があった。そうこうしているうちに、庫裏の奥で、男女がケンカする声が聞こえてきた。何だろうと思って、耳をそばだてていると、これが住職・佐藤伴道氏夫婦の、夫婦ゲンカ。「夫婦ゲンカは犬もくわない」というのは百も承知のことだが、端から見ていて、佐藤伴道氏という人は、僧侶にしては、ずいぶん血の気が多い人に見えた。

あの当時、まだ四十代前の若手僧侶という感じだったが、佐藤伴道氏の体格が、これまたかなり「メタボリック」な体格であったことから、「これはどうも、肉料理の食べ過ぎかな」という印象をもった。別に、何を食べようが自由だとは思うが、「血の気が多い僧侶」というのは、外から見ていて、あまり見よいのいいものではない。

大円寺1 

 

□大円寺の日蓮正宗離脱を謀って失敗し大円寺から退去した初代住職・佐藤伴道氏

 

初代住職・佐藤伴道氏は、1991年の宗創戦争勃発後は、創価学会から脱会した信者を集めて「法華講大円寺支部」を結成し、日蓮正宗の住職として、かなり活発に創価学会脱会、法華講信者育成の活動に取り組んでいたように見えた。

ところが1999(平成11)9月、佐藤伴道氏は、突如として、方針を180度転換。日蓮正宗大石寺との本末関係解消を宣言して日蓮正宗から離脱。法華講信者を大円寺から追い出して、大円寺と住職・佐藤伴道氏は、日蓮正宗から創価学会に寝返ってしまったのである。

つまり大円寺を、名実共に「池田大作の寺院」にしてしまったのであった。

1999(平成11)年は、佐藤伴道氏の他に、京都市福知山市の顕妙寺住職・周寳覧道氏、広島県三次市の善聴寺住職・藤田雄運氏、鹿児島県伊佐市の蓮秀寺住職・山根雄務氏、宮城県名取市の広安寺住職・原雄益氏が、日蓮正宗から離脱して創価学会に寝返っている。

その後、大石寺と佐藤伴道氏の間で、宗派離脱事件を巡って裁判になり、結局、2001(平成13)6月になって、佐藤伴道氏は大円寺を退去して、再び、大円寺には、日蓮正宗大石寺67世法主阿部日顕が任命する住職が赴任した。

この間の経過は、1999(平成11)9月、佐藤伴道氏が、日蓮正宗大石寺との本末関係解消を宣言して日蓮正宗から離脱を通告したため、日蓮正宗宗務院はこれを撤回するよう佐藤伴道氏に命じたが聞き入れないため、住職罷免処分にした。佐藤伴道氏は住職罷免・大円寺退去を拒否したため、日蓮正宗は佐藤伴道氏を擯斥処分(破門)にした。

1999(平成11)12月に日蓮正宗が佐藤伴道氏の大円寺退去を求めて横浜地裁に提訴。2001(平成13)3月、横浜地裁が佐藤伴道氏に対し、仮執行宣言を付して、大円寺の明け渡しとともに、平成11年12月の住職罷免の日から寺院明け渡しに至るまでの間、月額64万8千円の割合による賠償金支払いを命ずる判決を下した。この判決により、佐藤伴道氏は控訴を断念し、大円寺明け渡しが確定した、というわけである。

2001(平成13)6月、佐藤伴道氏は大円寺を退去して、再び、大円寺には、日蓮正宗大石寺67世阿部日顕法主が任命する住職・野村雄安氏が赴任した。

ところで、大円寺を退去した佐藤伴道氏は、一体、どこへ行ってしまったのか。

どこかで、大好きな?肉料理を食べているのだろうか。