■検証241・熊田葦城氏に「戒壇の大本尊」の写真を寄贈した日蓮正宗大講頭・由井一乗氏

 

□熊田葦城本の「戒壇の大本尊」御開扉写真とよく似た御開扉写真が載っている由井一乗氏の本

 

熊田葦城氏は、明治44年刊行の著書「日蓮上人」の中で、「戒壇の大本尊」の写真を入手した経緯について

「これ日蓮上人より日興上人に伝えられたる本門戒壇の大本尊なり。丈四尺六寸余、幅二尺一寸余の楠材にして日蓮上人の真筆に係り日法上人之を彫刻す。今、冨士大石寺に宝蔵す。由井一乗居士、特に寄贈せらる」(日蓮上人p375)

と書いていて、自身の折伏親である由井一乗氏から寄贈されたとしている。

由井一乗とは雅号であって、本名は由井幸吉という。

由井一乗という人物は、大正元年(1912)10月、東京独一本門講が出版した『総本山大石寺真景』という写真集に、日蓮正宗大講頭の肩書で叙言を書いている。よって熊田葦城氏に「戒壇の大本尊」の写真を渡した当時、すでに由井一乗氏は日蓮正宗大講頭の地位にあったと考えられる。

さらに由井一乗氏は、昭和4(1929)513日、日蓮正宗大石寺60世阿部日開法主より日蓮正宗法華講総講頭に任命されている。そのとき、阿部日開より由井一乗に「賞与大漫荼羅」(賞与本尊)と賞状が与えられた。阿部日開自筆の賞状には、由井を称えて、

「多年爲法外護ノ勳功ニ依リ大漫荼羅ヲ賞與シ之ヲ表彰ス、昭和四年五月十三日 總本山日開在判」

とある。つまり、こういう日蓮正宗の中で枢要な地位にある人物が、熊田葦城氏に渡した「戒壇の大本尊」なる板本尊の写真とは、隠し撮りや盗撮によって撮影されたものではなく、日蓮正宗大石寺の正式許可のもとに撮影され、熊田葦城氏の著書「日蓮上人」に掲載されたということである。

1911(明治44)年当時の写真技術からして、御影堂の「御開扉」のときに、「戒壇の大本尊」なる板本尊を隠し撮りないしは盗撮するなどということは、絶対に不可能であると同時に、いくら大講頭や総講頭の地位にある人物といえども、由井一乗が勝手に大石寺御影堂の中に入って「戒壇の大本尊」なる板本尊の御開扉の時に、堂々と御影堂に写真機(今で言うカメラ)を構えて、撮影するなどということも不可能である、ということである。

この「戒壇の大本尊」なる板本尊の写真撮影と熊田葦城氏の著書「日蓮上人」への掲載が、日蓮正宗大石寺の正式許可のもとに行われたことは、日蓮正宗大石寺66世法主・細井日達が著書「悪書『板本尊偽作論』を粉砕す」の中で認めているところである。

 

さて由井一乗が日蓮正宗大講頭の肩書で叙言を書いている大正元年(1912)10月、東京独一本門講が出版した『総本山大石寺真景』という写真集に、

「御堂の寶殿・戒壇の大御本尊御開扉の霊況」

と題する写真が載っている。

御堂御開扉3大石寺真景 

これは当時、大石寺の大きな法要で多くの信者が参詣したときに御影堂で行われていた御開扉の直前の写真である。

これと明治44年刊行の熊田葦城氏の著書「日蓮上人」に載っている「戒壇の大本尊」の写真と比較してみると、実によく似ている。

戒壇大本尊6明治44年熊田本3

 

著書「日蓮上人」に載っている「戒壇の大本尊」御開帳の直前の写真が、『総本山大石寺真景』に載っている「御堂の寶殿・戒壇の大御本尊御開扉の霊況」の写真というようにも見える。

ところで、熊田葦城氏に「戒壇の大本尊」の写真を提供した由井一乗氏も、自ら本を出版していて、その中に「戒壇の大本尊」の写真を載せているのである。