■検証245・いかにして由井一乗氏は大石寺御影堂で「戒壇の大本尊」を写真撮影したのか

 

□写真館のプロ写真家の出張撮影で撮影された可能性が高い御影堂「戒壇大本尊」御開扉写真

 

熊田葦城氏は、明治44年刊行の著書「日蓮上人」の中で、「戒壇の大本尊」の写真を入手した経緯について

「これ日蓮上人より日興上人に伝えられたる本門戒壇の大本尊なり。丈四尺六寸余、幅二尺一寸余の楠材にして日蓮上人の真筆に係り日法上人之を彫刻す。今、冨士大石寺に宝蔵す。由井一乗居士、特に寄贈せらる」(日蓮上人p375)

と書いていて、自身の折伏親である由井一乗氏から寄贈されたとしている。

由井一乗氏は、大正元年(1912)10月、東京独一本門講が出版した『総本山大石寺真景』という写真集に、「御堂の寶殿・戒壇の大御本尊御開扉の霊況」と題する御影堂の「戒壇の大本尊」御開扉の写真を載せており、自ら大正4(1915)11月に本名・由井幸吉の名前で「日蓮大聖人」という本を出版していて、その中に戒壇の大本尊」の写真を載せているのである。

戒壇大本尊2大正4年由井本2


そうすると、歴史上はじめて大石寺の「戒壇の大本尊」を写真撮影したのは、熊田葦城氏ではなく、大正元年(1912)10月には日蓮正宗大講頭の地位にあった由井一乗氏であったと考えられるのである。

それではいかにして、由井一乗氏は御影堂の中で「戒壇の大本尊」を写真撮影したのか。これを検証するには、明治・大正・昭和初期のころの写真・カメラ情勢を知る必要があり、私は東京・麹町にある日本カメラ博物館を訪ねて、専門家の話を聞いた。

それによると…

 

日本にカメラ・写真が伝来した慶応年間のころから「写真場」という所があった。これは、いわば屋外における小さな仮設の写真屋さんのような所で、大きな寺院の境内にも「写真場」があった。

これに対して大正年間のころから「写真館」ができはじめた。これは屋外の「写真場」とはちがって、家屋やスタジオを構えていた所で、これが今の写真屋に該当する。

この「写真館」は、出張撮影を請け負っていた。これは、「写真館」から撮影場所に出張して、写真撮影するもので、カメラの他、照明器具も撮影場所まで持参し、カメラ撮影する人の他に、照明器具につく人員も、「写真館」から出張していた。

よって一回の出張撮影で、3人から4人が撮影現場に出張していた。

大正年間には、アマチュアの写真家もすでにいた。が、数は今ほどは多くはない。

が、大正4(1915)11月に由井幸吉の名前で出版した「日蓮大聖人」に載っている「戒壇の大本尊」の写真は、「写真館」のプロが撮影した可能性が高いという。

カメラ博物館2


では、明治・大正のころ、「写真館」のプロに写真撮影してもらうと、どれくらいの費用がかかったのか。日本カメラ博物館の専門家の話しでは…

 

明治後半の頃、「写真館」で肖像写真を撮った場合、明治25(1892)年の肖像写真が4枚で75銭。これは、そば代から換算すると今の4万~5万円に相当する。

明治34(1901)年の肖像写真が3枚組で50銭。これは、そば代から換算すると今の15000円くらいになる。ただし、公務員の初任給から換算すると、もっと高額になる。

10年くらい前のお見合い写真が、2枚で15000円~2万円くらいだった。

これは「写真館」で肖像写真を撮った場合なので、出張撮影すると、この他に出張代、人件費、プリント代がかかることになる。

 

概ね、こんな内容。

大石寺御影堂という堂宇は、中に照明器具など一切なく、もちろん大正元年(1912)当時も、蛍光灯などは一切ない。よってこの堂宇の中で写真撮影をするということになると、絶対に照明器具を外から持ち込まなくてはならない。

仮に由井一乗氏がアマチュア写真家だったとしても、大石寺御影堂の中の写真撮影は、「写真館」のプロの出張撮影で撮影された可能性が高いと言えよう。

それと、明治・大正期における写真代の高額さからして、こういう大がかりな出張撮影を依頼した由井一乗という人物は、かなり経済的に裕福だった可能性が高い。

日蓮正宗大石寺66世細井日達法主は、「悪書『板本尊偽作論』を粉砕す」の中で、熊田葦城氏が明治44年刊行の著書「日蓮上人」に載った「戒壇の大本尊」の写真は、信徒の願い出があって大石寺が許可した、という主旨のことを書いている。

よって写真撮影の費用を大石寺が負担したとは考えられず、由井一乗氏が負担したと考えられる。ということは、由井一乗が、かなり経済的に裕福でなければ、こういうことは不可能であったのではないか。

 

このように日本カメラ博物館の専門家の話では、大正4(1915)11月に由井幸吉の名前で出版した「日蓮大聖人」に載っている「戒壇の大本尊」の写真は、「写真館」のプロが撮影した可能性が高いという。これは日蓮正宗大講頭の地位にあった由井幸吉(由比一乗)が、日蓮正宗大石寺の正式許可の元で行ったということに他ならない。盗撮や隠し撮りというのは、絶対にあり得ない。

それから由井幸吉(由比一乗)が「写真館」のプロに出張撮影を依頼したということになると、これもまた日蓮正宗未入信者が大石寺御影堂の「戒壇の大本尊」御開扉に入って撮影した、ということになる。これもまた日蓮正宗大石寺の許可のもとに行われた、ということは当然のことである。

カメラ博物館3