■論破6・日蓮は「聖樹」「神木」である楠木を伐り倒していない6
□地頭・波木井実長は神木である楠木の伐り倒しを命じていない
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(洗脳法華講員・ブルーシールの妄説)
地頭の波木井実長が大聖人に心酔しきっているのです。「泣く子と地頭には勝てぬ」と言い伝えられているとおりです。身延には他宗派の住民もいたとは思いますが、地頭のバックアップがあれば、楠の切り倒しに反対できるはずがありません。 (2010年11月4日のmixi日記)
他宗教では楠は神木扱いされていたのかもしれませんが、そんなこと日蓮大聖人門下の知ったことではありません。そしてその門下には、身延で絶対的な権力を持つ地頭の波木井実長も含まれていたのです(大聖人入滅後に信心を崩しましたが、この時代には大聖人に背いていません)。
他宗教の者たちがいかに騒ごうと、地頭の権力で、難なく切り倒すことができます。
(2011年1月22日のmixi日記)
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日蓮は神を邪信仰とは言っておらず、神として敬うことは他宗の話しで、日蓮門下は知ったことではないとも言っていない。
日蓮は神を、釈迦如来の垂迹であり、仏の所従であり、法味を得て法華経の行者を守護する諸天善神だと敬っていたのである。
これは日蓮の弟子・日興の教化で日蓮門下の信者になった身延の地頭・波木井実長とて同じである。波木井実長も神を敬っていた。というか、波木井実長の場合は、日蓮や日興以上に神を崇敬していた。だからこそ、波木井実長は日蓮入滅後、神社参詣を再開し、三島神社に参詣しているのである。これは「冨士一跡門徒存知事」に
「聖人御存生九箇年の間停止せらるる神社参詣其の年に之を始む。二所三島に参詣を致せり是二」(御書全集p1868)
と記載されている通りである。この波木井実長の神社参詣が、日興の身延離山の原因の一つになったことは余りにも有名である。
洗脳法華講員は、その波木井実長が神木である楠木の伐り倒しをバックアップしたとか、地頭の権力で神木である楠木を伐り倒せるなどと言うのだから、全く笑止千万である。
日蓮や日興以上に、日本の神々を敬って崇敬し、日蓮入滅後に神社参詣をした身延の地頭・波木井実長が、人々から神木と敬われていた楠木を伐り倒せなどと命令するわけがないではないか。波木井実長が神木である楠木の伐り倒しを命じたなどと言う洗脳法華講員の妄想もここまで来ると嘆息してあきれ果てるばかりである。
それから洗脳法華講員は、「身延で絶対的な権力を持つ地頭の波木井実長」などと言っているが、身延の地頭・波木井実長は、あくまでも地頭なのであって、領主でもなければ最高権力者でもない。
地頭(じとう)とは、鎌倉幕府・室町幕府が荘園・国衙領(公領)を管理支配するために設置した職のことで、在地御家人の中から選ばれ、荘園・公領の軍事・警察・徴税・行政をみて、直接、土地や百姓などを管理した、いわば「幕府の役人」なのであって、領主のことではない。
古来から「泣く子と地頭には勝てぬ」と言い伝えられているのは、軍事・警察・徴税等で横暴な権力を振る舞った地頭が多かったからで、領主だったからとか、あるいは神木である楠木を問答無用で伐り倒せと傍若無人な命令を下したから、という理由からではない。
洗脳法華講員の「地頭」の意味を取り違えた浅学・無知蒙昧から起こった空想・妄想にはただただ嘆息するばかりであり、ほとほとあきれ果ててしまう。
どうしても「地頭・波木井実長の命令で神木である楠木を伐り倒した」などと言いたいなら、そのような命令を書いた文献・証拠を出すべきである。
そんなものがあるはずがないが。(爆)
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