■論破8・弘安二年(1279)十月当時の身延山に自生の楠木はなかった6

 

暖地性植物と温帯性植物の生息域の中間点は地球温暖化によって北上してきている

 

さらに身延町教育委員会の担当者に直接取材したところ、身延町教育委員会で仕事をしている植物学者の説として、この暖地性植物の生息域と温帯性植物の生息域の中間点は、近年の地球温暖化によって徐々に北上してきているという回答を得ている。

つまり現在のところ、暖地性植物の生息域と温帯性植物の生息域の中間点は身延山周辺にあるけれども、地球温暖化がはじまる以前においては、現在よりももっと南側にあったというのである。

したがって、日蓮が生きていた時代である鎌倉時代においては、身延山周辺は楠木などの暖地性植物の生息域には入っていなかったということ。であるならば、日蓮が生きていた時代に、身延山周辺には自生の楠木というものは、存在していなかったということではないか。

楠の木そのものは、現在でも多く見られるのは主に西日本地方なのであって、日本本土では本来自生していたものかどうかは専門家の間でも疑問が投げかけられており、中国南部などからの史前帰化植物ではないかとも専門家筋では指摘されている。

自然植生の森林では見かけることが少なく、人里近くに多く、神社林ではよく楠の木の大木がある。身延・富士周辺の神社・仏閣などにおいて楠木が見受けられ、これらは、室町時代以降において人工的に植樹されたものであることがわかっている。

これらについては森林組合や木材加工の専門家は、鎌倉幕府滅亡の後、建武の中興の時代、後醍醐天皇を奉じて活躍した武将・楠木正成公の徳を慕って関西地方から楠木が植林されたものが最初だと証言している。 つまり身延山や富士地方周辺の楠木は、室町時代以降に人工的に植樹された楠の木だということなのである。

 

13世紀~19世紀 は日本を含む北半球は「小氷期」という寒冷期のサイクルだった

 

さて地球温暖化との関連であるが、気象学者や歴史学者等の研究により、13世紀から19世紀くらいの間、日本を含む北半球は「小氷期」と呼ばれる「小氷河期」という寒冷期だったとする研究結果が、数十年前から発表されている。

この地球温暖化は自然由来の要因と人為的な要因に分けられる。

20世紀後半の温暖化に関しては、人間の産業活動等に伴って排出された人為的な温室効果ガスが主因となって引き起こされているとする説が有力とされている。

「地球温暖化」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%90%83%E6%B8%A9%E6%9A%96%E5%8C%96

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地球温暖化には、温室効果ガス等々の人為的要因の他に、自然由来の要因も指摘されている。まさに小氷河期説は、この自然由来の要因から発生しているものなのである。つまり温室効果ガス以外の自然要因の地球温暖化・寒冷化のサイクル説とよばれるもので、13世紀から19世紀くらいの間、日本を含む北半球は「小氷期」と呼ばれる「小氷河期」という寒冷期のサイクルにあったとする説である。

日本の宇宙物理学者。太陽物理学、高エネルギー宇宙物理学の世界的な権威で早稲田大学理工学部総合研究センター客員顧問研究員。神奈川大学名誉教授。ユトレヒト大学、インド・ターター基礎科学研究所、中国科学院の客員教授。理学博士の桜井邦明氏は著書「太陽黒点が語る文明史・小氷河期と近代の成立」で、日本の小氷河期については

「残念なことに、日本には気温変動を直接示す資料はないが、九州の南の屋久島に生育する屋久杉の年輪中に残された酸素の同位体O18の分析結果をみれば、13世紀に入ると日本付近における気温低下が始まっていることがわかる」

(『太陽黒点が語る文明史・小氷河期と近代の成立』p11)

として、屋久杉中の酸素同位体O18の経年変化グラフから、日本では13世紀から小氷河期に入っていたとする説を唱えている。

「小氷期と異常気象・地球は寒くなるか」の著者・土屋巌氏も1973年に中国の気象学者・竺可楨が発表した最近1700年の世界の温度推移として、雪の日付、河川の結氷、鳥の渡り、植物の開花、発芽という現象からとった中国の温度推移と、グリーンランドの氷河の氷柱から得た温度推移のグラフを載せており、それによれば中国では12世紀から17世紀ころまで、現在の気温に比べてセ氏2度低くなっており、グリーンランドでも12世紀から18世紀ころまで、現在の気温に比べてセ氏1度低くなっていることがわかる。

地球は19世紀ころから温暖化の傾向を示してきており、現在の身延山に楠木があることが、小氷期の13世紀・鎌倉時代の身延山に楠木が自生していた証明ではないことは明白である。

したがって、植物学者の「暖地性植物の生息域と温帯性植物の生息域の中間点は、近年の地球温暖化によって徐々に北上してきている」という説の、地球温暖化の中には、温室効果ガス等々の人為的要因の他に、自然由来の要因である地球温暖化・寒冷化のサイクル説も含まれている。否、むしろこちらの自然由来の要因のほうが主因であると言えよう。

つまり日蓮が生きていた13世紀という時代は、日本を含む北半球が「小氷期」と呼ばれる「小氷河期」という寒冷期のサイクルにあり、暖地性植物の生息域と温帯性植物の生息域の中間点は、身延山よりもはるか南側にあったということ。鎌倉時代が小氷期ないしは小氷河期とよばれる寒冷期であったとすれば、当然、そういうことになる。

日蓮在世の鎌倉時代の身延山は、今よりもはるかに寒冷な気候だったのであり、楠木の自生地域には全くなかったことが明白なのである。

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