■論破9「戒壇の大本尊」日蓮造立を証明する文証はない2(三師御伝土代2)

 

都合が悪くなると本尊紛失を楯に言い逃れを謀る身勝手極まりない日蓮正宗の欺瞞

 

日蓮正宗大石寺四世法主・日道の著書「三師御伝土代」の文について、さまざまな人物から、散々、追及を受けてきた日蓮正宗が、最近、日蓮正宗大石寺に直属の謀略機関紙「慧妙」を使って、次のような反論を掲載している。

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(日蓮正宗謀略機関紙『慧妙』の妄説)

「だが、そのような説は、大聖人が『日興上人』と認(したた)められたという御本尊を提示してから言うべきであろう。そんな御本尊が存在したという事実も、記録も、何1つない上、大聖人の御書の中にも『日興上人』と認(したた)められたものはないのである」

((『慧妙』平成19111日号)

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これは、現存している日蓮真筆の大漫荼羅本尊に「日興上人」と、日蓮自らが脇書きに書した本尊が残っていないことにつけ込んだ詭弁であり、議論そのものを煙にまこうとする欺瞞である。

逆に尋ねるが、日蓮正宗では日蓮真筆の本尊は、すべて一体も漏らさずに、今の時代に現存しているという見解なのか??

1309年(延慶2年)、日興の命により、新六僧の一人で、日興が開創した重須本門寺の学頭(法主・住職に次ぐナンバー2の職)にあった寂仙房日澄が起草した「富士一跡門徒存知事」には、次のように、日蓮正宗側が、日蓮真筆の本尊紛失を非難している文がある

「五人一同に云く、本尊に於いては釈迦如来を崇め奉るべしとて既に立てたり。随って弟子檀那の中にも造立供養の御書之れ在り云々。而る間、盛んに堂舎を造りて、或いは一体を安置と、或いは普賢文殊を脇士とす。仍って聖人御筆の本尊に於ては、彼の仏像の後面に懸け奉り、又、堂舎の廊に之を捨て置く。……

上の如く一同に此の本尊を忽諸(こっしょ)し奉るの間、或いは漫荼羅なりと云ひて死人を覆ふて葬る輩も有り、或いは又沽却する族も有り。此くの如く軽賎(きょうせん)する間、多分は以て失せおわんぬ」

―――――日昭、日朗、日向、日頂、日持の五老僧の門流の者達は、みんな次のように言っている。日蓮門下の本尊は、釈迦如来の木像を崇め奉るべきであると言って、すでに釈迦牟尼の仏像を自分達の堂舎の中に立てている。日蓮がまだ生きていたころにも、日蓮門下の弟子や信者が釈迦牟尼の仏像を造立し供養したという日蓮の遺文(御書)が残っているではないか、と言っている。それゆえに、盛んに堂舎を造っては、釈迦牟尼の仏像を安置したり、或いは普賢菩薩や文殊菩薩を釈迦牟尼の脇士に立てて拝んでいる。その一方で、日蓮聖人が自ら図顕した大漫荼羅本尊は、彼らが立てた仏像の後に懸けたり、或いは渡り廊下に捨ててしまっている。…

このように五老僧の門流の者たちがみんなで、日蓮聖人が自ら図顕した大漫荼羅本尊を軽んじ、なおざりにしてしまったばかりか、中には「これは漫荼羅だ」と言って、葬儀の時に死人と一緒に棺桶に入れて火葬にしてしまったり、或いは売り払ってしまった者もいる。このように、彼らが漫荼羅本尊を軽んじ、卑しめていたたため、日蓮聖人が自ら図顕した大漫荼羅本尊の大部分は、なくなってしまった。―――――――

慧妙4 

このように、日蓮が図顕した大漫荼羅本尊の多くが、日蓮死後における弟子達の門流の者たちの軽賎行為によって、紛失してしまっていることが、日蓮正宗側の史料に載っているのである。

ある時は曼荼羅本尊紛失を非難しながら、都合が悪くなると、今度は紛失した事実を楯にとって言い逃れようとする身勝手極まりない日蓮正宗の態度。

というか、まさにこれは日蓮が『日興上人』と認めた曼荼羅本尊など、あろうはずがないだろう、という「無い物ねだり」。こういった態度はまさに謀略以外の何物でもなく、真摯に真実を追い求めようとする求道者の態度とは、ほど遠いものがある。

「慧妙」がこのような「無い物ねだり」的態度に出ているということは、まさに「三師御伝土代」の文をねじ曲げて読んでいることを、実質的に認めたものである。

自らの論理破綻・反論不能を隠蔽しようとする欺瞞である。

大石寺四世日道の著書「三師御伝土代」の文は、「御本尊に」と原文のままに

「さて熱原の法華宗二人は頸を切られおわんぬ。その時大聖人御感有て日興上人と御本尊に遊ばすのみならず、日興の弟子、日秀、日弁二人、上人号し給ふ」(日蓮正宗59世法主・堀日亨編纂『富士宗学要集』5巻宗史部・日道著「三師御伝土代」p8)

------さて熱原の法華衆の二人は、首を切られてしまった。その時、日蓮大聖人は、何かお感じになるところがあって、日興上人と、上人号をつけて、授与の御本尊にお書きになったのみならず、日興上人の弟子の日秀、日弁の二人にも、上人号をつけられた-----

と、素直に読むべきであることが明白である。