■検証55・金原明彦氏の「日興跡条条事・真書説」は誤りである

 

□「戒壇大本尊」偽作説を唱えながら矛盾した「日興跡条条事」真書説を唱える金原明彦氏

 

「日蓮と本尊伝承大石寺戒壇板本尊の真実」の著者・金原明彦氏は、「日興跡条条事」の「日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊」は、大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊のことではなく、日興跡条条事は日興真筆である可能性が高いとという、実に珍妙な説を唱えている。

(「日蓮と本尊伝承大石寺戒壇板本尊の真実」p154より)

著書「日蓮と本尊伝承大石寺戒壇板本尊の真実」の中で「戒壇の大本尊」なる板本尊は日蓮直造ではないという説を唱えている金原明彦氏が、「日興跡条条事・真書説」を唱えているというのは、まことに奇っ怪である。

これはどういうことかというと、「戒壇の大本尊」なる板本尊は日蓮直造ではないということになると、「日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊、日目に之を相伝する。本門寺に懸け奉るべし」の文がある「日興跡条条事」はほぼ自動的に偽作ということになる。

しかし金原明彦氏の言わんとするところは

「『(本門戒壇の大御本尊は)後世の造立であるが、宗祖(日蓮)の直筆をもとにしており、これまでどおり、この御本尊を本宗の根本としていく』と宣言することも可能であろう。一宗の面子も大切ではあろうが、一切衆生の成仏という大事からみれば、より小事である」

(「日蓮の本尊伝承―大石寺戒壇板本尊の真実」p214)

と記しているように、大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊は、後世の誰かの偽作であることは認めるが、造立主は大石寺の「本堂用」ないしは「戒壇用」にこの板本尊をつくったのだから、悪意はない。したがって日蓮直筆本尊となんら変わらないのだから、今までどおり、日蓮正宗の根本の本尊であることに変わりはない、というところにある。

よって金原明彦氏にとって「日興跡条条事」偽作説はまことに都合が悪いらしく、「日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊」は、大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊であるという根拠は何一つ無く、「日興跡条条事」の「弘安二年の大御本尊」とは、「戒壇の大本尊」のことではなく、日興跡条条事は日興真筆である可能性が高いという結論に無理矢理にでも、こじつけているわけである。

「日興跡条条事」の「弘安二年の大御本尊」とは、「戒壇の大本尊」のことではないというのなら、どの本尊のことなのか、という問題が発生するのだが、これについて金原明彦氏はただの一言も言及していない。というか、言及することなど不可能であろう。

大石寺の「戒壇の大本尊」偽作の問題を解明して行くに当たっては、「戒壇の大本尊」の周囲にある「二箇相承」「日興跡条条事」「百六箇抄」「日蓮本仏論」「血脈相承」…といった文献や教義はどうなのか、という問題が必然的に起こってくる。

日興跡条条事2 

(昭和5549日付け聖教新聞に掲載されている『日興跡条条事』)

 

 

□「戒壇大本尊」を根本本尊としたいが故に「日興跡条条事」を真書とこじつける金原明彦氏

 

大石寺以外の富士門流寺院では、「日興跡条条事」第二条の「弘安二年の大御本尊」とは、大石寺の「戒壇の大本尊」のことではなく、保田妙本寺の「万年救護の大本尊」のことであるとして、「日興跡条条事」真書説を唱えている。

金原明彦氏の場合は、「日興跡条条事」第二条の「弘安二年の大御本尊」は、はっきりとは保田妙本寺の「万年救護の大本尊」のことだと断定していないが、富士門流の説を支持するかのようなニュアンスである。

日蓮正宗の「戒壇大本尊」偽作説の他、自称・相伝書と称する…偽作論は、正確に論を進めていかないと、別の矛盾が次々と現れてきて、せっかくの論そのものが支離滅裂に陥ってしまう。

その矛盾が端的に出ているのが、「戒壇の大本尊」と「日興跡条条事」の関係を論じている、まさに金原明彦氏の説がそれである。「戒壇の大本尊」が偽作なら、「日興跡条条事」が真筆などということはあり得ない。「戒壇の大本尊」が偽作なら、「日興跡条条事」も偽作である。

ところが、金原明彦氏の場合は、「(戒壇の大本尊は)後世の造立であるが、宗祖(日蓮)の直筆をもとにしており、これまでどおり、この御本尊を本宗の根本としていく」という、まことに矛盾に満ちた結論を導き出したいが故に、偽作である「日興跡条条事」を無理矢理にでも、「真筆」とせざるを得なくなってしまっているという、第二の矛盾にはまり込んでいる。

これでは、日蓮正宗と同列の「こじつけ」以外の何物でもない。

よって金原明彦氏の説は、二重、三重の矛盾を抱え込んだ説になってしまっているわけで、金原明彦氏の「日興跡条条事・真書説」は誤りであると結論づけられるわけである。