■論破5・弘安二年十月当時、身延山に自生の楠木はなかった1

 

今の身延山の楠木は日蓮在世当時から生き残る楠木ではない

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(法華講員・太田魁の妄説)

しかし、今も昔も身延には楠があります。

楠生育の適地は暖温帯湿潤気候の標高500メートル以下の場所ですが、甲府から身延を通り駿河湾に流れる富士川沿線はこの気候帯に属します。

因みに日蓮大聖人の草庵があった場所は標高300数十メートルの地です。

(『アンチ日蓮正宗VS日蓮正宗』掲示板75・太田魁の妄説)

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この太田魁の妄説は、日蓮正宗謀略機関紙「慧妙」平成17516日号に載っている妄説の、完全丸写し。太田魁は、何だか調査しているようなことを言っているが、所詮、龍神ひろしと同じ、「慧妙」を丸写ししているだけということ。

私は、というと、すでに述べていますが、身延山久遠寺まで、楠木の実地調査に行って確認してきています。それで現地で確認したところ、現在の身延山久遠寺にある楠木は、祖師堂前(というか広場をはさんで向かい側の)にある楠木一本だけ。

もし身延山が本当に「暖温帯湿潤気候の標高500メートル以下」で「楠生育の適地」であるならば、身延山久遠寺に楠木が一本しかないわけがない。それこそ、身延山久遠寺周辺に楠木が何本、何十本と群生していても、おかしくないではないか。 しかしそのような事実は全くない。

それから日蓮正宗の言い方では、今の身延山久遠寺・祖師堂前にある一本の楠木が、あたかも日蓮在世の時代から生き残っているかのような言い方だが、これは誤りである。

まず今の身延山久遠寺の本堂・祖師堂・報恩閣・仏殿・客殿・御真骨堂拝殿・開基堂がある所は、日蓮在世の時代からあったのではなく、1474(文明6)年、身延山久遠寺11世法主・行学院日朝の代に、身延山西谷にあった久遠寺の伽藍・諸堂を現在の地に移転したものであること。

さらに身延山久遠寺は、1875(明治8)110日の大火災で、本堂・祖師堂をはじめとする諸堂・聖筆をはじめとする重宝類から身延山の森林等々を悉く焼失していること。

つまり今の身延山久遠寺・祖師堂前にある一本の楠木は、1875(明治8)110日の大火災以降に植林された楠であることが明らかなのである。

身延山久遠寺の楠木4

 

 

12001900年 の約700年間は日本ないし北半球は「鎌倉・江戸小氷期」だった

 

12001900年くらいの約700年間、日本をはじめとする北半球は、「鎌倉・江戸小氷期」と呼ばれる寒冷期だったのであり、身延山周辺は、楠木の自生地域からは完全にはずれていた。

中世の小氷期の研究は、ずいぶん前から日本、中国、アメリカ、ヨーロッパ等の気候学者・歴史学者等々の中で行われてきており、さまざまな著書や論文等で一般に発表されている。

「太陽黒点が語る文明史・小氷河期と近代の成立」の著者・桜井邦明氏は次のように書いている。

「西ヨーロッパでは、全体としてみると、14世紀の開始前後から気温が下がりはじめ、19世紀初め頃になって、やっと現在とほとんど同様の状態にまで回復している」

「平均気温でみて、現在と比べてせいぜいセ氏1度しか低くなっていないことに注意していただきたい。これくらいの気温の低下で、氷河期に入ってしまっているのである」

(『太陽黒点が語る文明史・小氷河期と近代の成立』p10)

「九州の南の屋久島に生育する屋久杉の年輪中に残された酸素の同位体・18Oの分析結果をみれば、13世紀に入ると日本付近における気温の低下が始まっていることがわかる」

(『太陽黒点が語る文明史・小氷河期と近代の成立』p11)

13世紀以降、日本が小氷期に入っていたという説を唱えている。

『太陽黒点が語る文明史・小氷河期と近代の成立』p12では、中国の気象学者・竺可楨が、中国の古記録から推定した5世紀から20世紀に至る気温の経年変化グラフを載せている。これによると北宋・南宋時代から気温が下がりはじめ、12世紀から17世紀ころまで、現在の気温に比べてセ氏2度低くなっていることがわかる。

「小氷期と異常気象・地球は寒くなるか」の著者・土屋巌氏も1973年に中国の気象学者・竺可楨が発表した最近1700年の世界の温度推移として、雪の日付、河川の結氷、鳥の渡り、植物の開花、発芽という現象からとった中国の温度推移と、グリーンランドの氷河の氷柱から得た温度推移のグラフを載せている。特に中国の学者が12世紀から17世紀ころまで、現在の気温に比べてセ氏2度低くなっている小氷期説を唱えていること。さらに日本の学者も13世紀に入ると日本付近における気温の低下が始まっている小氷期説を唱えていることは注目に値する。

最近では、地球温暖化問題や小氷期のことでよく引用されている専修人文論文集51巻にある坂口豊 論文で注目すべきは、12001900年 の約700年間を「 鎌倉・江戸小氷期」という、いわば小氷河期に位置づけていることである。小氷期(しょうひょうき)とは、14世紀半ばから19世紀半ばにかけて続いた寒冷な期間のことである。小氷河時代ともいう。

つまり日蓮(12221282)在世の鎌倉時代からすでに日本の気温低下が起こっており、日蓮在世の鎌倉時代の日本は、すでに小氷期で、現在の平均気温よりセ氏12度低くなっていた、ということである。地球温暖化の今ですら自生の楠木がない身延山に、「小氷期」だった時代、自生の楠木が存在しなかったことは、明白である。小氷期の鎌倉時代に、いかに日蓮の弟子等がかけずりまわっても、楠木など、あるわけがないのである。

少なくとも、久遠寺祖師堂前の楠木は、1875(明治8)110日の大火災以降において、植林されたことが明らかである。よって久遠寺祖師堂前の楠木は、身延山の小氷期に耐えて生き残ってきたわけではないのである。

日蓮・草庵跡5