■検証57・「日興跡条条事」偽作者を特定せず、検証不充分な安永弁哲氏の偽作説

 

次に、過去に「日興跡条条事」を後世の偽作と断じた人たちの説を検証していきたい。

有名なのは、1956(昭和31)610日に刊行された「板本尊偽作論」の著者・安永弁哲氏である。安永弁哲氏は、「板本尊偽作論」の「七 日興身にあて給わる本尊は一幅もない」の中で、次のように言っている。

「『日興跡条条事』の『日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊、日目に之を授与する』という点である。ところがこの身にあて給わったという弘安二年の大本尊は、一体全体何処にあるのか。日興宛の曼荼羅は現存する百余幅のうちに一幅もないのである。これは全くの皮肉というより外に言葉がない。一幅ぐらいは有りそうに思えるが本当に日興宛の曼荼羅は一幅もないのであるから、『条条事』の記述は全くの嘘事である」

「こう言えば、正宗や学会の者たちは、“板本尊がある”と言うだろうが、どっこいそうは問屋はおろさぬのである。…日興に与えたとは何処にも書いてないのである」

「この『日興跡条条事』はその正本が大石寺にあるというが、これは後世の偽作であることは、「志霑問答」で玉野日志が駁論しているとおりである。このように『聖人御難事』の御書は無茶苦茶な我田引水のこじつけだし、『条条事』は偽作であるばかりでなく、日興にあてて授与された曼荼羅さえも一幅もないのである」(安永弁哲氏の著書『板本尊偽作論』p130131)

 

安永弁哲氏の論の主題は、大石寺の「戒壇の大本尊」(安永弁哲氏は板本尊と言っている)が偽作である、ということを論証しようというもので、その一環の中に、「日興身にあて給わる本尊は一幅もない」ということがあり、ここから「日興跡条条事」が偽作であると言うこと。

もうひとつが、1878(明治11)年から1879(明治12)年にかけて、北山本門寺34代貫首・玉野日志氏と日蓮正宗大石寺52世法主・鈴木日霑との間で行われた「霑志問答」(安永弁哲氏は志霑問答と言っている)における玉野日志氏の問難。

このふたつを根拠にして、「日興跡条条事」が偽作であるという結論を導き出している。ただし「霑志問答」の玉野日志の「日興跡条条事」の具体的な問難の内容については、安永弁哲氏は一言も触れていない。これだけで、「日興跡条条事」偽作説が成り立たないこともないでしょうが、やはり検証不足という印象が否めない。「欠損箇所」「園城寺申状と下文」「管領」「墓所」「御堂」といった語句の問題、日付・年号の問題、「弘安八年」「五十年の間」等々という「日興跡条条事」の記述内容の矛盾の問題についても、安永弁哲氏は何も言っていない。

 日興跡条条事2

(昭和5549日付け聖教新聞に掲載されている『日興跡条条事』)

 

 

それともうひとつが、「日興跡条条事」が偽作であるなら、では誰が偽作したのか、という問題について、安永弁哲氏は一言も触れていない。これでは結論が、あまりにも中途半端である。

ただ、安永弁哲氏は「戒壇の大本尊」(板本尊)については、北山本門寺周辺から発生した大石寺9世日有癩病説をそのまま用いて、大石寺9世日有偽作説を立てているが、「日興跡条条事」が日有の偽作という説に立っているわけではないようである。

大石寺9世日有が「戒壇の大本尊」(板本尊)を偽作して、「日興跡条条事」を偽作しなかったというのはあり得ない。この後で詳しく論証していくが、大石寺の「戒壇の大本尊」(板本尊)と「日興跡条条事」の偽作者は同一人である。

「日興跡条条事」偽作説を唱えた人物は、安永弁哲氏を含めて何人かいるが、「日興跡条条事を誰が偽作したのか」という点について、はっきりと人物名を特定した人は過去にいない。

美濃周人氏は、小泉久遠寺・日義が偽作したかのようなことを書いているが、はっきりと「日義である」と断定はしていない。東佑介氏は、「○○年以降、○○年までの間」というような書き方をしているが、「日興跡条条事を誰が偽作したのか」という点について、言及していない。

「日興跡条条事を誰が偽作したのか」について、はっきりと「大石寺9世日有である」と、特定したのは、「アンチ日蓮正宗」が最初であろう。

このように、安永弁哲氏の「日興跡条条事」偽作説は、検証不足であり、結論があまりにも中途半端なものになってしまっていると言わざるを得ない。

 

□たとえ内容に数点の誤りがあっても安永弁哲氏の「板本尊偽作論」出版の功績は大きい

 

安永弁哲氏の「板本尊偽作論」は、1956(昭和31)年の発刊当時、日蓮正宗や創価学会に大きな衝撃を与えた一書であり、今も絶大な影響力がある名書である。これによって多くの日蓮正宗や創価学会の信者をカルトの迷妄から覚醒させた功績は誠に大きいものがあったと言えよう。

しかし発刊から50年以上が経過し、その間に、日蓮宗学や富士宗学をはじめ、さまざまな分野の研究が深化し、色あせてきている部分が出てきていることも事実である。

しかし安永弁哲氏という人は、まじめに真実・真理を探究した人であり、それを率直に世に訴えた人である。

よってさまざまな分野の研究が深化し、安永弁哲氏の著書に色あせてきている部分が出て来ているとしても、研究のより一層の深化により大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊や「日興跡条条事」が大石寺9世日有の偽作であることが、さまざまな物的証拠によりますます明瞭になっていることを、ことのほか喜ばれていることと信じるものです。