■検証63・大石寺二祖日興・三祖日目の代に「戒壇の大本尊」は存在していなかった2

 

□「日興跡条条事」第二条論議は意味がないとする東佑介氏の見解は誤りである

 

東佑介氏は201011月号「法華仏教研究」に寄せた論文「富士大石寺所蔵『日興跡条条事』の考察」の中で、実に珍妙な説を唱えている。

「『日興跡条条事』第二条には『一、日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊、日目に之を相伝する。本門寺に懸け奉るべし』といい、これによれば、本門寺に安置する本尊は弘安二年の日興授与本尊であるというのである。しかし、この点、疑わしいものがある。なぜなら、本門寺に安置する本尊が弘安二年の日興授与本尊であれば、その本尊形態は大曼荼羅ということになるからである。それでは、広宣流布の暁に本門寺に安置されるべき本尊の形態は大曼荼羅であろうか。そうは思われない」(201011月号「法華仏教研究」p34)

という、何やら思わせぶりな論調で、本門寺に祀る本尊は大曼荼羅ではないのではないか、という疑問点を提起。三位日順の「本門心底抄」、日代の「宰相阿闍梨御返事」、大夫阿闍梨日尊の「日尊実録」、さらには池上本門寺5代貫首・日叡の書写本尊の文、京都妙伝寺4代貫首・日請の書写本尊の文まで引っ張り出してきて、本門寺に安置する本尊は大曼荼羅本尊ではなく、大曼荼羅を形像化、立体化した仏像本尊であるとする。そうしておいて

「日興門流上代における戒壇本尊の形態が大曼荼羅を仏像として形像化するというものである以上、第二条の『日興…大御本尊』という記述はその前提を失っている。そうである以上、第二条でいうところの『弘安二年大御本尊』が『本門戒壇の大御本尊』であるのか、あるいは『万年救護本尊』であるのかという議論は何ら意味をなさない」(201011月号「法華仏教研究」p37)

などと言って、「日興跡条条事」第二条の「日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊」が大石寺の「戒壇の大本尊」なのか、保田妙本寺の「万年救護本尊」なのか、という議論から逃亡を決め込んでいる。

議論から逃亡するのは東佑介氏の勝手だが、しかし「日興門流上代における戒壇本尊の形態が大曼荼羅を仏像として形像化するというものである以上…第二条でいうところの『弘安二年大御本尊』が『本門戒壇の大御本尊』であるのか、あるいは『万年救護本尊』であるのかという議論は何ら意味をなさない」という見解は、誤った見解である。

まず第一に、「日興跡条条事」第二条の「日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊」が大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊であることを明らかにすることは、後に述べるが、「日興跡条条事」を誰が偽作したのか、ということを解明する上で重要なポイントになる。

すなわち、大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊、「日興跡条条事」「血脈相承」「百六箇抄」「日蓮の遺骨」「日蓮の墓」が同一人の手によって偽作されたキーポイントである。これらを偽作したのは、日蓮正宗大石寺9世法主・日有である。

日興跡条条事2 

 

□教学の真実、歴史の真実は、どこかの宗派や門流の都合で歪曲すべきではない

 

また、大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊、「日興跡条条事」「血脈相承」「百六箇抄」「日蓮の遺骨」「日蓮の墓」が全て大石寺9世日有の手によって偽作されたことを解明することは、日蓮正宗大石寺の偽作教学、偽作本尊の問題を解き明かす重要なカギである。

よって、「日興跡条条事」第二条の「日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊」が大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊なのか、保田妙本寺の「万年救護本尊」なのかを明らかにすることは、絶対におろそかに出来ない、大事なポイントである。

よって東佑介氏の「日興門流上代における戒壇本尊の形態が大曼荼羅を仏像として形像化するというものである以上…第二条でいうところの『弘安二年大御本尊』が『本門戒壇の大御本尊』であるのか、あるいは『万年救護本尊』であるのかという議論は何ら意味をなさない」という見解は、全く誤った見解である。

それから第二に、「日興跡条条事」第二条の「日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊」が大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊であることを明らかにすることによって、大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊、「日興跡条条事」「血脈相承」「百六箇抄」「日蓮の遺骨」「日蓮の墓」が全て大石寺9世日有の手によって偽作されたことが明らかになる、ということは、同時に「日興跡条条事」が日興真書である前提に立って教学を構築している富士門流教学の欺瞞・虚構も同時に明らかになる。

富士門流は、これがどうにも都合が悪いようで、無理矢理にでも教学を歪曲して「弘安二年の大御本尊・万年救護本尊説」を立てようとする。つまり「日興跡条条事」も、「弘安二年の大御本尊・大石寺の戒壇の大本尊説」では都合が悪い。これだと「日興跡条条事」は偽書だということになり、富士門流教学そのものが否定されてしまう。だから富士門流に都合がいいように、ねじ曲げて歪曲し「弘安二年の大御本尊・万年救護本尊説」を立てるわけである。

しかし教学の真実、歴史の真実は、どこかの宗派や門流の都合で歪曲すべきではない。こんなことは当然のことである。「日興跡条条事」が大石寺9世日有が偽作した文書だというのが真実ならば、真実は真実として明らかにすべきである。

よって東佑介氏の「日興門流上代における戒壇本尊の形態が大曼荼羅を仏像として形像化するというものである以上…第二条でいうところの『弘安二年大御本尊』が『本門戒壇の大御本尊』であるのか、あるいは『万年救護本尊』であるのかという議論は何ら意味をなさない」という見解は全く誤っている。

もっとも東佑介氏も、京都要法寺から曼荼羅本尊を授与されているということだから、富士門流教学のうそっぱちが明らかになってしまうのは、東佑介氏にとっても都合が悪かろう。だから「第二条でいうところの『弘安二年大御本尊』が『戒壇の大本尊』であるのか、あるいは『万年救護本尊』であるのかという議論は何ら意味をなさない」などと誤った見解を述べているとも解釈できる。