■検証67大石寺9世日有が「日興跡条条事」を偽作した証拠3(日有独自の事の戒壇3)

 

大石寺九世日有が発明した「戒壇の大本尊を安置している本堂が事の戒壇」の教義

 

日蓮正宗大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊は、日蓮正宗大石寺第九世法主・日有が偽作したものである。これだけ巨大で、かつ豪華絢爛の、しかも今まで「未聞未見」の板本尊を日蓮正宗大石寺の中核をなす板本尊にすえるには、大石寺9世日有としては、日蓮正宗の教義を整備し、「戒壇の大本尊」が日蓮からの相伝であることを「証明」する文書を整えておく必要があった。

大石寺9世日有は、この板本尊の存在を正統化し、この板本尊を粉飾・装飾し、大石寺を粉飾・荘厳するために、おびただしいばかりの文書「日蓮から相伝した」などと詐称して偽造し、日蓮や日興が生きていた時代には存在していなかった教義を次々と発明した。

日蓮や日興が生きていた時代にはなく、大石寺9世日有が発明した日蓮正宗の教義とは、「本門事の戒壇」「日蓮本仏義」「唯授一人の血脈を相承する法主」といった類の教義である。

大石寺9世日有が偽造した文書とは、「二箇相承」「日興跡条条事」「本尊七箇相承」「百六箇抄」といった「日蓮からの相承」「日興からの相承」を詐称している文書である。

大石寺9世日有が発明した日蓮正宗の教義で、「戒壇の大本尊」なる板本尊、「日興跡条条事」と直接に関わるものは、「事の戒壇」である。この「事の戒壇」という教義は、大石寺と同じ富士門流本山寺院である保田妙本寺・小泉久遠寺11代貫首・日要が、大石寺9世日有から聞いていた説法を、弟子たちに語っていた内容を日果という僧侶が筆録した「新池抄聞書」という文書に、日蓮正宗の歴史上始めて出てくる。

「日有云く、また云く、大石は父の寺、重須は母の寺、父の大石は本尊堂…此は能生、即本因、本果、本国土妙の三妙合論の事の戒壇なり」(日蓮正宗大石寺59世法主・堀日亨の著書「富士日興上人詳伝・下」p84に掲載している「新池抄聞書」)

新池抄聞書1

新池抄聞書3


-----かつて日有上人がこのように説法していた、と日要上人が語っていた。大石寺は例えて言えば父親のような本山寺院であり、重須の北山本門寺は母親のような本山寺院である。父の大石寺は「本門戒壇の大御本尊」を安置している本尊堂があり…衆生を成仏に導く根本の寺であり、即ち、「本門戒壇の大御本尊」を安置している本尊堂がある大石寺こそ、本因、本果、本国土妙の三妙合論の事の戒壇なのであり、根本の寺院・道場なのである。-------

日興跡条条事2 

(昭和5549日付け聖教新聞に掲載されている『日興跡条条事』)

 

さらに大石寺9世日有と同じ時代を生きた北山本門寺6代貫首・日浄の「日浄記」には、日有が説いていた説法・教義が次のように記されている。

「大石寺の板本尊は日有(彼山中興)の偽造なり。往昔より兎角に北山本門寺の本堂を蔑如して富士門徒にて争う中に於て、殊に大石寺の邪徒、重須(北山)の本堂を嫉妬し板本尊を偽造して、戒壇の本尊と名付け、且は偽書を造り開山の付属と云い、無窮の妄語を吐き、世間の道俗を誑惑し、無慙無魂を招かるる事也」

---大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊は日有の偽造である。大石寺では昔から何かにつけて北山本門寺本堂を蔑如して富士門流で紛争を起こし、板本尊を偽造して「戒壇の本尊」と名付けて自称し、且は偽書を造って開山・日興上人の付属と云い、無窮の妄語を吐き、世間の道俗を誑惑し、無慙無魂を招いている---

「当山第六世日浄上人伝に云く『大石寺日有云く、重須は生御影堂正意、大石寺は本堂正意なり。故に国主本門の正法を立てらるる時は此の板本尊即ち本門戒壇の本尊と云々。』 …

是れ日浄上人は日有の時の人なり。已にそれ未聞未見の板本尊を彫刻すと云う。偽造たること白々たり。又、小泉久遠寺の日要、日我等、日有の真似をして重須は御影堂正意、久遠寺は本堂、能開所開、両寺一味などと云う」(「大石寺誑惑顕本書」p6p7)
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北山本門寺の『日浄記』には「大石寺の日有が『大石寺は本堂が根本であり、国主本門の正法を立てらるる時は此の大石寺の板本尊が即ち本門戒壇の本尊になる』といっていたと書いてある…北山本門寺の日浄上人は、大石寺・日有在世当時の人で、『日浄記』には日有が『未聞未見の板本尊を彫刻す』と書いてある。大石寺の板本尊は日有の偽造であることは明らかだ---

日浄記1
 

この「日浄記」には、日有が『大石寺は本堂が根本であり、国主本門の正法を立てらるる時は此の大石寺の板本尊が即ち本門戒壇の本尊になる』と説法していたことが、はっきりと記されている。

すなわち、「新池抄聞書」にある「事の戒壇」は、まさに日有が言う「大石寺は本堂正意なり。故に国主本門の正法を立てらるる時は此の板本尊即ち本門戒壇の本尊」を祀る堂宇である、ということが明らかである。

日蓮正宗大石寺の歴代法主は、大石寺九世日有の前までは、誰一人として、三大秘法・事の戒壇・「戒壇の大本尊」を意味する用語を使っていないばかりか、三大秘法・事の戒壇・「戒壇の大本尊」の教義の説法をしていた形跡すら見当たらない。日蓮正宗大石寺門流では、大石寺9世日有の前までは、三大秘法・事の戒壇・「戒壇の大本尊」を掲げてそれを宗旨の根本の教義に位置づける動きは全くなかった。

それが大石寺9世日有が「戒壇の大本尊」なる名前の板本尊を偽作して、その板本尊を格蔵する大石寺宝蔵を「事の戒壇」と定義づけた。

つまり日有の代になって、はじめて日蓮正宗大石寺門流に「戒壇の大本尊」なる板本尊を格蔵する堂宇を「事の戒壇」と定義する教義が出てきたこと自体、「戒壇の大本尊」なる板本尊が日有によって偽作されたことを証明する証拠ということになる。即ち「日興跡条条事」第二条の文

「一、日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊、日目に之を相伝する。本門寺に懸け奉るべし」(大石寺版・平成新編御書全集p1883)

を偽作したのが、大石寺9世日有以外にいないという結論が導き出されてくるのである。