■論破1・日蓮遺文「聖人御難事」は日蓮が出世の本懐を顕す「出世の本懐抄」ではない1

 

□日蓮遺文「聖人御難事」と日蓮・出世の本懐は全くの無関係である

 

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(日蓮正宗法華講妙相寺支部・樋田昌志なる者の妄説)

「聖人御難事」の文は「仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に、出世の本懐を遂げ給ふ」で一回切れているのだ。そしてこれは「余は二十七年なり」につながっている。

「余は二十七年なり」を法難にかこつけるのは他門流の定石。「聖人御難事」という題名がついてはいるが、これは本来は「出世の本懐抄」と言うべき御書だ。

(樋田昌志が出している破折DVD映像)

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日蓮の遺文の中の文を勝手に切ったり、つなげたりして都合よく解釈しているのは、日蓮正宗の信者のほうである。しかも、日蓮の出世の本懐とは何の関係もない遺文を引っ張りだしてきて、名前も「出世の本懐抄」だ、などと勝手に変えようとしている?に至っては、呆れてしまう。

日蓮遺文「聖人御難事」は、日蓮の出世の本懐を顕すことを表明した遺文ではない。こういう解釈は、とんでもない誤った解釈である。「聖人御難事」と日蓮・出世の本懐は全くの無関係である。

「聖人御難事」は日蓮が弘安二年十月一日の作であるから、弘安二年十月十二日の「戒壇の大本尊」の文証としての資格は全くない。日蓮が執筆した「聖人御難事」の内容の主文は、日蓮が立宗宣言してから二十七年間の、さまざまな受難について述べているものであり、例えば次のような文がつづいている。

「況滅度後の大難は竜樹・天親・天台・伝教いまだ値ひ給はず。法華経の行者ならずといわばいかでか行者にてをはせざるべき。又行者といはんとすれば仏のごとく身より血をあやされず、何に況んや仏に過ぎたる大難なし。経文むなしきがごとし。仏説すでに大虚妄となりぬ」

「而るに日蓮二十七年が間、弘長元年辛酉五月十二日には伊豆国へ流罪、文永元年甲子十一月十一日頭に傷を蒙り左の手を打ち折らる。同じき文永八年辛未九月十二日佐渡国に配流、又頭の座に望む。其の外に弟子を殺され、切られ、追ひ出され、過料等かずをしらず。仏の大難には及ぶか勝れたるか其れは知らず。竜樹・天親・天台・伝教は余に肩を並べがたし。日蓮末法に出でずば仏は大妄語の人、多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明なり。仏滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人但日蓮一人なり」(聖人御難事)

 

このように日蓮が年限を入れた受難の文々は他の遺文にもいろいろとある。 「余は二十七年なり」の前後の文脈を見ても、日蓮は、自らの受難や自分が末法に出て難を受けなかったら釈迦牟尼の経文がみな虚妄になってしまうなど、ということについて述べているのである。 したがって「聖人御難事」における「余は二十七年なり」とは、日蓮正宗がいうような「日蓮は二十七年目に出世の本懐を遂げた」という意味ではなく、 「日蓮は二十七年が間、受難の連続であった。このことはすでに各々も御存知のことである」 という意味であること明らかだ。

戒壇大本尊1大正4年由井本1 

 

それでも「聖人御難事」が、日蓮出世の本懐を顕す抄だと言い張るのなら、日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨が「熱原法難史」に書いている文

「然れば当時何事か宗祖(日蓮)の本懐満足と云ふ史実が有ったらうかと考えてみると、先師が曾て直に此文(『聖人御難事』の『余は二十七年なり』の文のこと)を以て戒壇本尊顕彰の依文と為れたやうだが、直接の文便は無いやうである」 (『熱原法難史』p72)

 

日蓮正宗大石寺67世法主阿部日顕が1983(昭和58)年の「霊宝虫払い大法会」御書講の説法

「この御抄(聖人御難事のこと)の日時は、弘安二年十月一日でありますから、まだ本門戒壇の大御本尊顕発を旬日(じゅんじつ)の後に控えております。従って、この文が直ちに戒壇の大御本尊を顕したもう事実的証拠ではありません。そのように取るのは過ぎた解釈と思われます」

 

この二人の法主の文と、日蓮正宗信者の「聖人御難事」の「余は二十七年なり」を無理矢理にでも「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊に結びつけようとする解釈が明確に矛盾していることを説明すべきである。又、日蓮が「阿仏房御書」で

「宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ。子にあらずんば譲る事なかれ。信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ。出世の本懐とはこれなり」(『阿仏房御書』平成新編御書全集p793)

と、「大漫荼羅本尊の授与こそが出世の本懐だ」と言っていることとも矛盾している。

この矛盾をどう説明するのか。というか、日蓮正宗信者は、日蓮の遺文(御書)である『阿仏房御書』との矛盾、堀日亨や阿部日顕の解釈との矛盾を全く説明していない。

否、それだけではない。日蓮の遺文(御書)「聖人御難事」の「余は二十七年なり」を「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊が日蓮の「出世の本懐」であるとする説を書いている「日蓮大聖人正伝」「日蓮正宗入門」をはじめとする日蓮正宗の公式文献の記述そのものが、堀日亨や阿部日顕の解釈と全く食い違っているのである。この矛盾についても、日蓮正宗は何の説明もしていない。

とにかく、何がなんでも「聖人御難事」の「余は二十七年なり」を無理矢理にでも「戒壇の大本尊」なる板本尊に結びつけようとする日蓮正宗の解釈は、呆れて嘆息するばかりである。