■論破8・大石寺の「戒壇の大本尊」は大石寺9世日有の偽作である2

 

□大石寺9世日有が「戒壇の大本尊」偽作する以前も大石寺法主は曼荼羅書写をしていた

 

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(法華講員・まぬけ猫(仮名)の妄説)

あなたも池田大作同様、相当根性くさってますねあせあせ

 (『アンチ日蓮正宗VS日蓮正宗』掲示板、まぬけ猫(仮名)なる者の妄説)

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根性が腐っているのは、大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊は日蓮の造立ではなく、大石寺9世日有の偽作であるという決定的な証拠を突きつけられて完全に反論不能に陥っても、日蓮造立説にしがみつき続けている洗脳法華講員・まぬけ猫(仮名)なる者のことだ。これは、まぬけ猫(仮名)本人の自己批判と解釈します。

 

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(国賊せまし(仮名)を擁護する、まぬけ猫(仮名)の妄説)

面倒だからたった2つであなたの妄説を斬ります()まずいまだにのたまう日有偽造説

①では日有以前に正宗信徒が拝んでいた本尊は?

②同じく日蓮宗身延派が日興が持ち去ったとする本尊は?

 (『アンチ日蓮正宗VS日蓮正宗』掲示板、まぬけ猫(仮名)なる者の妄説)

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まるで反論にもなっていない。

大石寺9世日有以前に大石寺信徒が拝んでいた本尊は、当時の大石寺法主が書写した曼荼羅本尊が残っている。それは大石寺59世堀日亨が編纂した「富士宗学要集」8巻にも収録されている。しっかり勉強してから言えよ。

ただし、これらの大石寺9世日有以前の法主が書写した曼荼羅本尊は、大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊とは全く無関係の本尊である。日蓮正宗の信者は、「戒壇の大本尊」なる板本尊が存在していないと曼荼羅書写が不可能だと思い込んでいるようだが、全くの笑止千万。これこそ、日蓮正宗のインチキ教学に、完全洗脳されている謬説である。

大石寺二祖日興から大石寺8世日影までの法主が書写した曼荼羅本尊は、大石寺をはじめ日蓮正宗寺院に格蔵されている。大石寺59世堀日亨が編纂した「富士宗学要集」8巻にも収録されている他、大石寺では毎年4月に行っている霊宝虫払い大法会で、大石寺二祖日興から大石寺9世日有までの法主が書写した曼荼羅本尊を、参詣信者の前で披露している。法華講員・まぬけ猫は、この事実を知らないのか。

戒壇大本尊1大正4年由井本1 

 

□貫首の曼荼羅書写そのものと大石寺「戒壇の大本尊」は全くの無関係なものである

 

それだけではない。大石寺以外の北山本門寺、西山本門寺、京都要法寺、保田妙本寺、小泉久遠寺、伊豆実成寺などの富士門流本山の歴代貫首は、曼荼羅書写を行ってきている。又、身延山久遠寺法主、池上本門寺貫首、中山法華経寺貫首、京都妙顕寺貫首等、日蓮宗祖山、大本山、本山貫首も曼荼羅書写を行ってきている。それら無数の曼荼羅が現存していることは言うまでもない。したがって、「戒壇の大本尊」が存在していなければ、曼荼羅書写が出来ないということは全くあり得ない。大石寺の「戒壇の大本尊」と曼荼羅書写は全くの無関係なものである。

 

それから、「日蓮宗身延派が日興が持ち去ったとする本尊は?」というまぬけ猫(仮名)の書いた文章は、日本語の文章として成立していない。まぬけ猫は、「戒壇の大本尊」なる板本尊の勉強の前に、日本語の勉強をやり直したら、どうかね。

尚、まぬけ猫(仮名)は、「戒壇の大本尊」なる板本尊が大石寺9世日有によって偽作された12の証拠について、ひとつも反論していない。これはまぬけ猫が論理破綻・反論不能に陥った証拠ということでしょうな。

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(法華講員・まぬけ猫(仮名)の妄説)

日達上人全集においてあなたの言ってる「かんな」と言っても手斧のようなモノで削っていると言ってますよ()

(『アンチ日蓮正宗VS日蓮正宗』掲示板、まぬけ猫(仮名)なる者の妄説)

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まぬけ猫(仮名)は、日本語の文が読めないようですな。こういうのは、まぬけ猫(仮名)本人の責任であるとして、そもそもまぬけ猫(仮名)は「かんな」と「手斧」のちがいとか、何も知らないということなんでしょうな。「かんな」の勉強からしてこいよ。

私の論破の意味は、「かんな」は江戸時代に発明されたもの。「戒壇の大本尊」なる板本尊は「手斧」で削ってある。

「手斧」で削ってあるから、鎌倉時代のものとは言えないと言っているんだよ。室町時代のものも、戦国時代のものも、「かんな」発明以前の「手斧」で削ってあるわけだから、「戒壇の大本尊」なる板本尊は、江戸時代以前の室町時代、戦国時代に造立された可能性だってある。

だから、「かんな」発明以前の「手斧」で削ってあるからと言って、それが鎌倉時代のものだとは言えないのは当然だ。

明確に判別できるのは、造立年代が、江戸時代以降か、それ以前か、なのである。