□時間とコストをかけて本気で仏教を検証・研究しようとしない日蓮正宗や創価学会の信者

 

仏教教学を不信や疑問の上から検証・研究して行くことを全く知らない、あるいは理解できない日蓮正宗・創価学会・顕正会・正信会の悪弊・弊害と関連した悪弊・弊害である。

これは日蓮正宗・創価学会・顕正会・正信会の現役信者のみならず、「富士門流執着軍団」の者や口先だけ無宗教宣言した「ドリーJUNKシニア」等にも共通している。

つまり日蓮正宗・創価学会・顕正会・正信会では、信者が学習する題材・テキストは、あらかじめ寺院や信徒団体が用意したものばかり。このテキストを、講師が御書学習会、教学試験勉強会、夏季講習会等々で講義する。これを聞いている信者は、これに洗脳されているだけである。

さらにその上に、御書学習会、教学試験、教学勉強会、夏季講習会では「無疑曰信」ということが徹底的にたたき込まれる。「無疑曰信」とは、日蓮正宗や創価学会が説く教学に何の疑問も持たずに頭の中にたたき込み、脳の中を日蓮正宗や創価学会が説く教学で占拠するように強要される。御会式や御講などの寺院行事においても、日蓮正宗の僧侶は「法門は毛穴から入る」などと言って、御会式や御講などの寺院行事に参詣する信者には、疑問も何も抱かずに黙って聞いていることを要求している。これは、ただの洗脳教育である。日蓮正宗・創価学会・顕正会・正信会の信者たちは、こんな洗脳教育が仏教教学の学習だと錯覚しているから、自分の目と耳と頭で、仏教教学を自分で検証することなど、全く思いも寄らない。

かつて「アンチ日蓮正宗」管理人が、「日蓮の御書全集や『富士宗学要集』を読了した」と書いたら、「御書全集は、日蓮正宗の信者しか手に入らないはずなのに、どこから入手したのですか」などという質問を寄せてきた人がいた。「御書全集は、日蓮正宗の信者しか手に入らない」などと本気で思っていることに、私は呆れ果ててしまいました。

創価学会が1951(昭和26)年に出版した大石寺59世堀日亨編纂の「御書全集」は、昭和50年代から60年代のころは、一般の書店でも販売していた。日蓮正宗が1994(平成6)年に出版した「御書全集」は、大石寺の売店で販売していた。

先の質問者は『富士宗学要集』については、その存在すら知らなかったようだが、昭和30年代に創価学会が出版した大石寺59世堀日亨編纂の『富士宗学要集』は、昭和50年代から60年代のころは、東京・信濃町の創価学会タウンの一角にある聖教新聞出版センターで販売していた。

私は、御書全集や『富士宗学要集』がどこで販売されているのかという情報を、自分で仕入れて、自分で歩いて御書全集や『富士宗学要集』を買いに行ったのである。創価学会の会館は、基本的に会合があるときに創価学会員のみしか入れなかったが、聖教新聞出版センターは開館時間内であれば、だれでも中に入ることが出来て、だれでも中で販売している書籍を買うことができた。

御書全集は1冊にまとまっていたが、『富士宗学要集』は全10巻。1巻が約3000円くらいした。だから『富士宗学要集』全10巻を一度に買うことはできず、何度も聖教新聞出版センターに足を運んで、1冊から2冊ずつ買っていったのである。

富士宗学要集4 

 

買った後は買った後で、読むのが大変。御書全集や『富士宗学要集』は全て古文ないしは漢文になっていて、すぐにすらすらと読める書籍ではない。たった1ページを読むだけで1年以上の歳月がかかった箇所さえあった。また四六時中、御書全集や『富士宗学要集』と向き合っていたわけではない。仕事をしなければならない時間も当然ある。そういう中で少しずつ読んでいって、これらを読了するだけで十年以上の歳月がかかっていた。最初に買った大石寺59世堀日亨編纂の「御書全集」も『富士宗学要集』も、赤鉛筆や鉛筆で真っ赤になったり真っ黒になっていた。

だから「御書全集」は、平成になってから大石寺の売店で新たに「平成新編・御書全集」を購入したわけである。

であるから、御書全集や『富士宗学要集』の場合もそうだが、仏教を修学しようとすれば、それなりに時間もかかるし、費用もかかる。これだけではない。私は、御書全集や「富士宗学要集」等の文献調査の他に、何十年の歳月をかけて楠木の生息地を訪問したり、輪島漆芸美術館、輪島漆器会館、安江金箔工芸館、湯之奥金山博物館、日本銀行金融研究所貨幣博物館、国立歴史民俗博物館、東北歴史博物館、川越・高岡の土蔵造り資料館、大名時計博物館等の博物館、図書館、美術館、資料館等を訪ね歩いた他、仏教各宗派の本山、寺院を訪ね歩いた。こういう所に行くということは、旅費もかかるし、宿泊代もかかる。時には仕事を休んで、時間を取らなくてはならないことだってある。書籍を読みコピーするだけだったら図書館に行ってもいいが、図書館に行くにしても、時間を取らなくてはならない。

つまり本気になって仏教を修学、研鑽、検証、研究しようとなったら、それ相応のコストもかかるし時間もかかる。ところが日蓮正宗・創価学会・顕正会・正信会の現役信者や日蓮正宗・創価学会・顕正会・正信会の悪弊・弊害から抜けきれない人は、時間とコストをかけてでも本気になって仏教を修学、研鑽、検証、研究しようとはしない。仏教の修学、研鑽、検証、研究のために、絶対に自分で時間とコストをかけようとはしないのである。

甚だしい例になると、仏教の修学、研鑽、検証、研究を全くやらずに、他所から誰かが書いた仏教論文、教学論文を丸写しして自分のブログや日記に載せている。それで自分では、仏教を徹底的に修学、研鑽、検証、研究したなどと欺瞞し大ウソを書いている。「龍神ひろし」「ちびあや」「黒川和雄」「ブルーシール」等々がこれである。こんなうそっぱちを書いて、読む人を欺けると思っているらしい。全くのお笑いぐさである。

こんなことを書くと「われわれだって御書講義を買っている」だの「大白法や妙教を買っている」だのと言うであろう。日蓮正宗の大白法や妙教、創価学会の御書講義や大白蓮華、聖教新聞といったものは、仏教研鑽の題材ではなく、洗脳教育のための道具である。肝心な仏教教学の検証にコストを全くかけずに、やれ御開扉だの立正安国論750年供養だの夏季講習会だのと洗脳教育ばかりにコストをかけつづける日蓮正宗系のガチ信者たち。こんな洗脳教育にコストをかけるのではなく、本気で仏教教学の検証にコストや時間をかけたらどうなのか。そのほうがよほど有意義な結果が残せることだろう。