■内藤国夫氏が報じる「月刊ペン事件」池田大作のお相手・多田省吾・多田時子夫妻

 

ジャーナリスト・内藤国夫氏が、暴露本「スキャンダルウオッチング」と題する著書の中で「月刊ペン事件」の池田大作のお相手とされた多田省吾・多田時子夫婦についても、書いている。

1976(昭和51)年、「月刊ペン」編集長・隈部大蔵氏が4月号では『連続特集・崩壊する創価学会 極悪の大罪犯す創価学会の実相 戸田 ・大本仏に勝とも劣らない漁色家・隠し財産家〃池田大作・本仏〃』のタイトルで、過激な創価学会批判記事を執筆。

「彼は学会内では〃池田本仏〃であり、その著書(?)『人間革命』は日蓮大聖人の『御書』と同じ地位に祭りあげられているにもかかわらず、彼にはれっきとした芸者のメカケ、T子が赤坂にいる。これは外国の公的調査機関も確認しているところである。そもそも池田好みの女性のタイプというのは?やせ型?プロポーションがよく?インテリ風のタイプだとされる。なるほど、そういわれてみると、お手付き情婦として二人とも公明党議員として国会に送り込んだというT子もM子も、こういうタイプの女性である。もっとも現在は二人とも落選中で、再選の見込みは公明党内部の意見でもなさそうである。それにしても戸田のめかけの国会議員は一人で会ったので、池田のそれは大先輩を上回る豪華さではある!しかも念のいったことには、この国会議員であった情婦のうちの一人を〃会長命令〃(!?)かなんかで、現公明党国会議員のWの正妻にくだしおかれているというのであるから、この種の話は、かりに話半分のたぐいとして聞いても、恐れ入るほかあるまい」(87~88頁)

文中のT子とは多田時子総合婦人部長、M子とは渡部通子公明党参議院議員、Wとは渡部一郎公明党衆議院議員と、関係者の間では容易に推測されたわけである。

内藤国夫氏は、暴露本「スキャンダルウオッチング」の中で、渡部一郎・渡部通子夫婦について書いている部分をここに引用する。

 

「多田省吾・時子  (藤原)行正夫婦罵倒で辛うじて生きのびる

夫の省吾は参議院議員。次の選挙では定年を前にして健康不安で退陣することが決まっているのに、昨年の党大会で副委員長に再選された。かなりの重用ぶりといえる。もっとも、矢野(絢也)執行部の崩壊で、多田も副委員長ポストを外されてしまったが…。実はこの人も髪結いの亭主。というのも、夫人の時子は女子部時代、池田と特別の仲だった。池田の泊まる先々で池田の脇腹をさすったり、スプーンでメロンを食べさせたりといったことが、側近によって何十回となく目撃されている。省吾と結婚後も、池田と特別な関係を続けたのかどうか分からない。しかし結婚前は、デパートに池田夫人気取りで豪華な買い物にでかけたりしている。昭和四十年(1965)頃は、特に(創価学会)本部の女子職員の間で、池田との特別な関係が取り沙汰され、羨ましがられたものである。」(内藤国夫氏の著書『スキャンダルウオッチング』p7980)

スキャンダルウオッチング1 

 

「渡部通子が月刊ペン裁判で池田の女性スキャンダルを否定する証人として出廷したのに対して、時子は出廷を断ったことで学会内では有名になった。当時、会長の北条浩は『時子は証人になりたがらない。時子は弱いんだ』と周囲に喋った。これは、暗に北条が時子と池田との関係を認めたことになる。

時子は当時、婦人部の会合で、『私は(池田との関係は)ありません。あったら、ありがたいんですけど』と発言している。事実を隠蔽するつもりが、逆に本心をさらけ出した格好だ。時子は、現在、藤原行正の妻の郁子を、婦人部の会合でメッタクソに罵倒しつづける役目を負っている。かつて、二人の仲は決して悪いものではなかった。悪口をいわせるのは、明らかに池田の差し金である。そのご褒美か、時子は最近、全国総合婦人部長に返り咲きを果たした。また、時子が郁子を罵倒すればするほど、夫の方も公明党で重用される。この夫婦、『スキャンダル話から池田先生を守る』ことで、公明党・学会内の地位を辛うじて保っているのだ」

(内藤国夫氏の著書『スキャンダルウオッチング』p7980)

 

多田時子の夫・多田省吾(1931 2010年)は、公明党参議院議員を4期つとめた。

1965年、参議院議員通常選挙に、全国区から公明党公認で立候補し初当選(以降4回)。

1970年代に、公明党副委員長に就任し、15年以上に渡り務める。1989年、参議院議員通常選挙に立候補せず、政界を引退。政界引退後は、第三文明社代表取締役を歴任。

1998年、公明党中央執行委員長の竹入義勝が『55年体制回顧録』を出版したことに対して、竹入の委員長在任当時副委員長を務めていた公明党元国会議員を結集。後に元公明党副委員長の大久保直彦ら、この時の参加メンバーを結束して「公明党をサポートする会」を結成し代表となる。

201094日、脳こうそくのため79才で死去している。

「多田省吾」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E7%94%B0%E7%9C%81%E5%90%BE

多田時子は、結婚前の名前を「湊時子」といい、全国女子部長を歴任している。

1969(昭和44)12月の衆議院議員総選挙で東京3区から公明党公認候補として立候補して当選(1回目)。1972(昭和47)12月衆議院議員総選挙で落選。その後は公明党から創価学会に復帰して、全国総合婦人部長を務めている。

平成12(2000)122日、膵臓ガンのため死去している。