■論破12・大石寺の「戒壇大本尊」は日蓮真造ではなく大石寺9世日有の偽作である2

 

12世紀から17世紀ころまで日本、中国、モンゴル等の東アジアは小氷期だった

 

日蓮正宗謀略機関紙『慧妙』は、「アンチ日蓮正宗」の「12001900年 の約700年間は『鎌倉・江戸小氷期』だった日本」について、必死になって弁解している。鎌倉時代の日本が小氷期だということになれば、鎌倉時代の身延山に楠木が存在しなかったことが明確になり、大石寺の「戒壇の大本尊」は日蓮より後世の人物による偽作ということになる。そうなれば、日蓮正宗の根本教義が全て根底から崩壊してしまう。そこで日蓮正宗謀略機関紙『慧妙』は、平成25316日付け「第15回ネットに蔓延る邪義を破す」の中で、こんな弁解をしている。

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(日蓮正宗謀略機関紙『慧妙』の妄説)

(アンチ日蓮正宗は)学者の見解を引用し、いかにも鎌倉時代が小氷期という低温期であり、楠木が身延山近辺に生息できないと決定づけているが、果たして本当にそのようなことが言えるのか。過去における地球の気候の変動については、近年の温暖化現象もあり、急速に研究が進められているが、いまだ途上段階であり、見解もさまざまである。例えば、ヨーロッパではブドウの収穫日、日本では観桜記録や諏訪湖の氷結記録、米の作柄指数など、過去の気候に関する事柄から推測はできても、それが一部の地域に限定したものなのか、それとも地球全体として見るものなのかは、いまだ学者によって意見が分かれているのだ。

日本の気候においては、六百年周期で気候の寒暖を繰り返しているというが、寒暖の時期を明確に区別することはできていない。ただし、平安時代以前を寒冷期、平安中期から鎌倉期までは温暖期、室町時代から江戸時代は寒冷期と区分けすることが多い。問題となる鎌倉時代については、鎌倉時代全体を温暖期とする説、また鎌倉後期から寒冷期が始まったとする説もある。

以上のように、鎌倉時代は小氷期と定まってなどいないのが実際であり、誹謗者のごとく、屋久杉の経年変化だけをもって鎌倉時代が小氷期であった等と断定するのは暴論である。

(平成25(2013)316日付け『慧妙』/「第15回ネットに蔓延る邪義を破す」)

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中世の小氷期の研究は、何も今に始まったわけではなく、ずいぶん前から気候学者・歴史学者等々の中で行われてきており、さまざまな著書や論文等で一般に発表されている。

日本の小氷期説について、明確な説を唱えているのが、日本の宇宙物理学者。太陽物理学、高エネルギー宇宙物理学の世界的な権威で、早稲田大学理工学部総合研究センター客員顧問研究員。神奈川大学名誉教授。ユトレヒト大学、インド・ターター基礎科学研究所、中国科学院の客員教授、理学博士の桜井邦朋氏。「桜井邦朋」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E4%BA%95%E9%82%A6%E6%9C%8B

「太陽黒点が語る文明史 「小氷河期」と近代の成立」という本は、桜井邦朋氏が19877月に書き上げた著書である。

小氷期3 

 

桜井邦朋氏は著書「太陽黒点が語る文明史・小氷河期と近代の成立」で次のように書いている。

「西ヨーロッパでは、全体としてみると、14世紀の開始前後から気温が下がりはじめ、19世紀初め頃になって、やっと現在とほとんど同様の状態にまで回復している」

「平均気温でみて、現在と比べてせいぜいセ氏1度しか低くなっていないことに注意していただきたい。これくらいの気温の低下で、氷河期に入ってしまっているのである」

(『太陽黒点が語る文明史・小氷河期と近代の成立』p10)

「九州の南の屋久島に生育する屋久杉の年輪中に残された酸素の同位体・18Oの分析結果をみれば、13世紀に入ると日本付近における気温の低下が始まっていることがわかる」

(『太陽黒点が語る文明史・小氷河期と近代の成立』p11)

 

さらに『太陽黒点が語る文明史・小氷河期と近代の成立』p12では、中国の気象学者・竺可楨が、中国の古記録から推定した5世紀から20世紀に至る気温の経年変化グラフを載せている。

これによると北宋・南宋時代から気温が下がりはじめ、12世紀から17世紀ころまで、現在の気温に比べてセ氏2度低くなっていることがわかる。

つまり中国、モンゴル、朝鮮等の東アジアの気温が12世紀以降から低下しており「小氷期」に入っているということ。中国、モンゴル、朝鮮等の東アジアの気候が日本に絶大な影響を与えていることは、現代の東アジアの気候・気象を見ても分かる。特に冬は中国大陸からの高気圧が日本に張り出してきて「西高東低」の気圧配置になり、日本列島を寒波が覆い尽くす。この辺の知識は、気象学者ならずとも、世間一般の人でも知っている知識である。中国、モンゴル、朝鮮等の東アジアが小氷期であれば、日本も小氷期であることは、明らかにわかることである。

この中国の気象学者・竺可楨のグラフを元に桜井邦明氏は「小氷河期」についてこう書いている。

「小氷河期の気候は東洋も西洋もよく似ており、全世界的に気候が寒冷化していたことがわかる。屋久杉中の酸素の同位体18Oの分析結果も、当然のことながら、似た傾向を示している」

(『太陽黒点が語る文明史・小氷河期と近代の成立』p12)

「今までに示した気候変動に関するいくつかのデータから、地球環境の寒冷化は14世紀に入る前後から始まったことがわかる。そうして、この寒冷化は19世紀半ばまで続いて終わることになる。これらの結果に基づいて、多少の変動はあるものの、全体として気候が寒冷化していたこの500年ほどにわたる時代を、『小氷河期』と命名したのである」

(『太陽黒点が語る文明史・小氷河期と近代の成立』p12p13)

 

日本の理学博士の桜井邦明氏は、屋久杉の経年変化だけによったのではなく、中国の気象学者・竺可楨の気象グラフの他、さまざまな物理学的データや気象データ等を根拠にして、14世紀前後から地球を小氷河期がおおっていたという説を唱えている。

 

小氷期1