□非常識な堕地獄論を説く日蓮正宗系のカルト信者には「死」を語る資格すらないと言うべき

 

これも昔から言われていることですが、日蓮正宗、創価学会、顕正会、正信会の極めてひどい悪弊・弊害のひとつ。それも日蓮正宗は日蓮正宗の僧俗だけが成仏して他は全て堕地獄だと言い、創価学会は広布に挺身した創価学会員だけが成仏して他は堕地獄だと言い、顕正会は顕正会員だけが成仏して他は堕地獄だと言い、正信会は正信会寺院の僧俗のみが成仏して他は堕地獄だと言う。ここで注記しなければならないのは、例えば「日蓮正宗の僧俗だけが成仏して他は全て堕地獄」の中の「他」は、日蓮正宗以外全てということだから、その中には創価学会、顕正会、正信会のみならず、他宗派、他門流の仏教から無宗教まで全てが入ってしまう。

「広布に挺身した創価学会員だけが成仏して他は堕地獄」の他」も、創価学会以外の日蓮正宗、顕正会、正信会のみならず、他宗派、他門流の仏教から無宗教まで全てが入る。創価学会の場合は、広布に挺身した創価学会員だけが成仏するらしいので、広布に挺身していない創価学会員は、創価学会以外の日蓮正宗、顕正会、正信会、他宗派、他門流の仏教から無宗教と同じように成仏できずに堕地獄ということらしい。こういう独善的な図式は、顕正会も正信会も同じ。

私は昔からさんざん、イヤと言うほど聞かされた。日蓮正宗や創価学会、顕正会の折伏の決め言葉は「入信しないと成仏できずに地獄に堕ちる」。創価学会と正信会の紛争でも、正信会寺院僧侶は創価学会員に対して「創価学会は謗法だから地獄に堕ちる。だから創価学会を脱会して正信会寺院の信徒になれ」と説いてまわっていた。1991年にはじまる宗創戦争以降は、これと同じ事を法華講員が創価学会員たちに説いて廻っている。まったくもって懲りない人たちであり、性懲りもない人たちだと痛感してしまう。

日蓮正宗の信者だけが成仏すると言いたいのか、インターネットやユーチューブで「これが成仏の相だ」と言わんばかりに、お亡くなりになった日蓮正宗の信者の死相の写真を平気でアップするという非常識極まりないことまで行っている者すら出ている。

又、最近、これを象徴する出来事が「アンチ日蓮正宗vs日蓮正宗」であった。風小僧なる名前の日蓮正宗のカルト信者が、議論の場で平気な顔をして「日蓮正宗の御法主上人や僧侶達、信徒達は皆さん成仏の相を顕していますが、学会員は皆さん堕地獄の相を顕して、お亡くなりになっています」などと言う。かく言う当人が成仏の相だかどんな相だか見たわけでもないのに、平気でこんなハッタリを言うから、カルト信者・風小僧に「ハッタリは、貴殿のみにとどまらず、日蓮正宗そのものがハッタリ宗旨だ」「貴殿は、ハッタリばっかり言っているので、ハッタリ小僧と改名したほうがいい」と指摘しておいた。

するとこの風小僧なるカルト信者は、これに不満なのか、今度は自分の日記で、この問答に対する不平不満を鳴らし始めた。風小僧云く「戒壇の大御本尊が偽物ならば、なぜ大御本尊 から功徳を頂いて幸せになっている方が大勢いるので すか?」「なぜ日蓮正宗の信徒が、亡くなった時に御文 に書かれている成仏の相を顕すのか?」と、こうである。

 

 

このカルト信者の妄言に対して、カルト信者からのだまし討ち折伏で日蓮正宗に入信させられたL氏が「信徒数は何人いて何人が幸せと?そして一人一人あなたが確認したのですか?」「亡くなられた信徒全員の顔をあなたが直接見られたのですか?」と指摘された。まことに鋭い指摘である。

さらにだまし討ち折伏の被害者・L氏はこうも指摘された。

「なぜアンチがいるのか?それは簡単です。本尊を信じている人が信じていない人を見下したりバカにしたりする人が沢山いるからです」「ようするに信じる根拠は人それぞれであるということです。自分の根拠と他人の根拠はちがいます。そしてもし日蓮聖人の仏法を信じているのであればアンチの方達の気持ちを理解し知ることであるのではないでしょうか?風小僧さんも信じる想いがあるように嫌いになる想いがあると考えられませんか?折伏は修業だと聞きましたが、まさに今がその修業のではないですか?」

L氏は、だまし討ち折伏で日蓮正宗に入らされた方なので、生まれたときから日蓮正宗だったわけではない。だからこの方には、人間としての良識が生きている。

そうすると今度は、カルト信者・風小僧は「所属寺院の講員さんに対して不信感を持つ前に、前にもコメントしましたが、日蓮正宗の基本的な実践をしてみては?一年、実践をしてみれば、現在と一年後の自分自身の生活や環境、境涯が大きく変わっているのに気付くはずです。

何もしないで、不平不満を言っているだけでは何も変わりませんよ。」と、相も変わらず、不平不満を言う前に実践しろと言う、日蓮正宗のカルト信者、お決まりのワンパターン・セリフ。これは、私もカルト信者の口からイヤと言うほど聞かされてきた。さらにカルト信者はこうも言う。

「不信に思う講員を反面教師として、あなたが正しく信心を行って手本を見せてやっては、どうですか?あなたが、正しく信心して結果を出せば、相手も見習うと思いますけど。あと入信したけど信心をする気が無いのならば、日蓮正宗に関わらければ良いと思うのですが、なぜ日蓮正宗の折伏の実態に、こだわるのでしょうか?」

こんなものは、自己正当化のための、ただのこじつけであり、牽強付会。こんなカルト信者の欺瞞的言い訳を読んでいると、不快指数が上昇するだけである。

私から亡者追善ということについて一言させていただくと、追善とは、亡くなられた方が成仏して欲しいという願いを込めて行うものであり、一般的にはご冥福をお祈りします、とか言う。冥福とは、辞書によれば「死後の幸福。また、死後の幸福を祈って仏事を営むこと」とある。それを宗派が違うとか、自分の宗派に入信しないからといって「地獄に堕ちた」などと言うのは、非常識極まりない。こんな非常識なことを言う日蓮正宗系のカルト信者には、「死」を語る資格すらないと言うべきである。ましてや日本人の死生観は「亡くなった方は皆、仏さまになった」という死生観である。これは鎌倉・室町時代に広まった南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経の影響であるという説が一般的。日蓮が説いた南無妙法蓮華経の宗旨は、一切衆生皆成仏道の宗旨のはず。日蓮正宗系のカルト信者は、宗教の根本である死生観から考え直すべきなのではないだろうか。

親鸞1