■論破14・大石寺の「戒壇大本尊」は日蓮真造ではなく大石寺9世日有の偽作である4

 

□小氷期で枯れたクスノキの大木からは「戒壇の大本尊」なる板本尊は造立できない()

 

鎌倉時代の日本は「小氷期」だったとする学説に衝撃を受けてしどろもどろになった日蓮正宗謀略機関紙『慧妙』は、なんとしてでも小氷期の身延山に楠木があったことにしようとして、必死になって苦しい弁解をしている。

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(日蓮正宗謀略機関紙『慧妙』の妄説)

大御本尊の素材である楠木の生育を検証するとき、考えなければならないことは、鎌倉期の気候よりも、むしろそれ以前の気候変動である。大御本尊に用いられたような大樹であれば、それなりの樹齢が必要であり、鎌倉期以前の気候が関わってくることは当然である。しかるを大聖人御在世当時の鎌倉期の気候のみを取り上げ、即断する軽率な検証態度には、初めから大御本尊を否定せんとする悪意が垣間見られる。ちなみにネット誹謗者のHP(アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログのこと)に引用されている坂口豊論文(専修人文論文集51)の年表には、鎌倉・江戸期を小氷期としているが、それ以前の奈良・平安期は温暖期であると表記している。この見解によるならば、少なくとも奈良・平安期の五百年間は温暖期となるため、樹齢五百年の大樹が生育していることは何ら不思議でない理屈となるし、実際、比較的成長の早い楠木ならば、十分、大樹となり得るのである。このように、ネット誹謗者が大御本尊を否定する材料とした資料が、逆に、大御本尊の正当性を示す傍証となっている。

 (平成25(2013)416日付け『慧妙』/「第16回ネットに蔓延る邪義を破す」)

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つまり鎌倉時代の日本は「小氷期」だったとする学説に衝撃を受けた日蓮正宗謀略機関紙『慧妙』は、何としてでも小氷期の身延山に楠木があったことにしてしまおうと、「奈良・平安期の五百年間は温暖期だったわけだから、少なくとも鎌倉時代の身延山には樹齢五百年の楠木の大樹があったのだ」という、強引なこじつけ作戦に出てきて、あたかも「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」が出した資料が、さも大石寺の「戒壇の大本尊」の正当性を証明しているかのようにすり替えようと謀ったが、ものの見事に失敗に終わった。日蓮正宗謀略機関紙『慧妙』の執筆者は、木が環境不適応な所、不適応な気候の所では、枯れてしまうということを知らないらしい。奈良・平安期の五百年間の温暖期で仮に鎌倉時代の身延山には樹齢五百年の楠木の大樹があったとしても、12世紀から小氷期に入って寒冷期に入ったとなれば、それらの楠木は枯れてしまうのである。そんな枯れた楠木からは、「戒壇の大本尊」なる板本尊は造立できないのである。

『慧妙』の執筆者は、自生する楠木を実際に見たことがなく、机上の空論だけで、なんとしても「こじつけてしまおう」とするから、こんなおかしな空論になってしまう。「アンチ日蓮正宗」では、それこそ何年もの長い歳月をかけて、日本各地に自生する楠木を実地調査している。

 

 

これは日蓮正宗がよく出してくる大野山本遠寺の楠木の大木だが、この大木はほとんど枯れてしまっている。大木の中が空洞になっているのがわかる。

本遠寺の楠木5(木の下の方が割れている)






 




(大野山本遠寺の楠木の大木)

熱海・来宮神社の第二大楠も、ほとんど枯れていて大木の中が空洞になってしまっている。

来宮第2大楠6 

(熱海・来宮神社の第二大楠)

埼玉県庁、池上本門寺、日比谷公園にも楠木があるが、これも枯れているか、大木にはほど遠いくらいのか細い木である。

埼玉県庁楠4 

(埼玉県庁の楠木)

 本門寺楠4

(池上本門寺の楠木)

日比谷公園楠木5 

(東京・日比谷公園にある楠木)

こんな枯れた楠木や、か細い楠木からは「戒壇の大本尊」は造立できない。その証拠は1977(昭和52)5月の大石寺66世細井日達法主の説法にある。細井日達は昭和52(1977)526日の大石寺大講堂・寺族同心会において、かく説法している。

「戒壇の御本尊様は楠の厚木です。表から見るとこういう板です。ところが此れは大変な板です。ただの板ではないのです。こういう板になっているのです。だから後ろから見ると丸木です。丸木を表だけ削ってあるわけです。大変なものです。重たい。上はただ三寸そこそこの板ですけれど、まわりは丸木です。まん丸い木です。その丸い木を、前を削って板にしたにすぎません・・・」(昭和52年5月26日の大石寺大講堂・寺族同心会の指南)

つまり細井日達の説法によれば、大石寺の「戒壇の大本尊」は楠木の半丸太状の板本尊だという。ということは、大木の中が空洞化してしまっている枯れた楠木や、か細い楠木からは「戒壇の大本尊」は造立できないということになる。当然、そういうことになりますね。

では細井日達が言う「半丸太の板本尊」が造立できる楠木の大木とは、どんな大木なのか。それは西日本、四国、九州にある楠木である。例えば熊本市・藤崎台には、東日本とは比べものにならないくらいの隆々とした楠木の大木が自生し生い茂っている。

熊本城飯田丸前の楠木4








熊本城の楠木5

熊本城飯田丸前の楠木2

(熊本・藤崎台の楠木)

つまり「戒壇の大本尊」の素材となった楠木の大木は、小氷期で枯れた楠木ではなく、西日本の隆々とした楠木の大木であることが明らかである。