■新聞雑誌輸送会社を経営する傍ら小劇団のオーナー兼プロデューサーをしていた創価学会員

 

私は福寿荘(仮名)、溝口工務店(仮名)、同期電設(仮名)の創価学会員がらみの騒動の後、たとえ少しずつでも演劇活動を再開しようと、知人の学生俳優の紹介で、東京N区に拠点を置く劇団Nに入った。まだ株式会社ポンタツ(仮名)で社員として務めていたころのことで、私はポンタツ(仮名)の社員、劇団Nのメンバーという「二足のわらじ」を履くことになった。舞台演劇は、劇団四季、劇団俳優座、劇団青年座といった大手劇団が行っている公演が昔から有名だが、その一方で、数十人から数人単位の規模で組んでいる中小、ミニ劇団が、東京近郊、関東近県から日本各地に多数存在する。こういった劇団を小劇団、ミニ劇団とかアングラ劇団と呼ぶ。こういった劇団は東京近郊にある4050人前後を収容する小劇場で公演を行うことが多い。

たまにテレビやマスコミ等に日本全国をドサ回りしている劇団が紹介されることがあるが、こういう劇団も小劇団、ミニ劇団に分類されるのだろうが、しかし小劇団、ミニ劇団の全てが日本全国ドサ回りをしているわけではない。

こういった小劇団、ミニ劇団、アングラ劇団は、1公演が終わったら解散。そして次の公演を行う時にまた結成して、公演を行い、終わったら解散。これの繰り返しが大半。しかしこの中には、公演が成功して黒字が出ると、劇団としての演劇活動が定着するものもある。何度も公演が成功すれば、スタッフ、役者が定着し、自然発生的にほぼ同じメンバーで公演を繰り返す。

劇団Nは、オーナー兼プロデューサーである小矢木隆(仮名)を中心に、何度も公演を行っていた小劇団、ミニ劇団である。劇団のトップは、座長とか主宰とか、いろいろな呼び方があるが、ここでは元の劇団の出資者という意味でプロデューサー。稽古場、衣装、小道具、大道具、トラック等のオーナーという意味でオーナーという言葉を使います。

劇団Nは、小矢木隆(仮名)がオーナー兼プロデューサーとして中心的立場にいる劇団。監督をはじめとするスタッフも役者も、小矢木隆(仮名)が自分で呼んでくる。あの当時で小矢木隆(仮名)50才前後ぐらいの中年男。今、存命であれば80才に近い高齢になっているはず。見た感じとしては、タレント・上岡龍太郎氏と宇宙人・ラージノーズグレイをたして二で割った感じに見える。

上岡龍太郎1 











(劇団Nオーナー兼プロデューサー・小矢木隆(仮名)のそっくりさん・上岡龍太郎氏)

グレイ1 











(劇団Nオーナー兼プロデューサー・小矢木隆(仮名)のそっくりさん・宇宙人のグレイ)

小矢木隆(仮名)は、劇団の公演で生活しているのではなく、本業は新聞雑誌図書輸送会社を経営する社長。だから小矢木隆(仮名)も「二足のわらじ」でやっていることになる。とはいっても小矢木隆(仮名)は、「オレは道楽で劇団をやっているんだ」と役者の前でタンかを切っていたから、副業というよりは道楽の色彩が強かったのだろうが、しかし小矢木隆(仮名)がこんな劇団のオーナーをやっていたのは、後で分かったのだが、やはりウラがあったのである。

 

 

小矢木隆(仮名)は、もともと東京都内でタクシー運転手をしていた。が、ある時、一念発起して会社経営者にまでなり、そして劇団まで手を広げた。小矢木隆(仮名)の自宅は東京N区にあり、堂々たる持ち家に家族と一緒に住んでいる。この小矢木隆(仮名)が創価学会の地域組織の地区幹事という幹部だった。小矢木隆(仮名)が創価学会員だとは、私も最初の頃は全く知らず、これもだいぶ後になってから知った。

劇団Nの稽古場は、小矢木隆(仮名)の自宅に隣接する広間を使っていた。劇団の稽古では、役者が大声を出すので、もちろん防音装置も完備した稽古場である。その稽古場で稽古が終わった後、小矢木隆(仮名)が顔を出して、「これから鍋を出すから」と言って、自宅にスタッフや役者を誘い入れて、鍋宴会をはじめる。後で聞いた話だったが、小矢木隆(仮名)は、劇団の稽古があるときのみならず、稽古のない日は、自分の経営する会社の役員や社員を呼んできて、それこそ毎日のように鍋宴会をやっていたという。小矢木隆(仮名)は、かなりの酒豪で、鍋が大好き。鍋も、しゃぶしゃぶ、すき焼き、もつ鍋、ちゃんこ鍋、寄せ鍋、湯豆腐鍋、鴨鍋、水炊き鍋、軍鶏鍋(鶏鍋)、すき鍋、ぼたん鍋、磯鍋、ちり鍋、おでん、かき鍋、みぞれ鍋(雪見鍋)、蒸し鍋等々、それこそ鍋メニューの全てが出てくるのではないかといったくらい。しかも鍋宴会のたびに、鍋料理のメニューが変わる。こんなに鍋料理ができるのなら、いっそ鍋料理店でも開店すればいいのにと思ったくらい。

しかもこれだけ毎晩のように鍋宴会をやっていたら、出費もそうとうな金額になったはず。それなのに、この鍋宴会は全てオーナー兼プロデューサーの小矢木隆(仮名)のおごり。しかも私は、初期の頃は、東京N区に住んでいたが、ポンタツ(仮名)の業務でKY営業所に転勤になり、Y市に転居した。だから転居した後は、鍋宴会が終わった後、東京N区からKY市まで帰宅しなければならなかったが、小矢木隆(仮名)は、何と私にタクシーチケットを渡して、タクシー代まで支払ってくれていた。それだけではない。これだけ鍋宴会でカネを使っていながら、小矢木隆(仮名)は新たに同じ東京N区に大邸宅を新築。自宅も稽古場も二倍以上に広がった。小矢木隆(仮名)

「仏間は座談会ができるように広くした。稽古場も広くしたぞ」と胸を張る。

あの当時もそうだったし、今でもそうだと思うのだが、経営基盤の弱い小劇団、ミニ劇団、アングラ劇団は、稽古場の確保にまことに苦労していた。稽古場がなければ、役者は稽古が出来ない。しかも稽古場は、どこでもいいというわけではない。それなりの広さが必要だし、稽古では大声を出すので、防音装置があるか、大声を出してもOKという所でなければならない。安い賃料で貸してくれる公立の区民会館や勤労福祉会館は、予約で一杯になっていることが多く、なかなか思った日に予約を取ることができない。あと、区民会館や勤労福祉会館に行く交通の便の問題もある。

そういったことを身はからった上で、小矢木隆(仮名)は自宅に隣接した所に稽古場を造る。スタッフや役者は、賃料を負担しなくて済む上に、稽古が終わったら鍋宴会があるので、自然に稽古は小矢木隆(仮名)の自宅に隣接する稽古場になる。しかも外で稽古をした場合に、終わった後の呑み会は居酒屋になるため、そうなねと自己負担分が発生する。そうなるとますます小矢木隆(仮名)の稽古場に傾斜していくわけである。