□宗創戦争以前から「新雑誌X」で日柱クーデター退座事件を執筆していた大木道惠氏

 

大木道惠氏の二重スパイ疑惑の証拠は他にもある。それが有名な「大石寺59世日柱退座の記事」である。

「大石寺59世日柱退座の記事」とは、創価学会のアングラ文書「地涌」が、1991年の宗創戦争開戦以来、メインテーマのひとつとして書き続けてきたこと。

おおまかな内容は、1925(大正14)秋、大石寺58世土屋日柱は、日蓮正宗宗会と日蓮正宗評議員会から辞職勧告をつきつけられて法主を退座。その後、新しい法主を選定すべく管長候補者選挙に土屋日柱が出馬したが、たった3票しか得られずに落選。トップ当選した堀日亨に、法主の座を譲らざるを得なくなった、というもの。

創価学会系日刊アングラ文書「地涌」は、1991年の宗創戦争開戦の年から、何度もこの「日柱退座事件」の記事を連載。その後、「地涌からの通信・資料編」や「地涌からの通信・歴史編」にも、まとめられた。

1992年~1995年ころにかけて、創価学会員が「地涌」の土屋日柱退座の記事や資料を持って、法華講員宅を訪問して脱講運動に歩いていたのは、あまりにも有名である。

ところが、日柱クーデター退座事件をはじめて執筆したのは、「地涌」が最初ではない。

1990(平成2)、創価学会の支配下にあった「新雑誌X」にて、副編集長・大木道惠氏が執筆した「創価学会攻防史の研究」の連載第三回、第四回、第五回において、日柱クーデター退座事件を取り上げて書いている。

1990(平成2)というのは、日蓮正宗と創価学会の「宗創戦争」がはじまる前年。

そして「地涌」が日柱クーデター退座事件を取り上げて書く前年でもある。

1990(平成2)、「新雑誌X」で、大木道惠氏が「創価学会攻防史の研究」の連載第三回、第四回、第五回において執筆した、日柱クーデター退座事件の記事の内容と、1991(平成3)以降、創価学会のアングラ文書「地涌」が執筆した日柱クーデター退座事件の内容が、実によく似ている。否、これは二つの記事が重複していると言っても、過言ではない。

もちろん大木道惠氏は、「新雑誌X」に載せた「創価学会攻防史の研究」で日柱クーデター退座事件を取り上げているのは、創価学会擁護の立場から日蓮正宗を批判する主旨で書いている。今、大木道惠氏が執筆した「創価学会攻防史の研究」で日柱クーデター退座事件の記事を読んでも、創価学会のアングラ文書「地涌」が執筆した日柱クーデター退座事件の記事を「前もって」書いていた、というふうに見える。

大木・日柱論文1


大木・日柱論文2


大木・日柱論文3


大木・日柱論文4


大木・日柱論文5 

(大木道惠氏が1990(平成2)に「新雑誌X」に執筆した日柱クーデター退座事件の記事)


地涌・戦争責任1


地涌・日柱退座1


地涌・日柱退座2


地涌・日柱退座3


地涌・日柱退座4


 

(創価学会系文書「地涌」が1991(平成3)以降に執筆した日柱クーデター退座事件の記事)

 

 

□なぜ大木道惠氏の日柱退座の記事と「地涌」の日柱退座の記事が重複しているのか

 

私は、日柱クーデター退座事件を取り上げた「地涌からの通信・資料編」や「地涌からの通信・歴史編」も持っているし、1990(平成2)、「新雑誌X」で、大木道惠氏が「創価学会攻防史の研究」の連載第三回、第四回、第五回において執筆した、日柱クーデター退座事件の記事も、持っている。両者を読んでみれば、一目瞭然である。

もし「地涌」が大木道惠氏に無断で、日柱クーデター退座事件の記事の長大な連載を執筆し、「地涌からの通信・資料編」や「地涌からの通信・歴史編」の単行本にまとめて販売したら、どうなるだろうか。これは明らかに著作権法違反の疑いが濃厚な事件になる。著作権がどうだの原稿料がどうだのと人一倍うるさい大木道惠氏と「地涌」で、大トラブルになることは明白である。しかし大木道惠氏と「地涌」で、著作権や原稿料のトラブルが起こったという事実は全くない。

つまり「地涌」が執筆した日柱クーデター退座事件の記事は、大木道惠氏の承諾のもとに執筆されたか、ないしは「地涌」の日柱クーデター退座事件の記事も、大木道惠氏自身が執筆したか、このいずれかである。

1990(平成2)、大木道惠氏が副編集長をしていた「新雑誌X」が、すでに実質的に創価学会の支配下にあったことを考え合わせれば、これは明らかであろう。

つまり大木道惠氏と創価学会系アングラ文書「地涌」が、協力関係にあったか、あるいは大木道惠氏が創価学会系アングラ文書「地涌」のライターの一人であったか。このいずれかしか、考えられまい。

大木道惠氏は、現在、エキサイトブログ、GREEmixi、ツイッター、facebook、等々に、数多くのアカウントを所有し、これらの日記において、かつて自らが執筆していた「創価学会攻防史の研究」という名前の論文について、言及している箇所がある。しかしどういうわけか、大木道惠氏は、創価学会の支配下にあった「新雑誌X」にて副編集長・大木道惠氏が執筆した「創価学会攻防史の研究」の連載第三回、第四回、第五回において、日柱クーデター退座事件を取り上げて書いていることを、ひた隠しに隠そうとしている。なぜ今、大木道惠氏は、「創価学会攻防史の研究」の連載第三回、第四回、第五回において、日柱クーデター退座事件を執筆したことを隠そうとするのか。

これは、よほど触れて欲しくない「過去」だと思われる。なぜなら、この中で大木道惠氏は、創価学会擁護の立場から日蓮正宗を批判する主旨で書いているからである。

今、大木道惠氏は「オレは三十年以上にわたって、創価学会批判をしてきた」と言っているが、過去に創価学会擁護の立場から日蓮正宗を批判する主旨で書いている「創価学会攻防史の研究」の連載第三回、第四回、第五回は、よほど都合の悪い過去ということなのだろう。

新雑誌X-1