■論破24・大石寺の「戒壇大本尊」は日蓮真造ではなく大石寺9世日有の偽作である14

 

□大石寺の「戒壇大本尊」なる板本尊の漆加工と下山大工は全くの無関係である

 

「アンチ日蓮正宗」では、石川県輪島漆芸美術館の四柳嘉章館長の証言、昭和時代初期からの木工職人の証言等を元にして、「漆かぶれ等があり、素人には漆の取り扱いが非常に難しい」「大石寺の『戒壇の大本尊』の漆加工は、素人には不可能であり、漆職人でなければ不可能である」

「鎌倉時代の日蓮は、ほとんど経済力がないに等しかったため、漆職人を雇い漆加工を仕上げさせることは不可能だった」と、論破した。ところがこれでは、大石寺の「戒壇の大本尊」は後世の偽作だということが証明されてしまうため、日蓮正宗謀略機関紙『慧妙』は、必死になって、「戒壇の大本尊」とは全くの無関係の下山大工まで持ち出して強引にこじつけ、こんなことを書いている。

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(日蓮正宗謀略機関紙『慧妙』の妄説)

傍証として挙げておくが、大聖人当時、木や紙、ひいては漆や金箔を加工できる職人が、身延付近に在住していた。すなわち『富士一跡門徒存知事』に「甲斐国下山郷の地頭左衞門四郎光長は聖人の御弟子、遷化の後民部阿闍梨を師と為す帰依僧なり。而るに去ぬる永仁年中新堂を造立し、一体仏を安置するの刻み、日興が許に来臨して所立の義を難ず。聞きおわって自義と為し候処に、正安二年民部阿闍梨彼の新堂並びに一体仏を開眼供養す。爰に日澄本師民部阿闍梨と永く義絶せしめ、日興に帰伏して弟子と為る」(御書p1874)とあるが、ここに述べられる、永仁年中に新堂並びに一体仏を造立した下山光長とは、甲斐国下山郷(現在の山梨県南巨摩郡身延町下山)を領する地頭である。下山光長が新堂と一体仏を造立できたのは、この下山一門が大工の集団であったからである。下山郷に住する下山一門は、鎌倉時代初期から宮大工として活躍していた集団であり、この下山一門が古来より大工集団であったことは『吾妻鏡』のなかに

「廿七日己未。奉二為故竹御所一廻御追善一。武州被レ造二立仏像一。仏師肥後法橋云々。下山次郎入道。三沢藤次入道為二奉行一」(国史大系33吾妻鏡後編p153)と記されているように、嘉禎元年(1235)527日の鎌倉将軍頼経室である竹御所の一周忌の折に、執権北条泰時が仏像の造立を下山次郎入道(光重)らに命じていることからも知ることができる。また下山一門は、大聖人滅後、身延離山の折に日興上人に随って富士に移り、大石寺建立の一端を担っている。すなわち、大石寺創建にあたっては、大坊、塔中坊を建立し、その後も御影堂、御経蔵、三門など、江戸期の主要な堂宇は、ほぼ、下山大工が携わっているのである。このように当時、身延や富士に彫刻技術をもたらし、木材物資を提供したのが、下山大工の存在である。下山大工が大御本尊造立に携わったとの文献資料は存在しないが、下山家が日興上人の教化による有縁の信徒であることを勘案すれば、むしろ当然のことと言えよう

 (平成25(2013)616日付け『慧妙』/「第18回ネットに蔓延る邪義を破す」)

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□下山大工とは「大工」であって漆塗・漆加工を行う漆職人・金箔加工を行う金箔職人ではない

 

日蓮正宗謀略機関紙『慧妙』の反論を読んでいると、主として木造の家屋などを建てたり、修理したりする職人である大工、漆塗・漆加工をする漆職人、金箔加工を行う金箔職人を全く混同してしまっており、下山「大工」が、あたかも「戒壇の大本尊」の漆塗・漆加工や金箔加工を行ったかのような書きっぷりなのであるが、これは全く誤った見解である。

大工とは、木造の家屋などを建てたり、修理したりする職人であって、漆塗・漆加工や金箔加工を行う職人ではない。宮大工とは、神社・仏寺・宮殿の建築・補修を専門とする大工。神社仏閣の建築や補修に携わる大工。渡り大工とも呼ばれ、何年も家を離れ社寺のある地に居住して材料、技法を検討しながら仕事を進める。

しかし大工も宮大工も、あくまで「大工」であって、漆塗・漆加工をする漆職人、金箔加工を行う金箔職人とは全く別である。神社・仏寺・宮殿の建築・補修における漆塗・漆加工は漆職人が行い、金箔加工は金箔職人が行う。大工と漆職人と金箔職人は、別個の職業である。

これをわかりやすく、現代の事例で言うと、大工さんは、日本全国どこにでもいるが、漆職人は、漆工芸の産地である津軽漆器の青森、秀衡塗・浄法寺塗の岩手、喜多方漆器・会津漆器の福島会津、日光彫の日光、輪島塗・金沢漆器の石川・輪島、京漆器の京都等々といった漆工芸・漆器の特産地にいかないとなかなかお目にかかれない。金箔加工を行う金箔職人は、現代日本においては、国産金箔製品の90%以上を生産する石川県金沢市に行かないと、お目にかかれない。

石川県輪島漆芸美術館の四柳嘉章館長は、漆塗り・漆加工は素人には不可能であり、外注に出したと考えるほうが現実的だと言い、石川県金沢市の安江金箔工芸館学芸員も同様に、金箔加工は素人には不可能であり、外注に出したと考えるほうが現実的だと言う。昭和の木工職人は、自分たちで漆塗りをすると「漆かぶれ」になるため、漆塗りは漆職人の外注に出したと証言する。

ところが日蓮正宗謀略機関紙『慧妙』は、下山大工の下山光長が新堂と一体仏を造立したと書いて、あたかも下山大工が「戒壇の大本尊」なる板本尊の漆塗り・漆加工や金箔加工を行ったかのように書くが、これは全くの誤謬であり、虚言である。下山大工とは、あくまでも「大工」なのであって、漆塗り・漆加工や金箔加工は行わない。当然の如く、下山大工が「戒壇の大本尊」なる板本尊の漆塗り・漆加工や金箔加工を行ったという文献的証拠は全くない。これは「慧妙」も認めているとおりである。「慧妙」は大工と漆職人、金箔職人を全く混同する見解を書いて、自らの無智蒙昧を自分で暴露する醜態を演じている。まことにお粗末極まりない誤謬であり、「慧妙」の妄説もあっという間に完全崩壊したと言えよう。

漆芸美2 

(石川県輪島漆芸美術館)

漆器会館1 

(輪島漆器会館)