□法華講員ですら「こんなに日蓮正宗が評判が悪いとは知らなかった」と驚いたその実態NO5

 

「恐怖心と傲慢な態度、無反省と責任転嫁が大好きな人間は日蓮正宗系教義の信仰を続けられるのでしょうね。『そんなもの』の価値観に縛られて貧しい人生を送るのは当人の勝手ですが、他人まで巻き込み、自分らの下らないカテゴリで括る姿勢は非難されて然るべきでしょう。因果応報、非難されるのにはされるだけの原因がある。『正しい信仰だから非難(迫害)される』なんて道理はありませんし、『受け入れられなかった側』の負け惜しみと屁理屈でしかありません。自業自得だし、同情の余地などありませんよ。」(アンチ日蓮正宗コミュ)

「先祖に手を合わせたり、お供えしたり、盆・彼岸をする時に手を合わすその先は、誰に対して手をあわせるんでしょう?私は、少なくても仏像や掛け軸や坊主ではないと思っています。

お盆やお彼岸で手を合わせるのは、私達が生まれるまでの道筋を作ってくれたご先祖様です。

礼拝するのを掛け軸にしようが、他の宗教に変えようが、それらの類に手を合わしていると行くつく先は宗教に喰われてしまうってコト。日蓮正宗で『塔婆が1本2000円しか掛からないよ』『過去帳作成も、邪宗よりまったく安く作れるよ』って言うのは先祖を食い物にしてないか?って疑問に感じます。過去帳(家計図)は基本的に自分でも、なんなら行政書士?に頼めば作ってもらえます。

まだ、日蓮系の毒から抜けきるのに時間は掛かるでしょうが、頑張ってくださいね。自分も嫁を早く日蓮の毒から救い出してやれるように頑張ります。」(アンチ日蓮正宗コミュ)

「そもそも、日蓮正宗の言う『一滴の水もこぼさないで受け継がれている』と言われる教えですが、自分なりに資料や教本を見た限り、絶対にムリとしか言えません。

『正しい信仰だから非難(迫害)される』という日蓮正宗の教義も、本当に日蓮正宗が正しかったら、とっくの昔に全世界の方々が日蓮正宗に行き着いて、日蓮正宗しかしてませんてね()

自分は、嫁に連れられて日蓮正宗の体験発表に参加しましたが、突っ込み入れると坊主でない『おエライさん』が文句を言ってくる。小坊主にお伺いを立てると、世間の常識に反した、間違った解答しか出来ない。最低宗教です。まぁ…さっさとカルトしてくれると潰れてしまえるんですけどね。」(アンチ日蓮正宗コミュ)

「確か9月始まりの辺り。なんかの寺行事で嫁が行ってたのと、自分の帰りルート&時間が一緒だったので寺に迎えに行ってやりました。現場見てア然…。狭い住宅街の日蓮正宗佛見寺周辺はバスと自家用車の路駐でビッチリ。しかも寺入口には使い捨てカメラを片手に、写真撮りながら、うろつく中年がたむろしてるし、窓が全開なので21時半過ぎでもお経がバリバリ聞こえてる状態。

日蓮正宗佛見寺。少しは近所迷惑と言う言葉を知った方がいいと思うのは自分だけでしょうか?

路上駐車は邪魔なので、警察に通報しときました(笑)。」(アンチ日蓮正宗コミュ)

「世間では「カルト」として認定されていないのが、「日蓮正宗信徒」にとっては免罪符らしいですよ。個人攻撃を趣味とする『元創価・現日蓮正宗信徒』の発言です。普通に『伝統仏教の皮を被ったカルト』だと見抜けない自分らが無能なだけなんですけどね。宗教者として普通に尊敬も出来ない存在なんて意味無いのですが。それがネットであろうが、実社会であろうが変わりなく、信徒の発言や振る舞いがその宗教がどんなものなのかを窺わせます。」(アンチ日蓮正宗コミュ)

 

 

「共通してるのは「声を絶やさないコト」なんです。例え、宗教だからと言えども「変なコトは変」なんですから。法律で宗教の自由をうたう項目ありますが、変な宗教は潰れて欲しいと願う毎日です」

「顕正会トピで元顕正会員、現妙観講員がいわゆる『ハイエナ勧誘』目的で貼り付いてます。根性が顕正会・創価学会のまま、日蓮正宗に移籍した者が大半の妙観講は 次期破門講の候補であり、一部では公安から注視されていると言う情報もあります。以前から妙観講は『第二の顕正会』と呼ばれ、一般的な法華講や根檀家からも嫌われています。」(アンチ日蓮正宗コミュ)

「元日蓮正宗の信徒でしたが内情はひどいもんです。勧誘は寺に強制的ではないですが連れて行き、1対1で話すと思いきや6、7人で周りを囲み、精神的に追い詰めます。中でのイジメもあります。早く潰れてくれ!」(アンチ日蓮正宗コミュ)

「私は病気持ちなのですが、日蓮正宗の奴に『病気になったのはあなたが悪い』と言われました。やっぱ人の気持ちがわかんないんだぁ。って思いました。日蓮正宗の寺に行って偽板本尊をぶち壊してやりたいです」(アンチ日蓮正宗コミュ)

「自分も身分を隠して勧誘することを強制されていたのですが、それが苦痛で上の人に言っても、

騙しているのではなく、それは慈悲の行為であると叱責され指導に従えなければ罰を受け、不幸になると説得されるばかりでした。しかし偽って、寺院に連れてくることの呵責と矛盾に耐えられませんでした。例えば友人、同級生、親戚 はては面識があれば誰でもいいと強力に推進され、中には校長先生を呼び出す人、など逸脱した非常識を、上の人は呼び出し成功、とほめるなど、上の人の一般常識の欠如も正当化されてもちろん反することを言えばひどく怒られます。どうしても騙して連れてくることが苦痛で、上の人に言うと『何度も説明したのにそれでも聞けないのは心が濁って業が深いからだ。言われたとおりにやらなければ良くならない』と全く聞いてもらえません。

手段を選ばない信仰行為(勧誘含め)や世間の常識の逸脱とのギャップを埋められずとても混乱しましたが、組織から逸脱するほうが『恐ろしいことになる 不幸になる』ということなど抗いきれず、他に行く場所もなく、自分も世間に対しだんだんと開き直っていきました。もちろん、入ってすぐ時は一見しただけで雰囲気の異様さや題目のエキセントリックさなど、教義の強引さなど内容や雰囲気などに対し明らかにおかしい、と思いましたが、その人たちの人間関係や推進する言葉が強力だったこと、他にその人たちに勝つほどの意見者もなく宗教以外に環境がなくなってきたことも洗脳がすすんだ一因だったように思います。あと、日蓮正宗法華講の上の人はすごくいいこと、煽ることをいいますが、そこに乗ってしまって組織の中に入ると、一般世間と離れた感覚になるようで(それが宗教というものですが)また反発すれば徹底して悪く言い、捨てセリフを投げられるので怖いと思います。若い時にこういったものに入り、一般的な勉強の機会を逃したのも、原理主義に染まり他の精神世界を否定する方向に行った元だったのかもしれません。」(アンチ日蓮正宗コミュ)

アンチ日蓮正宗3