■検証53・大石寺9世日有が「二箇相承」を偽作した証拠6(日有独自の事の戒壇6)

 

大石寺9世日有の説法を筆録した文書「新池抄聞書」にはじめて出てくる「事の戒壇」

 

歴史上はじめて「事の戒壇」なる教義が登場したのはいつなのか、となれば、それは保田妙本寺・小泉久遠寺11代貫首・日要(14361514)が、かつて大石寺9世日有から聞いていた説法を、弟子たちに語っていた内容を日果という僧侶が筆録した文書「新池抄聞書」の文である。

「日有云く、また云く、大石は父の寺、重須は母の寺、父の大石は本尊堂、重須は御影堂、大石は本果妙、重須は本因妙、彼は勅願寺、此は祈願寺、彼は所開、此は能開、彼は所生、此は能生、即本因、本果、本国土妙の三妙合論の事の戒壇なり」

新池抄聞書1

新池抄聞書3

(『新池抄聞書』/日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨の著書「富士日興上人詳伝・下」p84)

-----かつて日有上人がこのように説法していた、と日要上人が語っていた。大石寺は例えて言えば父親のような本山寺院であり、重須の北山本門寺は、例えて言えば母親のような本山寺院である。父親の本山寺院である大石寺には、「本門戒壇の大御本尊」を安置している本尊堂があり、母親の本山寺院である北山本門寺には、日蓮大聖人の木像(御影)を安置している御影堂がある。……此の大石寺は、衆生を成仏に導く根本の寺であり、即ち、「本門戒壇の大御本尊」を安置している本尊堂がある大石寺こそ、本因、本果、本国土妙の三妙合論の事の戒壇なのであり、根本の寺院・道場なのである。-------

わかりにくい古文は、だいたい上記のような意味になる。つまり大石寺9世日有は、「戒壇の大本尊」がある大石寺のほうが、開祖・日興が晩年住み、死去した北山本門寺よりも優越した根本の寺であると語っていた。「戒壇の大本尊」なる名前の板本尊を祀っている堂宇である「事の戒壇」という名前が、ここで具体的に、かつ、歴史上はじめて日蓮正宗大石寺に忽然と登場する。

これは日蓮正宗が認める古文書に載っているものとして、大石寺9世日有による「戒壇の大本尊」なる板本尊偽作、「事の戒壇」偽作の、明確な文献的証拠と位置づけられる。

又、この「新池抄聞書」という文書は、大石寺9世日有が「戒壇の大本尊」を偽作したという文献的証拠ということに止まらず、大石寺9世日有が日蓮正宗大石寺門流で歴史上はじめて大石寺を「事の戒壇」と定義付けたことについても証拠となる、非常にウエイトが高い文書なのである。

9世日有4(諸記録) 

(能勢順道氏の著書『諸記録』に載っている大石寺9世日有の肖像画)

 

 

□大石寺59世法主堀日亨が正文書と認めて「富士日興上人詳伝」に載せている「新池抄聞書」

 

しかし堀日亨は自らが編纂した「富士宗学要集」には、この「新池抄聞書」を収録せずに、カットしている。 その後、数十年が経った後、別の富士門流史の論証のために、やむを得ず自らの著書である「富士日興上人詳伝」に掲載したものである。 この「新池抄聞書」という名前の文献は、数々の古文書の筆跡鑑定を手がけてきた大石寺59世堀日亨自身が、偽作文書ではない「正文書」と認めたものである。富士門流の古文書等々を熱心に編纂した『富士宗学要集』に収録してきた堀日亨が、なぜこんなことをしたのか。

つまり堀日亨自身も、この「新池抄聞書」を正史料と認め、大石寺9世日有による「戒壇の大本尊」なる板本尊偽作の「証拠」と考えていた、ということである。堀日亨は、本心では「戒壇の大本尊」を大石寺9世日有の偽作であると、考えていたということに他ならない。

しかし堀日亨は、大石寺59世の猊座に登った法主経験者である。そういう法主経験者、猊下と呼ばれる人物が、本心では「戒壇の大本尊」を日有の偽作であると考えていても、それを公然と口にし、文章に書くわけにはいかない。法主経験者が「戒壇の大本尊」は大石寺9世日有の偽作だと言ってしまったら、日蓮正宗・大石寺は完全崩壊してしまう。だからこそ、「新池抄聞書」を「富士宗学要集」にわざと収録しなかった。というより、できなかったと言えよう。日有による「戒壇の大本尊」なる板本尊偽作の「証拠」など、「富士宗学要集」に収録できるはずがないからである。

しかし「新池抄聞書」を正史料と認めている堀日亨は、宗史検証の中でどうしてもこれを「富士日興上人詳伝」に掲載せざるを得なくなった、というわけである。

又、見ていて面白いのは、「事の戒壇」論議で論争をしている日蓮正宗、妙観講、創価学会、顕正会の、いずれの教団も、この「新池抄聞書」という古文書を無視して論議していることだ。

例えば、日蓮正宗大石寺理境坊妙観講と冨士大石寺顕正会との間で行われている「事の戒壇」論争で、妙観講側は、大石寺では古来から「戒壇の大本尊」の在所を「事の戒壇」と定義していた証拠として、大石寺43世法主日相の「大弐阿闍梨御講聞書」の文

「本門戒壇 在々処々本尊安置之処は理の戒也。富士山戒壇之御本尊御在所は事の戒也」

を取り上げているが、「新池抄聞書」の「事の戒壇」の文は全く無視している。

「事の戒壇」を論議するのであれば、大石寺門流において歴史上はじめて「事の戒壇」が登場した「新池抄聞書」を論議するのは当然であるはずなのに、ことさらにこの古文書の存在を無視して論議しているのは、傍から見ていて笑ってしまうし、滑稽ですらある。

大石寺門流において歴史上はじめて「事の戒壇」という言葉を使ったのは、大石寺9世日有が最初である。としいうことは、「事の戒壇」がいつから大石寺門流で使われていたか、ということを徹底検証していったら、「戒壇の大本尊」は大石寺9世日有の偽作である、という所に結論が行ってしまう。妙観講vs顕正会という、日蓮正宗系団体同士の「事の戒壇」論議でこの「新池抄聞書」の文を引用してしまったら、「戒壇の大本尊」なる板本尊偽作に焦点が当たってしまい、大石寺9世日有による「戒壇の大本尊」偽作を認めざるを得なくなることになるから、とても引用などできようはずがなかろう。日蓮正宗系にとって、この「新池抄聞書」という古文書は、よほど都合の悪い文書ということなのであろう。

59世日亨2 

(大石寺59世法主・堀日亨)