■検証59・大石寺9世日有が「二箇相承」を偽作した証拠12(日有独自の事の戒壇12)

 

□大石寺の「戒壇の大本尊」「二箇相承」「日興跡条条事」を偽作したのは同一人である

 

さて、大石寺の「戒壇の大本尊」偽作、「日興跡条条事」偽作が同一人によるもの。すなわち大石寺9世日有が偽作したもの、ということになると、では「二箇相承」の偽作者はどうなるのか、ということになる。「二箇相承」を偽作したのは、大石寺9世日有である。大石寺の「戒壇の大本尊」「二箇相承」「日興跡条条事」を偽作したのは同一人である。

もっと言うと、「戒壇の大本尊」「二箇相承」「日興跡条条事」だけではない。「日蓮本仏義」「唯授一人血脈相承」「百六箇抄」「本因妙抄」「本尊七箇相承」「産湯相承事」「御義口伝」を偽作したのが、まさに大石寺9世日有である。これらは全て同一人が偽作したものである。

□大石寺の『戒壇大本尊』は9世日有の偽作だ

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_161878.html

□大石寺の『二箇相承』は後世の偽作だ

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_193001.html

□大石寺の『日興跡条条事』は9世日有の偽作だ

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_193002.html

□大石寺の『日蓮本仏義』は9世日有の偽作だ

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_193004.html

□大石寺の『血脈相承』は9世日有の偽作だ

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_193005.html

□大石寺の『百六箇抄』は9世日有の偽作だ

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_193008.html

□大石寺の『本因妙抄』は9世日有の偽作だ

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_193011.html

□大石寺の『本尊七箇相承』は9世日有の偽作だ

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_193013.html

□大石寺の『産湯相承事』は9世日有の偽作だ

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_193020.html

 

 

□戒壇大本尊・二箇相承・日興跡条条事偽作解明のポイント「富士山本門寺戒壇」「事の戒法」

 

「戒壇の大本尊」「二箇相承」「日興跡条条事」を偽作したのが大石寺9世日有である、ということは、「戒壇の大本尊」「二箇相承」「日興跡条条事」偽作を解明する共通のポイントに触れておきたい。それは「富士山本門寺戒壇」「事の戒法」であり、「日興跡条条事」の第二条の文「一、日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊、日目に之を相伝する。本門寺に懸け奉るべし」。

そして「百六箇抄」にある「四十二、下種の弘通戒壇実勝の本迹、 三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり」「又五人並に已外の諸僧等、日本乃至一閻浮提の外万国に之を流布せしむと雖も、日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり」

(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨編纂「富士宗学要集」1p)

である。「百六箇抄」にある「日興嫡嫡相承の曼荼羅」というのは、大石寺の「戒壇の大本尊」であり、「戒壇の大本尊を富士山本門寺本堂の正本尊とすべし。この富士山本門寺本堂が三大秘法建立の勝地である」という意味。すなわち大石寺9世日有独自に発明した戒壇である。

そして「日興跡条条事」「百六箇抄」「二箇相承」にある共通項とは、「国主此の法を立てられば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ・事の戒法と謂ふは是なり」の文。中でも「富士山本門寺本堂」「富士山本門寺戒壇」「事の戒法」である。

「戒法」とは、仏が定めた戒律。五戒、十戒。つまり戒壇で授戒を受けて僧侶になることだが、大石寺門流に言わせると、鑑真が建立した東大寺戒壇、薬師寺戒壇、観世音寺戒壇、唐招提寺戒壇、伝教大師最澄が勅許を受けた比叡山延暦寺戒壇は、末法においては何の役にも立たず、末法は末法の「事の戒壇」で授戒しなくてはならない。これが大石寺が言う「事の戒法」である。

日蓮は「三大秘法抄」の文で「戒壇とは、王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是なり」(平成新編御書全集p1595)と説いたが、日蓮は広宣流布の日に建立する戒壇をどこに建てるかについては「霊山浄土に似たらん最勝の地」としか言っておらず、山号も寺号も具体的には書き残さなかった。

ところが「二箇相承」の偽作者は戒壇を建立すべき場所を「富士山」、戒壇を建立する寺院の寺号を「本門寺」としている。これは一体、どういう戒壇なのか。これが即ち「百六箇抄」の

「四十二、下種の弘通戒壇実勝の本迹、 三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり」「又五人並に已外の諸僧等、日本乃至一閻浮提の外万国に之を流布せしむと雖も、日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり」

とある「大石寺9世日有独自の戒壇」である。すなわち「二箇相承」の「富士山本門寺戒壇」と「百六箇抄」の「富士山本門寺本堂」は同一のものであり、それは「日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為す」戒壇。これは、「日興跡条条事」に「日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊、日目に之を相伝する。本門寺に懸け奉るべし」とある「戒壇」と全く同一。

大石寺の「戒壇の大本尊」「二箇相承」「日興跡条条事」を偽作したのは同一人なのである。それは即ち、大石寺9世日有に他ならない。

9世日有4(諸記録) 

(能勢順道氏の著書『諸記録』に載っている大石寺9世日有の肖像画)